[#表紙(表紙.jpg)] 平岩弓枝 御宿かわせみ30 鬼女の花摘み 目 次  鬼女の花摘み  浅草寺の絵馬  吉松殺し  白鷺城の月  初春夢づくし  招き猫  蓑虫の唄 [#改ページ]   鬼女《きじよ》の花摘《はなつ》み      一  江戸は花火の季節であった。  その日、東吾《とうご》が八丁堀の道場の稽古をすませてから、神林麻太郎《かみばやしあさたろう》と畝源太郎《うねげんたろう》と、二人の少年を伴って深川佐賀町の長寿庵へ出かけたのは花火見物のためであった。  仙台堀が大川へ流れ込む岸辺に松平陸奥守の下屋敷がある。  奥州宮城郡仙台六十二万五千余石伊達藩で、仙台堀の名もここから来ているのだが、毎年夏のはじめに、この下屋敷の庭から盛大に花火が上る。  長寿庵は深川佐賀町にあるので、いわば至近距離から見物が出来る。  ただ、あまりに近いので音がうるさいし、優雅な花火見物には程遠いが、その分、豪快さはあった。 「女どもには向かないが、麻太郎や源太郎には面白いだろう。俺が二人を連れて行くよ」  と東吾が長助《ちようすけ》に約束して、無論、二人の少年は指折り数えてその日を待っていた。  いい按配に朝からよく晴れて、夕方が近づくと少々の風が出た。 「大風は困るが、このくらいの風があったほうがいいんだ。花火を上げた時の煙を吹きとばしてくれるからな」  麻太郎も源太郎も一度、屋敷へ戻って汗を流し、こざっぱりとした絣の着物に袴をつけて来た。どちらも似たような白絣で、年は源太郎のほうが上だが、背恰好は同じくらいで、並んで行く姿は、往時の東吾と畝|源三郎《げんざぶろう》を彷彿とさせると「かわせみ」の外まで見送った嘉助《かすけ》は感無量であった。  その昔、|るい《ヽヽ》の父親の庄司源右衛門に奉公していた嘉助は、少年だった東吾や源三郎にとって、親にもいえないことをうちあけられる気さくな小父さんで、将棋を教えてもらったり、蝉採りのこつを習ったりは勿論、悪戯をして怪我をすれば、嘉助の許へ来て手当をしてもらう。親に知られると叱られるし、よけいな心配をかけるからという子供らしい理由からだったが、嘉助は二人の少年のために始終、塗り薬や消毒用の焼酎の用意を欠かさず、怪我の様子をみて、自分の手当だけではおぼつかないと思うと、すぐに背中にしょって近所の医者の家へ連れて行ったりもした。  二人の少年にとって、嘉助は全幅の信頼を寄せ得る存在であったし、嘉助はその信頼を如何なる場合でも裏切らなかった。  その東吾と源三郎が立派に成人して、嘉助はもういつ死んでも、あの世へ行って神林の殿様にも畝の御先代にも胸を張って御挨拶が出来ると考えていたのに、この節、三十何年かの歳月が舞い戻ったかのような麻太郎と源太郎の姿を目のあたりにして、出来るものなら、このお二人の成人ぶりをもう少々、眺めて行きたいものだと欲が出て来る。  なんにしても、東吾を両側から囲むようにして永代橋を渡って行く二人の少年を見送っている嘉助の胸の中《うち》にはやるせないほど熱いものが流れていて、 「番頭さん、いつまでお見送りをしてるんですか。どうかしちまったんじゃありませんかね」  暖簾《のれん》をくぐって出て来たお吉《きち》にどやされるまで、ひたすら我を忘れて昔をなつかしんでしまう。  東吾には、なんとなくそういう嘉助の気持がわかっていて、今日も道を折れるところでふりむいて、二人の少年と共に嘉助の遠い姿へ手を上げた。  永代橋を渡ったあたりから深川は祭のような賑いをみせていた。  露店が並び盛んに客を呼んでいる。  天麩羅屋があり、稲荷鮨屋、飴屋に大福餅屋、水売りがいるかと思うと麦湯売りの屋台が出ている。  花火がはじまるには早い時刻なのに、人はぞろぞろと歩き、子供が走り廻っている。  麻太郎も源太郎も、浮き浮きしながらあたりを眺め、東吾にはぐれまいと懸命に後へついて来るのを、東吾は時折、ふり返りながら足を止めて待ったりしていた。  なにしろ、佐賀町の通りはまともには歩けないほどの人出である。  武士が十数人、ひとかたまりになって急ぎ足で仙台堀のほうへ行くのは、どうやら仙台藩士のようであった。  それをやりすごそうと、二人の少年をかばうように道のすみに立っていた東吾は、ふと麻太郎がなにかに注目しているのに気がついた。その視線をたどって行くと露店の大福餅屋がある。腹が減っているのかと、声をかけようとして、東吾の目が大福餅屋の前に突っ立っている小さな子供に吸い寄せられた。  姉と弟だろう。姉のほうはせいぜい六つくらいか。弟は二、三歳。二人とも痩せていて顔色が悪い。弟の目が大福餅をみつめていた。  小さな口許から、よだれがついっと落ちる。  姉は弟を泣きそうな顔で見守っていた。  麻太郎が源太郎に何かささやき、源太郎がそれに答えている。  東吾が二人に声をかけた。 「大福が食いたいのなら、買ってやるぞ」  麻太郎がためらいがちにいった。 「あの子に買って与えるのは、いけないことでしょうか」  源太郎が続けた。 「腹がきゅうきゅう鳴っているのです。なんだか、かわいそうで……」  東吾は黙って屋台に近づき、五個入りの竹皮包を一つ買った。それを源太郎に渡す。 「好きにするがいいぞ」  源太郎が東吾を仰いだ。 「先生は召しあがりますか」 「俺はいらない」  二人の少年が顔を寄せて相談している。やがて、源太郎が屋台の前のちびの手をひっぱって道のすみへ寄った。姉のほうが驚いてついて来る。  麻太郎が竹皮包から大福餅を一つ取ってちびにさし出した。 「よかったら、食べなさい」  ちびが姉をふりむき、姉が不安そうに麻太郎を見た。 「君も食べなさい」  源太郎が傍からいった。 「甘くて、旨そうだよ。かまわないからおあがり」  ちびが大福餅を取り、武者ぶりつくように食べはじめた。それを見ている姉のほうが、ぽろぽろと涙をこぼし出した。  あっという間に、ちびは大福餅を食べ終え、姉が自分のもらったのを弟に持たせた。 「いいよ、これもおあがり」  麻太郎がすかさず、一個の大福を取り、残りを竹皮包のまま、姉に渡した。  姉が二人の少年を見廻すようにし、源太郎が力強くうなずいた。 「いいんだよ。食べなさい」  姉弟に背をむけて歩き出しながら麻太郎が一個の大福を二つに千切り、その半分を源太郎に渡すと一口に頬ばっている。  眺めていて、つい東吾は破顔した。これはこれでよいかと思う。貧しげなものになにかを与えることに蘊蓄《うんちく》を垂れるのはやめようと思う。少くとも、この二人には必要なさそうであった。 「行くか」  二人をうながして佐賀町の通りを渡った。長寿庵の暖簾のところには長助の女房のおえいが立って出迎えている。  長寿庵の二階へ上って、子供達には麦湯、東吾には枝豆で酒が出て、追いかけて蕎麦が来る。 「ごゆっくり召し上って下さいまし。日が暮れませんと、花火にはなりませんので……」  笑いながらおえいが勧め、東吾が応じた。 「こっちはかまわないでくれ。今日は店も千客万来だろう」  長助は若い衆と仙台堀の岸辺に出ているらしい。人が集れば掏摸《すり》やかっぱらい、それに喧嘩だ、狼藉だと騒ぎが起りやすいからで、蕎麦屋のほうは女房と悴夫婦にまかせっぱなしだ。  蕎麦を食べ終えたところで暗くなって来た。階段を長助が上って来て、 「むさくるしい所でございますが……」  物干場へ案内した。  縁台を二つ運び上げて、座布団がのせてある。 「こりゃあ上等の見物席だな」  と東吾が感心するように、すぐ先の仙台堀のむこうが仙台藩の下屋敷で、艀《はしけ》を着ける広い舟着場の先に櫓《やぐら》が組まれ、その上に花火師らしいのがきびきびと動いているのまで見える。  縁台の脇に置かれた小机には麦湯や菓子や酒や蕎麦鮨が運び込まれた。 「なにしろ、近までどかんどかんと音をたてますんで、腹に響くのが難でございますが」  と長助がいった時、拍子木の音が花火の開始を告げた。 「あっしはすぐこの下のほうの道に居りますんで……」  あたふたと長助が下りて行くのと同時に打上げが始まった。  たて続けに火の花が天に咲いて、二人の子供はもとより、花火に馴れている東吾までが固唾《かたず》を飲んで夜空を仰ぐ。  暫くは花火ばかりに気をとられていた麻太郎と源太郎が少し落付いて、物干場から下の世界を眺めるようになったのは、花火が上るとその明るさで仙台堀の岸辺あたりが真昼のように見渡せるのに気づいたからであった。  すでにとっぷりと暮れていて、いつもなら闇の中なのに、花火と共にすみずみまで照らし出される。  ぽかんと口をあいて上をむいている人、玉屋、鍵屋と両手をふり廻して躍り上る人、暗いと思って抱き合っていた男女が慌てて離れたり、背中を押されてつんのめる人、ふりむいて誰がやったと顔中を口にして喚き出す人など、上から見ている分にはけっこう面白い。 「先生、あんな所に長助親分がいます」  源太郎が東吾に教え、そっちを眺めていた麻太郎が、 「さっきの子があそこに……」  と源太郎に指して教えた。で、東吾の視線もそっちへ向いたのだが、成程、仙台堀のふちの柳の木かげに先刻、大福餅を与えた姉弟がしっかり手をつなぎ合って立っている。  何をみつけたのか、弟のほうが嬉しそうな顔をして走り出した。向った先に男と女がいた。今しがた、そこへ来たという感じで、ちびはその女のほうへとびつこうとした。  それは明らかに子供が母親をみつけて喜んでかけ寄ったという感じだったのだが、ちびの手が母親に届く寸前に、女の脇にいた男が足を上げてちびを蹴とばした。  麻太郎と源太郎が同時に、あっと声を上げたのは、やはりその光景が目に入ったからで、そのとたんに下の世界がまっ暗になったのは、花火の打上げが小休止に入ったためであった。  花火が上らない限り、どう目をこらしても四辺は闇である。 「叔父上、あれは、いったい……」  麻太郎の声にうなずいて、東吾は立ち上った。 「お前達はここから動くな。俺が様子をみて来る」  二人に念を押して素早く階下へ下りた。  長寿庵の店の中はからっぽで、裏口のところでおえいや息子夫婦に職人達が空を仰いでいる。出て来た東吾に、 「若先生……」  とおえいが近づいたが、 「なに、たいしたことじゃない。ちょっと、そこまで行って来る」  軽く手をふって外へ出た。  大空には再び、鮮やかな花が咲いてずどんという打上げの重い音が腹に響く。  上から見当をつけたあたりへ行って見廻したが、姉弟の姿がなかった。 「叔父上、あそこです」  頭上から麻太郎の声がして、ふり仰ぐと二人の少年の手が大川のほうを指している。  成程、男と女は仙台堀に背をむけて、大川の空を眺めていた。  男がちびを肩車し、姉のほうは女と手をつないでいる。どうみても、それは幼い姉弟をつれて花火見物をしている夫婦の姿であった。  長助が東吾の前へ来た。 「何かございましたんで……」 「あそこにいる夫婦を知っているか」  花火が上り、長助が東吾の指の先をみた。 「男は子供を肩車している。その隣に娘をつれた女がいるだろう」 「さてと……」  長助が近くにいた若い衆を呼んだ。 「ありゃあ、門前仲町の一膳飯屋で働いているお新って女で、一緒にいるのは名前は知りませんが、近頃、お新の長屋へころがり込んでる奴じゃありませんかね」  七造というお手先が答え、東吾は訊いた。 「連れている子は……」 「お新の子です。亭主は逃げちまったって話ですが」 「長屋は深川か」 「へえ、冬木町で……」 「そうか」  長助と七造に苦笑した。 「いや、なんでもないんだ」  そのまま長寿庵へひき返して物干場へ戻った。 「先生」  待ちかねていたらしい源太郎がすぐにいった。 「なんだか、奇妙です」 「なにが奇妙なんだ」  ちびを蹴とばした男は、あの姉弟の母親の知り合いだそうだよ、と東吾は説明した。 「あの女の人が、おっ母《か》さんなんですか」 「そうだ」 「でしたら、いよいよ変です」  源太郎が麻太郎に同意を求め、麻太郎がいった。 「ちびが蹴とばされてころんだ時、かけよって抱き起したのは、姉さんでした」 「ほう」 「おっ母さんは、ころげたちびのすぐそばにいたのです。本当なら、すぐ母親が抱き起すものではありませんか」  源太郎がつけ加えた。 「女は、ちびをみていましたが、手を出しませんでした」 「出しそびれたんだろう」  と答えたが、東吾は二人の少年のいいたいことがよくわかった。  母親なら、我が子が蹴とばされてころがったら反射的に走り寄って抱きかかえるものだと東吾も思う。 「昨年のことですが、私は庭の木に登って落ちました」  麻太郎が照れくさそうにいい出した。 「本当は落ちたのではなく、枝にぶら下って、とび下りたのですが、母上は落ちたとお思いになって、はだしで縁側からかけ下りて来られました。まっ青になって、ぶるぶる慄《ふる》えて私を抱えて……私はどこも痛くはないと申し上げたのですが、用人が骨つぎの先生を呼びに行きました。母上がお命じになったのです」 「ほう」  その時の光景が目に浮んで、東吾は微笑した。麻太郎の困惑がなんとも可笑《おか》しい。 「骨は折れていなかったのであろう」 「はい。打ち身もたいしたことはないとおっしゃいました。でも、母上は青い顔をなすったままで……私は二度と母上を心配させることはするまいと思いました」 「どこの木に登ったんだ」 「池のむこうの百日紅《さるすべり》です」 「あれか……あれは俺も登ったよ」 「父上が、叔父上も落ちられたことがあるとおっしゃいました」 「あっはっは」  ひときわ大きな花火が上って、東吾は視線を上げた。  百日紅に登って、手をすべらせて落ちた時、とんで来たのは兄であった。あの時、母はもうあの世の人であり、物心ついて以来、東吾は父から、 「母に逢いたくなったら、兄の顔を見よ」  と教えられて育った。それくらい、兄は母親似であったのだ。  花火が終って、長助が迎えに上って来た。  二階の部屋で麻太郎と源太郎は天麩羅蕎麦をぺろりと平げた。  それを嬉しそうに眺めながら長助がいった。 「先程、若先生がおっしゃったお新のことを、ちょいと訊いて来ました」  亭主は松五郎といって腕のいい大工だったが、魔がさしたというものか、本所緑町の酌婦といい仲になって借金だらけになり、あげくはその女の情夫といざこざを起して、右手の指二本を切り落された。 「自棄《やけ》のやん八《ぱち》で女房子を捨ててどこかへ消えちまったのが二年前のことだそうでして……」  上が四つ、下はまだ赤ん坊で、当座は周囲の者が気の毒がって、なんのかのと世話をし、昨年からはお新が一膳飯屋へ働きに出て、なんとかまがりなりにも母子三人が暮している。 「一緒にいた男は、辰三というそうで、両国の小屋なんぞで口上をいったり、呼び込みをしたり、まあ、まともな職についているわけじゃねえようでして……」  どこでどう知り合ったのか、この春の終り頃からお新のところへころがり込んで夫婦同然に暮している。  お新の子供の名前は姉がおさち、弟が市松と、例によって長助の報告は行き届いている。 「先生」  と蕎麦を食べ終えた源太郎がいった。 「さっきの続きですが……」  男に蹴とばされた弟を姉が抱き起した時、それに気がついた近くの女が声をかけた。 「何をいったのかは聞えませんでしたが……」  すると、男はいきなり泣いている市松を抱き上げて肩車をしたのだと源太郎はいう。 「うまくいえませんが、なんとなく不自然に見えました」  長助が小首をかしげた。 「そいつは大方、市松って子が、なにか駄々をこねたかして、叱るつもりで蹴とばしちまったが、まわりの人の手前具合が悪くなって、照れかくしに肩車なんぞしてみせたんじゃございませんか」 「ついでにいっとくが、あの姉弟はひどく腹をすかせて大福餅の屋台の前に突っ立ってたんだ」  麻太郎と源太郎がそれに気がついて大福餅を買って与えた話をして、東吾はつけ加えた。 「他人の子供によけいなお節介だろうが、母親に男が出来て、子供に目くばりが出来なくなっているようだと不愍《ふびん》だからな」  長助が大きく合点した。 「明日にでも、それとなく近所を聞いて参《めえ》ります」 「毎度、厄介な話を持ち出してすまないな」 「とんでもねえことで……なにかが起らねえ中に気をつけろというのが、畝の旦那のお口癖でございますから……」  花火見物に満足した二人の少年を伴って、東吾は長助夫婦に見送られて深川を後にした。      二 「花火の終ったあとってのは、なんとも奇妙なくらい間の抜けた感じがするもんだぜ」  翌日、軍艦操練所から帰って来ての夕方、東吾が居間でるいや千春《ちはる》、それに女中頭のお吉まで加えて、仙台様の打上げ花火の話をしていると、番頭の嘉助が、 「長助親分が参って居ります」  と取り次いで来た。 「長助ならかまわないよ。こっちへ来るようにいってくれ」  ちょうどいい所へ来たと東吾が喜んで、長助は遠慮がちに奥へ来た。 「昨夕は厄介をかけた。麻太郎も源太郎も大喜びでね。あんな間近に打上げを見たのは二人とも生まれて初めてだからな」  早速、東吾が礼をいい、長助は恐縮して頭を下げたが、 「実はお新と辰三の件で、冬木町を廻って来ましたんで……」  ここで話してもよいかと目顔で訊いた。 「御苦労だった。格別、どうということはないようにも思うんだがな」  神林家でも畝家でも、父親は厳格だが、子供を足蹴にすることはない。 「だから、あいつら二人は驚いたんだろうがね」  長助がぼんのくぼに手をやった。 「まあ、下々《しもじも》ではけっこう乱暴な親が多うございまして、ですが殴るほうはともかく、蹴とばすってのは、とりわけ、あんなちっこい子供にはやらねえもんです」 「殴るほうなら、俺も親父によくやられたよ。源太郎だって源さんにごつんとやられたおぼえはあるだろう」 「辰三ってのは、けっこう荒っぽいところがあるようで。ですが機嫌のいい時は子供らに菓子を買ってやったりしているそうです」 「お新って女に、本気で惚れているのか」 「そこんところなんですが、近所の話だと女のほうが熱くなって入れあげてるって按配でして……」 「入れあげるったって、一膳飯屋の女中じゃ、たいした稼ぎもなかろうが……」 「まあ、宿なし同然の奴には、ただでねぐらが出来て、食おうと思えば三度の飯にもありつける。おまけに据え膳って奴でござんしょうから……」  るいとお吉の手前、低声《こごえ》になって首をすくめた。 「今のところは、辰三が二人の子供を邪魔にして折檻《せつかん》するようなことはねえと長屋の者も申しますんで、大家にはちょいと灸をすえておくように頼んで来ました」  なにしろ、お新というのは十五でおさちを産んで居り、所帯やつれはしているものの、まだ二十一になったばかりで、あまり母親としての心がまえが出来ているとは思えないと長助は苦い表情を作った。 「あっしも若い連中に、気をつけるようにといっておきましたんで……」  話が話だけに、長助としては長居がしにくいらしく、そそくさと腰を上げて帰って行った。 「何があったか知りませんが、二つ三つの子を蹴とばすような男と夫婦《いつしよ》になったら、とんだことですよ」  東吾から改めて花火見物の夜の目撃談を聞いて、お吉がまず顔をしかめた。 「実の父親ならまだしも、生《な》さぬ仲で最初からそんなだったら、子供の不幸せが目にみえています。なんで母親がそれに気がつかないんでしょうかねえ」  東吾が笑った。 「長助がいったじゃないか。女のほうが熱くなっちまってるんだと」 「よっぽど、男前なんですかね」 「男は顔じゃあねえからなあ」  るいがそっと東吾の膝をつねり、東吾は千春を抱いて立ち上った。 「いい具合に暗くなって来たようだ。ぼつぼつ始めようか」  縁側には蚊やりの煙が低く流れ、その横に線香花火の束がおいてある。  千春の喚声が「かわせみ」の庭に聞え、女中のお吉が台所から灯のついた手燭を運んで来た。  それから五日ばかり後、東吾の全く知らないことだったが、麻太郎と源太郎はおさち、市松の姉弟に出会っていた。  本所の麻生宗太郎《あそうそうたろう》の長崎時代の友人で、宗太郎の言葉を借りれば、 「あいつは語学の天才です」  という加東秀作という男がいた。横浜のイギリス人の商館で働いていたのが、この節、飜訳の仕事が増えて、そこをやめ、宗太郎を頼って本所に住居を持った。  で、生活費を確保する必要もあって、五日に一度、麻生家へ英語を教えに来る。  学習するのは宗太郎一人の筈だったが、患者が多かったり、急患で出かけたり、とかく弟子のほうが多忙で教えるほうに迷惑をかける。 「異国の言葉と申すものは、なるべく幼少の頃から学ぶのがよろしいのです。年をとってからでは上達が遅い」  と加東秀作がいい、では子供達を集めようと宗太郎が考えた。  麻生家では花世《はなよ》と小太郎《こたろう》。誘われて神林家から麻太郎、畝家から源太郎と、とりあえず四人の弟子が加東秀作の教えを受けることになって、教室は麻生家だから、麻太郎と源太郎は決められた日には二人揃って本所へ出かけて行く。  その日、学習が終って、先生を見送りに門の外まで出た麻太郎と源太郎が、麻生家の塀の小名木川に沿ったところにすわり込んでいるおさちと市松に気がついた。  どうやら市松が泣いていて、おさちがなだめているといった様子である。  麻太郎と源太郎が姉弟を眺めていると、やはり先生の見送りに出ていて、もう遠くなった加東秀作にお辞儀をしたり、手を振ったりしていた花世が近づいて来て、 「どうしたのですか」  と聞く。麻太郎が花火見物の日の出来事をかいつまんで話すと、いきなり花世が姉弟の傍へ行ってしゃがみ込み、しきりに何か聞いている。  やがて戻って来て、 「朝から何も食べていないみたい」  といってから、ハングリイ、ハングリイとおぼえたての英語を口に出した。 「長寿庵へ連れて行こうか」  麻太郎がいうと、 「そんなことをしなくとも、あたしが乳母《うば》にいって何か持って来ます」  花世が応じた。 「叱られませんか」 「乳母は、あたしのいうことはなんでもきいてくれます」  あの二人を裏門のほうへ連れて行って下さい、と花世に指図されて、二人の少年は姉弟のところへ行った。  おさちも市松も、麻太郎と源太郎をおぼえていた。 「心配しないで。今、あの人が食べるものをもらって来るそうだから、こっちへ来なさい」  麻太郎がいい、源太郎が歩けないほど弱っている市松をおぶった。  麻生家の裏門は小名木川を脇にみて一間幅の道に面している。道の向う側は旗本の屋敷の塀が続いていた。成程、ここならあまり人目に触れないだろうと、麻太郎は花世の気の廻り方に感心した。  源太郎のほうは麻生家の井戸から水を汲み、手桶に入れて柄杓《ひしやく》を添えて運んで来ると姉弟に飲ませている。  炎天下をどこから歩いて来て、どのくらい前からあの場所にいたものか、姉は弟に水を飲ませ、続いて自分も咽喉《のど》を鳴らして飲んでいる。  裏門からひょっこりといった感じで花世が出て来た。手に饅頭《まんじゆう》を二つ持っている。  今日の学習が終った時、先生と生徒が一緒にお茶を飲んだ時に出たもので、その残りらしい。 「乳母が、おむすびを作っていますから……」  とりあえずというつもりらしく、饅頭を姉弟に渡す。 「私達は、もう頂きましたから遠慮をしなくていいのですよ」  と、ませた口調でいったのまではよかったが、傍の手桶に気がついて、 「お水をあまり飲んではいけません。お腹をこわします。今、小太郎がお茶を持って来ますから……」  と続けたので、源太郎が少しばかり慌てた。  乳母と小太郎がおむすびの皿と茶を持って現われ、姉弟はひどくおびえたが、 「大丈夫、この人はあたしの乳母だから、少しも怖くありません」  花世の一言で落付いた。 「お嬢様、本当にこちらの子供さんが麻太郎様と源太郎様のお友達なのですか」  乳母が握り飯を食べている姉弟を眺めて、うさんくさそうにいい、麻太郎と源太郎はぎょっとしたが、花世は、 「そうです。麻太郎様と源太郎様のお知り合い」  けろりといってのけている。おまけに姉弟に向って、 「またお腹がすいたら、いつでもいらっしゃい。この裏門はあいているから、かまわず入って来て、あたしを呼びなさい。乳母から女中達にもよくいっておいてもらいますから」  いい気持そうに教えている。  止むなく、麻太郎が、 「御厄介をおかけしますが、何分よろしくお願い申します」  とお乳母さんに頭を下げ、源太郎がそれに習った。  なんにしても、お乳母さんがじっと眺めているので、麻太郎も源太郎もそわそわして、姉弟が握り飯を食べ終るのを待って、 「どうも御馳走様でした。では、送って行きますので……」  と挨拶をして、源太郎が市松をおぶった。  麻生家の人々に見送られ路地を出て武家屋敷沿いの道を大川へ向って西に行くと、やがて十字路に出る。  そちらへ歩きながら、源太郎がおさちに、 「家はどこだ」  と聞いたが、おさちは返事をしない。  十字路へ出たところで、漸く顔を上げた。 「弟と二人で帰れますから……」  丁寧に頭を下げ、源太郎の背から下りた市松の手をひいて道を左へ折れ、高橋を渡って霊巌寺の方角へ歩いて行った。  暫く見送って、 「麻太郎君、帰りましょう」 「そうだね。帰ろう」  二人の少年は小名木川沿いを大川へ向い、いつもの道へ出て八丁堀へ戻った。  五日後、語学の勉強に麻生家へ行って、麻太郎が花世に、 「あの後、来ましたか」  と訊ねると、少しばかり憂鬱そうに、 「来ません」  という。 「乳母にも女中にも、よくいってあるのに」  不満そうな口調だったが、麻太郎はいくら裏門といっても、こんな立派な旗本の屋敷にあの姉弟が自分から入って来られる筈はないと思っていた。それは源太郎も同じ意見で、 「どうしていますかね」  と心配している。姉弟の住居は深川の冬木町だと、花火の日に聞いていたので、 「今日、帰りに寄ってみましょう」  と源太郎がささやき、麻太郎もうなずいた。  ところが学習を終えて麻生家を出て高橋の方角へ道を行くと、裏門から花世が走り出て来た。 「あの子供達の所へ行くのなら、お土産《みやげ》がなくては……」  両方の袂をふってみせる。大きくふくれた袂の中には小風呂敷に包んだ饅頭や台所から失敬して来たらしいまくわ瓜まで入っていて、 「袂が切れますよ」  源太郎がそれらを取り出して一まとめにし、結局、源太郎が持った。  二人の少年が歩き出すと、花世も当然といった顔でついて来る。その花世へ帰れという勇気は麻太郎にも源太郎にもなくて、三人が高橋を渡り、霊巌寺の門前を通り抜けた。  やがて仙台堀へ架る海辺橋を渡る。そこで源太郎が冬木町への道を訊いた。  教えられた道は仙台堀沿いで少し行くと寺だらけになる。その先が冬木町なので、三人はなんとなく路地へ入った。  長屋というのは路地の奥にあると、源太郎が心得ていたからだったが、入ってみるといきなり五軒続きの長屋が細い道の両側にある。どの家もしんとして人の気配がないのは商売に出ていて留守なのかと源太郎が小さな声で二人にささやいた。  突き当りは井戸のようであった。  不意にそっちから押し殺したような男の声が聞えて、三人は足を止めた。  声に子供の泣き声がまじっているようである。  源太郎を先頭に三人が声のする家の前へ行った。障子が閉っているが、大きな破れがある。そこからのぞいた源太郎と麻太郎が息を飲んだ。  男が手に火のついた線香を持っている。それを小さな子供の背中や尻に押しつけていた。  子供が泣くと容赦なく殴りつけ、蹴った。子供が市松とわかって麻太郎が戸に手をかけようとした時、路地を走って来る音がした。  おさちはのぞいている三人の間をすり抜けるようにして障子を開け、内へとび込むと弟をしっかり抱きしめた。 「この野郎」  男がおさちを張り倒し、そこへ麻太郎と源太郎がとび込んだ。 「やめなさい。手荒なことをするな」  ぎょっとした様子で男が棒立ちになった。 「こんな小さな子に乱暴をするな」  源太郎が叫んだのと、表にどやどやと人が近づいて来たのが同時で、花世の声が、 「ここです、この家です」  と教え、長助の下っ引の七造と大家の婆さんが入口に立った。  男が優しい調子で七造にいった。 「何ですえ、親分」  七造が出端をくじかれた感じで答えた。 「手前、子供を折檻してたんじゃねえのか」 「ご冗談でしょう。いえね、この餓鬼が饅頭を食いすぎるんで、いい加減にしねえと腹をこわすって叱ったんですがね。それでもいうことをきかねえから尻を一つひっぱたいただけなんで……どちらの坊ちゃん方か知らねえが、いきなり入って来て、こっちは面くらっているところでさあ」  源太郎が七造にいった。 「こいつのいうことは嘘だ。線香に火をつけて、子供の背中に押しつけていた」  男が手をふった。 「とんでもねえ。線香はあっしが灸をすえようとつけたんで……この坊主も始終、腹をこわすんで、お新の奴がさっき、熱くねえように二つ三つすえてやっていましたが、嘘だと思ったら、お新の奴に聞いて下せえ」 「お新はどこへ行ったんだ」 「湯屋ですよ。大方、もう帰って来るだろうが……」 「帰って来たよ。お新さん」  大家の婆さんが入口を出て行きながら知らせ、駒下駄の音が家の前へ来た。 「どうしたんだね。お前さん」  男が入口まで出て行った。 「困っちまうよ。親が子供を叱るのに、どこかの坊ちゃん方が大さわぎをしなすってさ」  七造がそっと源太郎と麻太郎を外へ出した。  その七造に洗い髪の若い女が愛敬たっぷりに頭を下げた。 「御厄介をかけてすみません。うちの人は声が大きいもんだから、知らない人が聞いたら何をしてるかと思われちまう。ここんとこ市松がいうことをきかなくなっちまって……男の子はちょっと大きくなると女親の手に負えませんからねえ」 「だからって、あんまり手荒なことをするんじゃねえ。なんてったって、まだ小せえんだから……」 「本当にどうもすみません。あたしからよくいっときますんで……」  七造と入れかわりにお新が入口を背に三人の子と向い合った。 「どちらの坊ちゃん嬢ちゃんか知りませんけど、御親切にありがとう。でも、心配なことなんぞなんにもありませんのでね。どうぞお引取りになって下さいましな」      三  七造がなだめすかすようにして三人を長寿庵まで伴って行ったが、長助は畝源三郎について町廻りへ出かけているから、店にはいない。ということは源太郎の父、畝源三郎もまだ八丁堀の屋敷には帰っていない。 「父上も、まだお戻りにはならないよ」  麻太郎ががっかりした声でいい、花世が思いついた。 「東吾の小父様の所へ行きましょう」  そうだ、と二人の少年が目を輝かし、三人がひとかたまりになって長寿庵をとび出した。  息を切らせてやって来た三人から、東吾は根気よく話を聞いた。 「よくわかった。あとは俺にまかせろ」  花世は嘉助に送らせ、麻太郎と源太郎は八丁堀まで東吾がついて行き、各々の屋敷へ戻るのを見届けた。  その足で長寿庵へ向う。  長助は帰って来たばかりで、七造の話を聞いていたが、その表情は冴えなかった。  お新と辰三が二人の子供をつれて、長寿庵へ蕎麦を食いに来たという。 「仙台様の花火の日から数えて三日目でござんした」  辰三はまめまめしく市松の面倒をみ、帰る時には背中におぶって行ったという。 「まあ、仲のいい夫婦が子供連れで飯を食って行ったといった按配で……」 「花火の日から三日目か」  ということは、麻太郎と源太郎が長寿庵の物干場から花火見物をしていて、市松を足蹴にした辰三を目撃し、東吾が念のため長助に話をして、長助が大家を通してお新と辰三に注意をした後ということになる。 「そいつはちょいと芝居臭くないか」  よりによって長助の長寿庵へやって来て、市松をかわいがっているように見せつける。 「そうおっしゃられれば、女の子のほうはひっそりと蕎麦を食っていて、辰三が話しかけてもあまり返事をしなかったような気がします」  長助が女房を呼んで意見を訊くと、おえいははっきりと、あれはどこかぎこちなく見えたといい切った。 「俺はお新の働いている一膳飯屋へ行ってみようと思うんだ。辰三のいない所でお新と話をしてみたい」  東吾がいい、長助が案内について門前仲町へ行った。  お新の働いている一膳飯屋へ着いて、先に店へ入った長助がすぐに出て来て、 「辰三の奴が二人の子供をつれて来て、一緒に飯を食って居ります」  という。暖簾から窺ってみると、成程、辰三が市松を膝に抱いて、しきりに飯を養ってやって居り、それを働きながらお新が嬉しそうに眺めている。  店へは入らず、東吾が歩き出し、長助が続いた。 「俺は麻太郎や源太郎の見た目を信じているんだ」  花火の日の出来事から考えても、辰三やお新が世間をとりつくろっているに違いないと東吾はいった。 「子供に線香の火を押しつけたり、蹴とばしたりするような男に、子供がなつく筈がない。なつかないから憎いというより、最初から子供は邪魔っけだったんだろう」  子供にろくな飯も食わせず、憂さ晴しに折檻して死ねよがしに扱う。 「ですが、お新にとって二人の子は我が子なんで……」 「男に溺れて目が見えなくなっちまったんだろうな。そうとしかいいようがないよ」  とりあえず、二人の子を母親の手許からひきはなすことだと東吾はいった。 「お新の身内で、頼りになりそうな奴はいないのか」  長助が途方に暮れた。 「親はとっくに死んじまったそうで。姉さんが一人、どこかの岡場所で働いているってえ話ですが……」 「岡場所の女郎じゃ仕様がないな」  ここまで来たのだから本所の麻生家へ行って来るといった東吾に、長助は当分、冬木町の長屋を見張って、辰三がもし邪慳《じやけん》な真似をしたら番屋へひっ立てるという。 「そいつは無理だ」  親が子を仕置して何が悪いと居直られるだけだと思う。 「辰三という奴、けっこうしたたからしいぞ」  麻生家へ行くと宗太郎が、 「花世は湯に入っています。今まで話を聞かされましてね」  なにより気になったのは市松という子のことで、 「その子の体を調べてみれば、灸の痕か、線香で焼かれたのか、すぐにわかります。花世の話ではどうもその子はかなり弱っているらしい。なるべく早くここへつれて来て手当をしたほうがよいように思うのですよ」  と眉をひそめる。 「何分、その時はよろしく頼む」  顔を合せると、花世の頭に血が上るだろうからと、東吾は麻生家から八丁堀へ廻った。  神林家では兄の通之進《みちのしん》が弟を迎えた。 「麻太郎は今、寝たよ。すぐには寝つかれまいと香苗《かなえ》が心配してついて行った」  通之進の心配も子供のことで、 「もう少し大きければ、よい所へ奉公にやることも出来ようが、どうも幼なすぎるようだな」  と思案顔である。 「これから、源さんの所へ寄ります」  重い気分で畝家へ行った。 「源太郎は寝ましたよ。話すだけ話したので多少、気がすんだようでもありますが……」  市松については、源三郎の考えも通之進と同じで、 「養子先を探すにせよ、親がその気になってくれねば、お上が子さらいをするわけには行きません」  子いじめをしていることを世間にかくそうとし、飯屋へ連れて行ったりの芝居をしてみせるのは、やはりお上をおそれているからで、子供を養子に出さないかといわれて、素直に承知をするかどうかと、源三郎はうがったことを考えている。 「けれども、捨てておいて子供に間違いがあっては取り返しがつきません」  辰三から目を離さないことだが、子供の母親と一緒に暮している男だけに厄介であった。 「親が子供に何をしようと親の勝手という考え方がありますのでね」  早い話が、親が食うに困って娘を吉原へ売ろうと、お上はとがめるわけに行かない。 「孝行娘を持って親は幸せだということになります」 「俺は源太郎達に請け合ったんだ。まかせておけとね」 「それは手前も同じですよ」  夜が更けて、東吾は「かわせみ」へ戻った。  長助は下っ引を動員して冬木町の長屋を見張らせた。市松が外へ出たら、とにかく麻生宗太郎の許へ連れて行こうと考えたのだが、子供達は一向に長屋から出て来ない。 「辰三の奴も、ずっと家に居ります。出かけるのは働いているお新だけで……」  大家の婆さんにも、長屋の連中にも聞いてみるのだが、子供の泣き声は聞えないという。 「以前は、けっこうぴいぴい泣いていたというんですが……」  それでも子供が泣くのは当り前で、誰もなんとも思わなかったらしい。 「親はしょっちゅう子供をどなりつけますし、子供は泣くのが商売みてえなところがございますんで……」  長助はしかめっ面をして冬木町界隈をうろうろしているが、御用聞きがお新一家にだけかかわり合ってもいられない。それでも、七造が、 「市松はどうしている。具合が悪いようなら、いいお医者が診て下さるっていうんで、俺が連れて行ってやるが……」  と声をかけてみたが、 「坊主は元気だよ。飯もよく食うし、なんにも心配はねえ」  と辰三が返事をすれば、それでもということも出来ない。  そして三日。お新の隣に住む長屋の者はおさちが泣き声で、 「おっ母さん、市松が……」  という声を耳にした。続いて辰三がもの凄い勢いで家をとび出して行くのを井戸端にいた女達が見送った。  仙台堀の岸辺から辰三が小さな子供を水中へ投げ込んだのを、通りがかりの屋根舟の船頭がみて、慌ててその近くへ漕ぎ寄せた。  岸のほうからも、それを見た者があって番屋へ知らせ、やがて長助もかけつけて来た。  舟が仙台堀を右往左往して探し廻ったが、小さな市松の体は遂に上らなかった。  辰三は召し捕られて吟味を受けた。 「親が子を殺した場合、罪は罪ですが、案外、軽くて百叩きの上、江戸追放くらいで済んでしまいがちです。ですが、辰三の場合、お上も考えまして……」  お新は松五郎の女房で、亭主は出奔したものの、お新に離縁状を渡していない。 「つまり、お新は亭主のある身ですから、辰三とは夫婦にはなれない。辰三は赤の他人の子供を殺したことになります」  吟味方与力の神林通之進が、いたいけな子供を殺害するのは人にあらず、鬼の所業と断じたのがきっかけになって、辰三は遠島と決ったと、畝源三郎が東吾に話したのは、事件から五日目、この種のお裁きとしては異例の早さであった。 「市松の命は戻って来ませんが、せめてもという気持です」  但し、お新にはおとがめがなかった。 「源太郎が申したのですが、花世さんがおかんむりだそうですよ。何故、不届な母親におとがめがないのかと……」  源三郎が苦笑し、東吾が答えた。 「そりゃあ、おさちのためさ。たった一人の母親が罪人になっちまったら、おさちの行く先はどうなる。お上のお情ってものだよ」  たしかに、お新は情人をかばって子供が虐待されるのを手をつかねていたようだが、我が子を殺してはいない。 「まあ、わたしなぞは直接、手を下さないまでも、市松が死に至るまで眺めていたようなものですから、同罪といってやりたい気持はありますがね」  という源三郎の言葉を聞いて、東吾はよくよく吟味中のお新の印象が悪かったのではないかと考えたのだったが、はからずもそれが裏付けられたのは、本所の麻生家へ行こうと源三郎と別れて深川佐賀町まで来かかった時である。  長寿庵の前で女が派手な声でさわいでいる。 「うちの人が市松を殺したんじゃありませんよ。市松は病気で死んだんです。うちの人はかわいがっていた子が不意に死んだんで、びっくりしちまって、なにがなんだかわからなくなって水の中へ投げたんです。気がおかしくなってやったことなんですよ。どうかそこんところをお上に申し上げて、うちの人を許して下さるように……親分、後生ですから……おたのみしますよ」  足を止めて東吾が見ていると、ひとしきりどなりまくって、お新はやがてあきらめたらしく、とぼとぼと仙台堀のほうへ歩いて行く。  長助が店から出て来て、東吾の前へ来た。 「お出でになったのはわかっていたんですが、お新の奴がとんでもねえことをいって来ていまして……」 「あいつ、市松を殺されたっていうのに、辰三を怨む気持もねえんだな」  憮然として東吾が呟《つぶや》き、長助が怒りを顔に出した。 「情ねえといいますか、お取調べの最中もああいったことばかり口走るもんですから、畝の旦那も内心、御立腹のようでした」  長助と別れて本所へ向いながら、東吾は困惑していた。  お新のあの様子をみては、とても花世に対してお新の立場の弁護をする気にはなれない。  女が男に狂うと、子供の命は虫けらになってしまうのかと重い気持でふと、仙台堀の岸を見た。  そこにお新がいた。  草むらに咲いていたのだろう河原撫子や夕顔や、手当り次第にむしり取った花をわが子が殺された仙台堀へ向って投げている。  水へ落ちた野の花の脇を猪牙《ちよき》が威勢よく漕いで行った。 [#改ページ]   浅草寺《せんそうじ》の絵馬《えま》      一  山王祭が終って間もなく、るいが老番頭の嘉助をお供にして馬喰町の藤屋を訪ねたのは、先代の久兵衛の後家のおせんが歿《なくな》ったと知らせがあったからである。  藤屋は馬喰町で一、二を争う旅籠《はたご》で、その昔、るいの父親、庄司源右衛門が健在で定廻り同心をつとめていた時分からの知り合いであった。  とりわけ、父親の死後、るいが八丁堀の組屋敷を出て、宿屋稼業をはじめる際には親身になって面倒をみてくれて、自分のところの常連客まで紹介して、なんとか商売が軌道にのるよう尽力を惜しまなかった。  以来、今日まで「藤屋」と「かわせみ」の交誼は変ることなく続いている。  で、柳島へ隠居していたおせんが患《わずら》いついてから何度か見舞にも行き、好物を届けなどしていたのだったが、よもや、こんなにも早いあの世への旅立ちとなろうとは思ってもみなかった。  その思いは悴の藤兵衛も同じだったようで、突然、母親を失った悲しみに茫然自失の体で、女房や奉公人達も途方に暮れている。 「早速、お運び下さいまして、かたじけないことでございます。おっ母さんがどんなに喜んで居りますか。どうぞ、顔を見てやって下さいまし」  藤兵衛にいわれて、るいはおせんの死顔に対面した。安らかな、いい表情で、今にも、 「おるいさま」  と呼びかけそうに見える。涙があふれて、るいは声を忍んで泣いた。この人から、客あしらいについてどれほど多くを学んだことかと思う。宿屋の女主人として、どうすれば客に喜んでもらえるか、何を心がけるべきか、出すぎず、ひかえめすぎず、女主人の立場をわきまえるように、微に入り細にわたって教えてくれたおせんの優しさが瞼に浮んで来て、るいは畳に手を突いて深く頭を下げた。 「長いこと、ありがとうございました。教えて下さったこと、一生、忘れません。おせんさんの思い出と一緒に、生きている限り……」  藤兵衛夫婦が泣いた。  るいは通夜の仕度を手伝い、弔問の客が来るようになってからは、家族の傍にいて客への応対をした。  藤屋を出たのは、弔問の客がすべて帰ってからで、今夜は家族が仏を囲んで昔話をするという。 「お寂しいでしょうけれど、時がだんだんとお気持を癒《いや》してくれるのではありませんか」  るいの言葉に、藤兵衛がうなずき、遠慮がちにいい出した。 「かような時に厚かましいお願いでございますが、実は竜閑町代地の日野屋のほうから紹介されて、上方《かみがた》からお出でになる大事なお客様を三組ばかり、手前どもへお泊り頂くことになって居りましたのですが……」  日野屋というのはやはり江戸の旅籠で、藤兵衛の女房の実家であった。 「思いがけず、かような仕儀となりまして、ここ何日かは人の出入りも多く、とても新しいお客様をお迎え申せる状態ではございません。日野屋のほうからも心配して参りまして、もし、おるい様にお願い出来るようならと……」  るいが嘉助を見、嘉助が即座に返事をした。 「三組のお客様とおっしゃいますと、部屋数はどのように……」 「皆様、大店《おおだな》の御主人で、お供の方とは別部屋に出来ればとの御註文で……」  つまり、供部屋付の部屋、廊下からふみ込みの部屋の他に二部屋が襖で仕切られるようであったほうがよいという。 「その代りと申しては何でございますが、宿賃のほうは五百文でもかまわないと……」  嘉助が苦笑した。 「素泊りでございましたら、そんなには頂きません。お気に召すかどうかは別として、御註文のような部屋を三つ御用意出来ると存じますが……」  るいが、ほっとした表情でいった。 「かわせみがお役に立てれば何よりでございます」  藤兵衛が何度も頭を下げた。 「お客様は皆様、大坂の堂島界隈に店をお持ちの旦那様方でございます。明日にもお着きになるとのことで、日野屋が御案内して参りますので、何分、よろしゅうお頼み申します」  大川端の「かわせみ」へ帰って来たのは深更であった。  東吾はお吉と帳場にいて、くぐり戸から入って来たるいと嘉助を、 「御苦労だったな」  といたわった。すぐにお吉が用意してあったお清めの塩をふり、そこで日野屋から廻される客の話になった。  部屋のほうは嘉助がきっぱり返事をしたように、少々のやりくりをすればなんとかなる。 「他ならぬ藤屋の頼みだ。出来るだけのことをしてやるといい」  東吾がいい、お吉は早速、嘉助と打合せをはじめている。  夫婦の部屋では蚊帳《かや》を吊った奥の間で千春が大の字になって眠っている。 「お母様がお帰りになるまで起きているとか、えらそうなことをいっていたんだがね。俺が帳場にいるお吉の所へ行って戻って来てみると、一人で蚊帳へ入って寝ていたんだよ」  少しずつ、手がかからなくなって行く一人娘の成長ぶりを笑い合いながら、話は藤屋の夫婦のことになった。 「藤兵衛さんは母親っ子でしたから、おせんさんを隠居所へ移すのも内心では反対のようでしたの。でもおせんさんがお嫁さんに気がねしてさっさと別居してしまいましたから、急に歿られるとそんなことまでつらくなるようでした」 「あそこの夫婦はまだ子供がなかったな」 「随分、神信心などしているようですけど……」 「その中《うち》、出来るよ。神様だって賽銭の只取りはしやあしめえ」  東吾が茶化してお終いになってしまった。  翌日、ぼつぼつ日が暮れようという時刻に、日野屋の主人、伊之助が上方からの客を伴って「かわせみ」へやって来た。  一行は米問屋・播磨屋助左衛門、干鰯《ほしか》問屋・淡路屋禄右衛門、紙屋七兵衛、綿問屋・高砂屋孝太郎で、播磨屋には手代の杉之助と仙三郎、淡路屋には手代の宇之吉が供について来ているので、総勢七名であった。  とかく金持の客は我儘で厄介な人が多いので、「かわせみ」の面々は緊張して出迎えたのだったが、 「これはええ御宿や。町中《まちなか》と違うて、ゆっくり出来そうな……」  のっけから気さくな挨拶であった。  部屋割のほうも問題がなくて、播磨屋と淡路屋は供部屋のある、「かわせみ」では最も上等の客室へおさまったが、紙屋七兵衛と高砂屋孝太郎は年齢が若いせいもあり、道中は二人一緒の部屋へ泊って来たという。それでも、 「わたしは酒が入ると鼾《いびき》がひどうなるので、道中、高砂屋さんには迷惑をかけて来たと思います。狭うてもかまへんさかい、別々の部屋にしてもろうたほうが助かります」  と紙屋七兵衛がいい、二人は二階の部屋へ案内された。それでも、ふみ込みの三畳に六畳という、一人で泊るには充分の広さのある客室であった。  江戸の旅籠の大方は素泊りだが、「かわせみ」では註文しておけば朝は勿論、晩餉も用意出来ると聞いて全員が喜んでいる。  大坂から江戸まで一緒に旅をして来たが、江戸での用事は各々で、淡路屋禄右衛門と紙屋七兵衛は日野屋に泊っている他の三組の知人と、江戸での用事が済み次第、日光見物に出かけることになっているらしい。  高砂屋孝太郎はその間に川越まで行く用事があり、播磨屋助左衛門は以前に日光見物は済ませたとかで、 「わてはゆっくり江戸を見物さしてもらいまっさ」  ずっと「かわせみ」に滞在すると決めている。 「かわせみ」の華板は以前、上方料理の店で修業していたこともあるので、あらかじめ、上方からの下り醤油を用意し、せいぜい気をつかって晩餉の膳を調えたところ、これが思った以上に喜ばれて、播磨屋助左衛門から一行を代表して料理人に祝儀が出た。  女主人は美人で色っぽいし、部屋よし、飯よし、奉公人の躾《しつけ》よしで、おまけにここの旦那は剣術《やつとう》の達人だから盗人なんぞは怖れて近づかないと、そういった話が日野屋に泊っている仲間の耳にも入って、 「あんた方はえらい得をしましたなあ、わしらはとんだ貧乏|籤《くじ》やないか」  と羨しがられたなぞと、播磨屋助左衛門と淡路屋禄右衛門が帰って来て「かわせみ」の女中達に話して、お吉や嘉助はやれやれと胸をなで下した。      二  明日は日光見物組が「かわせみ」を出立するという日に、るいはお吉と共に浅草の安行寺へ出かけた。  藤屋の隠居、おせんの初七日の法要に参列するためで、その帰り道、浅草寺の門前を通る。 「折角、ここまで来たんですから、ちょっとお詣りをして参りましょう」  とお吉が勧め、境内入口の総門をくぐった。俗に雷門と呼ばれているが、正式には風神雷神門、或いは風雷神門で、左右に風神雷神の神像が安置されている。いってみれば浅草寺の顔のようなものだが明和四年四月九日に火災で焼失し、るいとお吉が入った雷門はそれから二十数年も経って寛政七年に再建されたものであった。  雷門から本堂までは敷石の道で両側には参詣人相手の店が軒を並べている。  その後は浅草寺の支院で、鹿島大神宮を祭った日音院、秋葉不動明王を祭る金蔵院、弁財天の松寿院などが延々と続き、やがて二十軒茶屋と呼ばれている腰掛茶屋が並ぶ。  正面には二王門、右に五重塔が聳《そび》えて、そのあたりは楊枝屋だらけであった。 「本当に何度お詣りに来ても、こちらの境内は広すぎて……」  自分からお詣りして行こうといったくせに、お吉は手拭で汗を拭きつつ、境内の茶店を眺めている。 「お詣りがすんだら、お吉の好きな所でお茶でもお団子でも、ゆっくり休ませてあげるから……」  と、るいがはげましながら、漸く本堂へたどりついて、観音様に合掌した。  参道はかんかん照りだったが、本堂の中はほの暗い分、ひんやりして風も吹き通す。  本堂には多くの絵馬が掲げられていた。  絵馬堂は別にあって、ここにあるのは高名な絵師によって描かれたもので、大型ばかりであった。  目立つのは天明年間に奉納されたという高嵩谷《こうすうこく》の「源頼政|鵺《ぬえ》退治」や、嵩谷の弟子、高嵩渓《こうすうけい》の「猩々舞《しようじようまい》」、堤|等琳《とうりん》の「韓信股《かんしんまた》くぐり」などだが、その他にも花鳥、山水など見事な絵馬が壁を埋めている。 「あら、あんな所に高砂屋さんが……」  お吉が気づいて、るいもそっちを眺めた。  暗さに目が馴れて、絵馬の前に立っている男の姿が判る。お吉の声で男がこっちをふりむいた。高砂屋孝太郎である。  るいが会釈して近づいた。 「お詣りでございましたか」  孝太郎が眩しそうな目でるいをみた。 「近所まで用たしに参りまして、ついでと申しては罰が当りますやろか」  苦笑したのが若々しかった。 「手前共は知り合いの法事で、この先のお寺へ参りまして、その帰り道でございます」 「左様で……」  うなずいて別に頭を下げた。 「では、手前はまだ寄る所がございますよってに……お先に……」  暮れるまでには戻るとお吉に念を押して本堂を出て行った。 「あちら、二十五だそうですよ。この春、大旦那が隠居してお店《たな》を継いだばかりだとか、お石が晩餉のお給仕に行って聞いたみたいで……まだ、お独りだっていいますよ」  後姿を見送ってお吉がいい、るいは高砂屋孝太郎が眺めていた絵馬へ視線を向けた。  それは、観音像を描いた絵馬であった。手に魚籠《びく》を提げているから、魚籃《ぎよらん》観音であろうか、白い御顔が柔和であった。 「きれいな観音様ですね」  るいと並んで見上げたお吉がそっと手を合せた。絵馬ながら、なんとも神々しい。  本堂を出て、茶店で休み、奥山のほうから聞えて来る太鼓の音に心残りなようなお吉をせき立てて、るいは大川橋の袂、竹町の渡しに近い船宿から舟を頼んで大川端へ帰った。  翌日、予定通り淡路屋禄右衛門と紙屋七兵衛が日光見物に、高砂屋孝太郎が川越へ向って、「かわせみ」に残ったのは播磨屋助左衛門とそのお供二人になった。  勿論、「かわせみ」にはその他にも泊り客はあるが、なんといっても同業者から紹介された客というのは有難い反面、気骨が折れる。  助左衛門は連日、江戸の名所を歩き廻り、絵を描いたり、俳句を作ったりと楽しんでいる様子であった。お供にはもっぱら手代の杉之助を連れて行き、もう一人の仙三郎のほうはついて行ったり行かなかったりと好き勝手をしているようであった。  で、嘉助がそれとなく訊いてみると、仙三郎というのは播磨屋の奉公人ではなく、江戸へ出て来るに当って知り合いへの土産などの荷が多かったので、日頃、店へ出入りをしている仙三郎を荷物持ちとしてやとって来たというものであった。 「うちの旦那様は芝居が大変お好きでございまして、仙三《せんざ》さんはそっちゃのほうに顔がきくお人やそうで、ま、いうたら、そないな御縁で店に出入りしてはります」  という杉之助の口調には、仙三郎を軽んずるところがある。  助左衛門の供をしない時の仙三郎は自分の気儘に江戸見物をしているようであった。  その仙三郎に東吾が出会ったのは、両国橋の西の橋詰であった。  軍艦操練所の仲間と柳橋の万八という料理屋で納涼の集りがあり、ひとさわぎしてから三々五々と表に繰り出した。  折柄、大川の上には誰が施主になったのか盛んに打上げ花火が上っている。  大川の川開きは五月二十八日だが、それから三カ月間、両国界隈の盛り場は水茶屋も見世物小屋も夜間の営業が許されていた。  その間は、金持が金を出して、毎夜、花火が夜空を彩る。  もともと、川開きの日に盛大に花火を上げるようになったのは、享保の頃、前年の飢饉で大勢の餓死者が出た上に、疫病が流行したこともあって、そうした死者の霊を慰め、同時に悪疫退散を祈願する水神祭の催しの一つとしてであった。  無論、それ以前にも大川で花火の打上げは行われていたのだが、あまり大規模なからくり花火や流星と呼ばれるようなものは町触《まちぶれ》で禁止されていた。  それが享保以後は供養という名目で派手な花火も黙認され、江戸の夏の名物になって来たものだ。 「東吾さん」  と声をかけられてふりむくと町廻りを終えての帰りだろう、畝源三郎が暑苦しい顔で長助と小者一人を従えて立っている。 「驚いたな、こんな時刻まで御用の筋か」  この律義な友人の仕事熱心は承知していたが、 「あんまり無理をするなよ。おたがい、もう若くはないんだ」  体をこわしはしないかと気遣った。 「東吾さんらしくもない台詞《せりふ》をきくものですね」  苦笑して、源三郎も折柄、たて続けに上った流星花火に目を上げる。 「それにしても、この暑いのに、よく人が出て来るものだな」  両国橋の袂は盛り場で掛け小屋が並び、食べ物を商う夜店に人がたかっている。水茶屋は立錐の余地もない有様であった。 「まあ、わあわあ騒いで暑さを忘れるというのも、納涼の一つなのでしょう」  花火が消えて、それをしおに四人が歩き出したところへ、人ごみをかきわけるようにして一人の男が逃げて来た。  どこかで見た顔だと思い、すぐに東吾は気がついた。 「あんたは播磨屋のお供じゃないか」  仙三郎はぎょっとしたように東吾と連れ立っている畝源三郎を眺めたが、 「俺はかわせみの用心棒だよ」  東吾にいわれて、ぎこちなく近づいて来た。 「どうしたんだ。追われているようだったが……」  訊かれて、背後をふりむいた。  人がごった返している夜の盛り場は、どれが仙三郎を追って来た人間か、まるでわからない。  なんとなく四人が仙三郎を囲むような恰好で歩き出し、暫く行ってから仙三郎が漸く口を開いた。 「江戸は怖い所でございますね」  花火を見物しながら歩いていると、いきなり胸倉をつかまれたという。 「何が何やら、夢中で逃げて参りました」  長助が訊いた。 「お前さん、懐中物なんぞ盗《と》られちゃあいませんかね」  仙三郎が懐に手を入れて笑顔をみせた。 「大丈夫でございました」  柳橋から猪牙《ちよき》で永代橋の袂へ下り、長助は深川へ、畝源三郎は八丁堀へ、東吾は仙三郎を伴って「かわせみ」へ戻った。      三 「あいつとは両国橋の袂で出会って一緒に帰って来ただけさ」  とだけしか東吾は「かわせみ」の面々に語らなかったのだが、仙三郎のほうは、 「江戸に馴れない者が盛り場なぞを見物に参るものではございません。こちらの旦那様にお目にかかった時は、ほんまに地獄で仏さんに会うたような心地で……」  と女中達や嘉助にまで話して、それが東吾の耳にも入って来る。 「仙三郎という客のことだがね。あいつ上方生まれの上方育ちじゃなさそうだな」  言葉づかいなど少々、気になることもあって東吾が嘉助にいってみると、 「おっしゃる通り、育ったのは江戸の猿若町だとのことで……」  自分が直接訊いたのではないが、と、最初に断ってから告げた。 「すると、芝居者の子か」 「子供の時分、そこで使い走りのようなことをして育ったが、自分は捨て子だったとお石《いし》に申したそうでございます」 「捨て子だと……」  よくそんな話を宿の女中にしたものだと東吾が笑った。 「あいつ、お石に気があるんじゃないか」  江戸へ出て来て「かわせみ」に奉公した当時のお石は、山出しの猿公《えてこう》だの、大力《だいりき》お石だのと渾名《あだな》がついたくらい、男か女か区別のつかないような少女だったが、心がけのよい働き者で、この節は女中頭のお吉の代理もつとまるほどに成長している。肌の色は浅黒いが江戸の水で洗って肌理《きめ》が細かくなり、目鼻立ちの整ったなかなかの器量よしで、もはや、猿公には程遠い。 「お石は利口者ですから、笑って相手にしませんが、お吉さんなんぞはけっこう同情して居ります……」  仙三郎もお吉が一番話しやすいとみえて、折に触れて身の上話を聞いてもらっているようだと嘉助はいう。  で、東吾がお吉に水を向けてみると、待っていましたとばかりに喋り出した。 「世の中には、けなげな人もあるものだと感心しましたよ。親に捨てられたっていうのに親をちっとも怨んでいないんです。我が子を捨てるからにはよくよくの事情があったんだろうなんていいましてね」 「親の手がかりはないのか」 「なんにもないそうですよ。名前だって拾って育ててくれた人がつけたといいますから……」  猿若町で飴売りをしていた老夫婦に拾われて、夫婦が行商に歩くのについて行った。 「もっとも、その頃のことは何も憶えちゃいないそうです」 「捨てられたのはいくつの時なんだ」 「それもよくわからないんですよ。まあ、三つぐらいにはなっていたんじゃありませんかね」  仙三郎が話すのは、始終、腹がすいていたこととか、雨が降って寝る場所を探すのに苦労した思い出なぞで、 「上方へ行ったのは、今から十年ばかり前で、江戸へ初上りだった人形一座に気に入られてついて行っちまったんですと」 「あいつ、三十にはなっているのだろうな」  捨てられた時の年齢がわからないのでは計算の仕様がない。 「当人は二十六、七だといっていますがね」  子供の時から苦労して育てば、実年齢より老けてみえるのかも知れない。 「独り者なんだろうな」 「ええ、上方の水は自分には合わない。所帯を持つならやっぱり江戸だと思っているようですけど、この御時世、おいそれといい仕事がみつかりはしませんでしょう」  手に職があるわけでなし、しっかりした身許引受人もない。 「播磨屋の主人が目をかけてくれているんだろう。江戸に未練なんぞ起さず、上方に根を下すことを考えたほうがよさそうだがな」 「あたしもそういってやったんですがねえ」  江戸へ出て来て、仙三郎はあまり外を出歩かないらしい。播磨屋助左衛門のお供をして江戸見物をするでもなく、せいぜい、永代橋を渡って深川の門前町を眺めて来る程度で、あとは「かわせみ」で女達を相手に、そうした身の上話をしているらしい。 「若先生と出会った夜は、あんまり花火がきれいなんで、つい、うかうかと両国橋まで行ってしまったんだそうですよ」  それで怖しいめに遭ったから、すっかり懲りて、今日は播磨屋助左衛門のお供をして出かけたという。 「播磨屋は、どこへ見物に行ったんだ」 「本所の萩寺だの、亀戸天神へお詣りして来るとか」  もう江戸の有名な社寺は残らず廻り尽してしまったのではないかと、お吉は感心している。 「本所か」  東吾が呟いたのは、萩寺と俗称される龍眼寺や亀戸天神は本所の東のはずれだが、大川へ向って戻ってくれば竪川は両国橋へ出る。  もっとも、昼間の両国橋界隈が特に物騒というわけではない。  八丁堀の道場へ出かける時刻が来て、東吾は大川端を出た。  道場にはすでに神林麻太郎と畝源太郎の姿もあって教えられた通りに竹刀《しない》をふっている。  夕刻まで稽古に汗を流して「かわせみ」へ戻って来ると、嘉助が、 「只今、播磨屋さんがお客様を連れてお帰りになりまして……」  大事な話があるというので、空いていた藤の間へ通し、るいが相手をしているという。  居間で一人遊びをしていた千春と風呂に入り、さっぱりして涼んでいると、るいが戻って来た。 「播磨屋さんのお供の仙三郎さんですけれど、今日、お見合をして来たのですって」  本所の萩寺へ出かけたのは、見物というより、それが目的だったという。 「相手の方は中川の近くで瓦屋さんをなすっている御主人の妹さんでお近さんとおっしゃる方ですけれど……」  見合の後、播磨屋が一緒に「かわせみ」へ連れて来て、兄妹と仙三郎と助左衛門と四人で藤の間で夕餉の膳を囲んでいるらしい。 「ということは、まとまったのか」 「あちらが仙三郎さんを気に入って、仙三郎さんも満更ではない様子でしたよ」 「随分と気の早い話だな」  驚いているところへ、お石が、 「播磨屋さんのお客様がお帰りになります」  と取り次いで来て、るいが立って行った。  東吾のほうも気になって、千春を抱いてさりげなく帳場を覗いてみると、娘というにしてはやや年をくっているものの、大人しそうな若い女が兄と思われる男と一緒に播磨屋と仙三郎に挨拶をしている。 「それやったら明日、お宅のほうへ仙三郎を連れて参じますさかい、何分、よろしゅう」  と助左衛門が上機嫌で挨拶し、兄妹はいそいそと迎えの駕籠に乗り込む様子であった。  居間へ戻っていると、お吉がまっ先に入って来た。 「まあ、世の中捨てたもんじゃないって申しますけど、いいことがあるものですね。仙三郎さんのあんな嬉しそうな顔はみたことがございませんでしたよ」  鼻をつまらせているところへ、るいが助左衛門だけを伴って来た。 「仙三郎はきまりが悪いというとりますので、とりあえず手前が御挨拶さしてもらいます」  仙三郎を江戸へ伴って来たのは、かねがね、彼が江戸で身を固めたいと願っていたからで、 「人は誰しも生まれた土地に思いのあるものやと存じます」  あらかじめ、江戸の知り合いに事情を文で知らせ、よい縁談でもあるようなら世話をしてもらいたいと頼んでおいたところ、日本橋の両替商の隠居が口をきいてくれて、漸く今日、当人同士をひき合せることが出来たと嬉しげに語った。 「お近さんと申しますお人は、一度、嫁入りして先方の親御さんと折合いが悪く、お子を流産したのがきっかけで離縁をとったそうでござります。そやけど、まことに気立のよい娘さんで、こちらは仙三郎の身の上をかくさず話しましたところ、かわいそうやともらい泣きをしてくれはりました。年は二十八いうことですが、仙三郎は年のことも、一度嫁いだことも、気にならんと申しますし、自分のような者と夫婦になってくれはるんやったら、生涯、お近はんを大事にしますいうて、嬉し泣きしよりました」  助左衛門にしても、こうとんとん拍子に話がまとまるとは思っていなかったので、骨折り甲斐があったと大喜びしている。 「こちらさんに御厄介になったのも、何かの御縁やと思います。何卒、仙三郎のことをよろしゅうお願い申します」  丁寧に頭を下げて播磨屋が居間を出て行き、東吾はるいと顔を見合せた。 「なんだか、もう話がきまったような按配だな」 「そんな雰囲気でしたの。御膳を召し上っている最中から……」  お近の兄の専之助というのは、僅かな酒で酔ってしまい、これで妹も幸せになれると手放しで喜んでいた。 「お近さんというのは体があまりお丈夫ではないみたいですね。御両親は早く歿ったそうですし、一人きりの兄さんとしては、出戻った妹さんのことを随分と心配していらっしゃったようですから……」 「瓦屋だそうだが、商売はうまく行っているんだろうな」 「老舗《しにせ》だそうですよ」  紹介者が日本橋の両替屋であった。 「老舗の娘が、二度目とはいっても仙三郎のような天涯孤独の男とよく一緒になる気になったな」 「お近さんって方がいってなさいましたよ。最初に嫁入りして姑や小姑や親類達からいいようにいじめられたんですって。一年の夫婦《めおと》暮しでも、御主人と二人きりで過したことは数えるほどだったとか」 「係累《けいるい》のないのが一番だと悟ったわけか」  それにしても慌しいまとまり方だと東吾はいったが、大坂から来ている助左衛門にしてみれば、ぼつぼつ江戸を去る日が近づいていることでもあり、少しでも早く仮祝言だけでも見届けて行きたいところであろうし、三十に近づいた妹を持つ兄の立場も、善は急げの気分に違いないのはわからなくもない。 「播磨屋というのは、随分と面倒見のいい旦那だな。いくら気に入って贔屓《ひいき》にして来た男といっても、江戸から流れて来た氏素性も定かではない奴に女房の世話までするというのは並みじゃないぞ」  播磨屋ほどの大金持がついているからこそ、瓦屋のほうも安心して妹と夫婦にしてもよいと考えたのだろうが、 「嫁をもらってからの暮しは、どうするんだ」  東吾の取り越し苦労に、るいが答えた。 「私が聞いたところでは、算盤《そろばん》が立つので瓦屋さんの手伝いをするとか、それに播磨屋さんからはお祝だと、かなりまとまったお金を頂くようですよ」  所帯を持つには充分すぎる金額らしい。 「金持って奴は、何を考えてるのかわからないな」  どうもすっきりしないと東吾は最後まで首をひねっていたが、翌日、播磨屋は仙三郎と共に駕籠をつらねていそいそと出かけて行った。帰って来たのは夕方で、 「いやいや、思った以上に大きな店でおましてな。瓦の他に、今戸のほうからの註文で土人形も仰山扱って居るし、火鉢なんぞもけっこうええもんを並べて居ってなかなか繁昌しとりました。あれやったら仙三郎も働き甲斐があるちゅうもんですわ」  と助左衛門がいい、仙三郎も満足そうであった。翌日は本町通りの呉服屋へ行って紋付や晴れ着の註文をするやら、瓦屋のほうから仲人を頼まれたという小梅村の名主が訪ねて来たりと、まことに慌しい。  八丁堀の道場に畝源三郎が顔をみせたのはそんな時で、 「多分、稽古が終る刻限かと思ってやって来たのですよ」  てっきり源太郎を迎えに来たのかと思った東吾に、ちょっと拙宅に寄って下さい、といった。  畝源三郎の屋敷へ行くと長助が来ている。 「この前、両国橋のところで一緒になった若い男のことですが、名前はたしか仙三郎といいましたね」  もう上方へ帰りましたかと訊かれて、東吾は瓦屋との縁談の話をした。 「どうも俺としては平仄《ひようそく》が合わない感じがするのだが、金持というのは気まぐれなのが多いというから、なんともいえねえんだ」  お千絵《ちえ》が暑気払いにと運んで来た酒を飲みながら東吾がいい、源三郎が腕を組んだ。 「実は、あの翌々日に、長助の所へ人が訪ねて来ましてね」  回向院の近くで小料理屋をやっている女主人の弟で、寿太郎という男だといった。 「当人は日本橋の青物問屋へ聟に入って居るそうです」  東吾が盃をおいた。 「いったい、何をいいに来たんだ」  源三郎にうながされて長助が膝を進めた。 「最初は口が重くて、はきはきものをいわねえんですが、根気よく訊いてみますと、両国橋の袂でうちの旦那や若先生と一緒になって柳橋から猪牙で行った男の名前を聞きてえってことでして……あっしがあの人は仙三郎といって上方から米問屋の御主人のお供をして出て来たようだと、まあ、あの時、舟の中で若先生がおっしゃった通りを申しますと、それでは人違いかも知れないとがっかりして帰りましたんで……」  その時はなんとも思わず寿太郎を帰した長助だったが、 「後になって、ちょいと気になりまして……」  翌日の町廻りの時に、思い切って畝源三郎の耳に入れた。 「手前も、かわせみに泊るような旦那衆のお供がとは思いましたが、東吾さんもお気づきだったように、あの時、仙三郎は誰かに追いかけられて逃げて来たように見えました。で、長助に寿太郎を訪ねて、話を聞いてくるよう申しました」  長助が少しばかりいいにくそうに続けた。 「人違いだと思うんですが、寿太郎の姉、つまり両国橋の西詰で小料理屋をやって居りますお俊というのには、歿った御亭主との間に一人娘が居りました。そいつが今から十年程昔のことですが、男に欺されまして……」  伊三造という板前で、格別、男前ではないが、女にはまめで優しい。 「わかったぞ、長助、一人娘がそいつの口車にひっかかって夫婦約束でもしたんだろう」 「それだけじゃございませんで、なんのかのといっちゃあ、娘から金をひき出し、あげくにどろんをきめ込んだんで……」  娘が貢いだ金は三十両近く、おまけに伊三造の子を妊《みごも》っていて、 「思いつめたんでしょうか、首をくくって死んだそうなんで……」 「その伊三造に仙三郎が似ているのか」 「回向院の寺男は似ていたと……」 「なに……」 「そいつが寺男に、お俊さんの娘のことを訊いたそうです。達者でいるか、聟はとったかと……」 「寺男は伊三造の顔を知っていたのだな」 「へえ、回向院へ行って寺男にも会って来ましたが、口をきいたこともないし、むこうは自分を知らないだろうが、寺男のほうはたまたまお俊さんの娘と伊三造が連れ立って回向院の御開帳をみに来た時、近くにいた者から、あれがお俊さんの娘の亭主になる男だと教えられて遠くからだが見たことがあるんだそうで……」 「寺男が仙三郎を……いや、伊三造に似た男を追いかけたのか」 「そのようで……ですが、そいつがうちの旦那や若先生と話しているのを見て、こりゃあ人違いだったかと思い直した。それでも、やっぱり気になって寿太郎に話をしたと申します」  東吾が立ち上った。 「源さん、どうも気になる。寿太郎って奴に会いたいんだが、長助を借りていいか」 「手前も一緒に行きますよ。寿太郎の店はすぐ近くですから……」  三人が夜の道を急いで日本橋へ出た。  青物問屋はもう大戸が下りていたが、長助が心得て、寿太郎を外に呼び出した。  定廻りの旦那に侍が連れ立ってやって来たので寿太郎はちぢみ上っている。 「どうもお上のお手数をおかけ申すようなことを致しまして……」  頭を下げるのに、東吾がいった。 「心配するな。別にとがめに来たんじゃないんだ」  あんたは「かわせみ」に泊っている仙三郎という男の顔を見たのかと東吾に訊かれて、寿太郎はかぶりを振った。 「どうして調べに行かなかったんだ。もし、かわせみに泊っている男が伊三造なら、あんたにとっては姪の敵《かたき》だろうが……」  寿太郎が慄《ふる》えながら答えた。 「実は、かわせみの前まで参ることは参りましたんですが、何といってお訊ねしてよいかわかりませんで、うろうろして居りましたら、番頭さんのようなお方が出て来られて、何か用かと訊かれまして、慌てて逃げ出してしまいましたので……」  東吾が破顔した。 「成程、そういうことだったのか」  嘉助が宿屋の番頭となって長い歳月が過ぎているが、かつては悪人達から鬼と怖れられた定廻りの旦那の小者で、どれほどの修羅場をくぐって来たことか。身についた気迫は、寿太郎のような気の弱い者には怖しく感じられるのかもしれないと、東吾は可笑しくなった。日頃の嘉助が、すっかり穏やかで優しい爺さんのつもりでいるのを知っているだけに源三郎や長助も、なんとなくにやにやしている。 「とにかく、東吾さん、仙三郎を寿太郎とお俊に会わせてみてはどうですか」  それが一番手っ取り早いと源三郎がいい、翌日、長助が「かわせみ」へお俊と寿太郎を伴って行った。  お俊という女は四十なかばにしては老けていた。一人娘に死なれた後、大病をして目があまりよくないらしい。それでも、 「あの男の顔なら、どんなに変っていても見間違えることはございません」  と強気であった。  二人を「かわせみ」の帳場のすみに待たせておいて、播磨屋助左衛門と出かけて行く仙三郎をそれとなく見せたのだったが、お俊が、 「間違いございません。あれは伊三造でございます」  と断言したのに対し、寿太郎のほうは、 「似ているとは思いますが……」  今一つ、頼りない。  で、帰って来るのを待って、嘉助が仙三郎に声をかけた。 「こちらは、両国橋の近くで小料理屋をなすっているお俊さんと、弟の寿太郎さんですよ」  といったのに対して、仙三郎は怪訝《けげん》な顔をしたあげく、 「あの、瓦屋の御親類でございましょうか」  と小腰をかがめた。 「あんた、伊三造だろう。伊三造じゃないのかい」  たまりかねたようにお俊が叫んでも、きょとんとしている。事情を知らない助左衛門が、 「いったい、何事で……」  と訊くに及んで、寿太郎が、 「人違いでございます。とんだ人違いで……」  慌てて頭を下げる始末であった。  助左衛門と仙三郎は部屋へ去り、お俊は、 「間違いありません。あれは伊三造でございます」  といい張ったが、目の悪い女の言葉だけにどうも説得力がない。 「どう思いますか」  とりあえず、長助にお俊と寿太郎を送らせてから、源三郎が訊いた。帳場の隣の部屋で見守っていた限りでは、仙三郎の様子が自然であった。少くとも、お俊と寿太郎の顔を見た時、動揺はなかったように思える。 「あれが芝居なら、相当の悪党だな」  と東吾はいったが、やはり、様子を窺っていたお吉なぞは、 「お芝居じゃ、あそこまでは出来ませんよ。やっぱり、他人の空似じゃありませんかね」  と否定的である。  東吾も源三郎も困った。仙三郎が伊三造であるという証拠がない。  親がどこそこの誰とわかっていればともかく捨て子であった。  当人が自分は仙三郎で伊三造ではないといい張ればそれきりだし、仮に両国界隈に住む者で十年前の伊三造を知っている者を何人も呼んで来て首実検をさせたところで、結果は同じようなものであった。  身近かで伊三造をみていた筈の寿太郎が人違いかも知れないといっているくらいのものである。 「十年で人の顔が、そんなに変るもんでしょうかね」  と長助は不満そうだが、これも人それぞれで、環境がひどく変れば人相もおのずと変化して来る。改めて源三郎が仙三郎を呼んで、いろいろ訊問してみたが、 「手前は只今、二十六、七の筈で、十年前、十六、七で江戸を去りました。料理屋で板前なんぞ出来るわけがございません」  という。お俊に訊いてみると、伊三造が江戸から姿を消したのは、二十六の時だから今は三十六の筈と申し立てた。  仙三郎が二十六、七か、三十六かという段になると、これも見る人の目によって違って来る。 「人間ってのは、見た目と実年齢が必ずしも同じじゃねえってことが厄介だな」  東吾にしても手をこまねくしかなかった。      四  お手柄はお石であった。  川越から「かわせみ」へ帰って来た高砂屋孝太郎が、床の間に真新しい位牌をおいて合掌するのを見て、 「それは、どなたのお位牌ですか」  と訊いたのが、この一件を解決する端緒になった。 「実の母親のでおます」  とお石に答えた孝太郎が、ふと涙を浮べ自分は捨て子だったと打ちあけた。 「浅草寺の御本堂の観音様の絵馬の前へおき去りにされて居りましたのを、養父母がみつけたそうで、このたび、浅草寺をお訪ねして、坊さまからその場所も教えて頂きました」  高砂屋孝兵衛夫婦は、商用で江戸へ出て来て浅草寺へ参詣に行った。 「お袋様は前年に流産をして、この先、子は産めぬとお医者からいわれていたそうでございまして、他ならぬ浅草寺さんで廻り合うた子やさかい、観音様の御慈悲やと思い、坊さまに願って、手前を貰うたとのことでございます」  それから二十三年経った今年、父親から一通の文をみせられた。 「浅草寺の坊さまからのお文で、手前が養父母に抱かれて上方へ去《い》んだ後に、ほんまの母親が浅草寺へ来たそうでございます」  暮しに困って我が子を捨てたものの、後悔して浅草寺へやって来た。その母親の居所はこれこれじゃと知らせて来た文を、養父母は二十数年間、黙殺した。 「お袋様が泣いて、いうて下さいました。赤ん坊の手前を死んでも返《か》やしとうなかったんやと……」  江戸へ出て、浅草寺を訪ね、実の母親にも会って来るようにと養父母に勧められて、孝太郎は江戸へ出て来た。 「浅草寺へ参りまして、お年寄の坊さまからお話をうかがいました。あちらは捨て子がけっこう多いそうで、一人一人、きちんと書きつけにしてございます」  川越へ訪ねて行ったのは実母に会うためだったが、その母親は昨年、病死していた。 「ええお方の後妻に入って、子も三人、今度、対面して参りましたが、三人とも人のよい、優しい弟、妹で、母は安らかな一生を終えたいうことがようわかりました」  江戸へ戻って来て、改めて浅草寺を訪ね、新しく位牌を作ってもらって来たとのことであった。 「坊さまがおっしゃったことでございますが、子を捨てる親にも運、不運があるとやら。手前と同じように一度捨てた親がまた取り返しに来て連れて戻ったものの、年頃になってそのことが子に知れて、なんや、しっくり行かなくなってしもうたのか、その子が親を捨ててどこやらへ去《い》んで、未だに帰って来ん。親は六十を過ぎて、浅草寺さんの境内で飴売りをしながら、いつか我が子が戻って来るやも知れんと、観音様にお願いし続けて居る。ほんまに気の毒なことやと思いました」  自分は養父母に慈しまれて成人し、店を継ぐまでになり、実母は川越でやはり幸せな生涯を終えた。 「それはそれで、観音様の思し召しやと納得して居ります」  という孝太郎の話に、お石は感動して、それを東吾とるいの前で語った。 「ちょっと待てよ。飴売りが昔、子を捨てただと……」  浅草寺には捨て子の記録があると知って、東吾が源三郎に頼んだ。  万に一つと考えたのが、的を射たとわかったのは翌日で、 「浅草寺の書きつけの中に伊三造の名前がありました」  三十三年前、浅草寺境内の久米平内の像の脇に「伊三造三歳」と書いた紙片を添えて男の子が捨ててあった。 「浅草寺では捨て子は寺であずかって、子供に恵まれない人など、養子の口をみつけては世話をしているのです」  伊三造は貰い手がみつからないままに半年ばかりを寺で暮し、そのあげくに親がひき取りに来た。 「伊三造の親の飴屋ですが、浅草寺の裏にある長屋に住んでいます。伊三造が行方をくらましたのは、十歳の時だとか……」  二十六年、会っていない我が子の顔が果してわかるだろうかと、東吾も源三郎も不安だったが、とにかく対面させてみようということになって長助が飴売りの老夫婦を「かわせみ」へ連れて来た。  三人が「かわせみ」の前まで来た時、たまたま出かける用事のあった仙三郎が暖簾をくぐって外へ出た。 「伊三造」  絞り出すような声が母親の口から洩れて、仙三郎がその場に釘づけになった。  母親がよろよろと前へ出た。 「伊三造、逢いたかったよ……」  涙と共にさしのべた老女の手を仙三郎が掴んだ。 「おっ母さん」  自分の口から出た言葉に、はっとした仙三郎の目に「かわせみ」から出て来た東吾と源三郎の姿が映った。  畝源三郎から仙三郎、実は伊三造が江戸で仕出かしたことを聞かされても、播磨屋助左衛門はさして驚かなかった。 「今やから、ほんまの所を申しますが、実はあの男に、うちの末娘がたぶらかされまして……」  親は必死で娘を説得し、娘のほうもだんだん男の本性がわかって来て別れる気になった。 「仙三郎には金で話をつけましたんやけど、大坂においたら、いつ娘とよりが戻るかわからしまへん。そやさかい、江戸へ去《い》なそうと考えましたんや」  思いがけず始末がついて、ほっとした様子である。 「瓦屋さんのほうには事情を話して破談にしてもらいます」  というまでもなく、瓦屋兄妹のほうから断って来た。  伊三造の処分が決ったのは、上方から来た客達がみな「かわせみ」を出立して行ってからで、百叩きの上、江戸払いとなるところを老いた両親に孝養を尽すならばという条件つきで、所払いだけは保留になった。 「娘さん一人が首くくりをしているんですし、さんざん、人様に迷惑をかけて、お裁きが軽すぎると思いますよ」  仙三郎に限ってと、かばったことも忘れて、お吉はしきりに女たらしを極刑にするべきだと畝源三郎に訴えている。  もう一つ、誰が喋ったものか、浅草寺の観音様の絵馬の前に捨て子された男が、上方の大金持に拾われて立派に成人し、その跡継ぎになったという出世話が瓦版に出て、暫くの間、観音像の絵馬の前に捨て子をする親があって、坊さん達を困惑させた。  江戸の夏、盛り場は賑やかに人が出て、夜空には花火が上る。  世の中は西のほうから不穏の風が吹いて来るのに、江戸の人々はあえて知らぬ顔をしている様子であった。 [#改ページ]   吉松殺《よしまつごろ》し      一  珍らしく八丁堀組屋敷の兄から使が来て、神林東吾が出かけて行くと、出迎えた兄嫁の香苗が、 「吉岡藤一郎様がおみえになっていらっしゃいます」  という。  吉岡藤一郎の名は、今年になって兄の口から何度か聞いていた。  神林通之進と同じく吟味方与力を務めているが、一昨年、家督相続をして間もなく父親が他界し、見習から本役に進んだばかりで、年齢も三十二と、まだ若い。  正義感が強いが、人柄は穏やかでひかえめであり、どうやら神林通之進に対して私淑している様子であった。  通之進のほうも、自分がかつて若くして吟味方与力の重職につき、さまざまの苦労をしたこともあって、親身になって相談にのってやっているらしい。 「東吾様がおみえになりました」  書院の前で香苗が声をかけ、庭へ向って開け放してある障子のむこうから、通之進が、 「来たか、入れ」  と応じた。  で、東吾は兄嫁と入れ替って廊下に顔を出した。  縁側には蚊やりがゆるく煙を上げて居り、その脇の手桶に尾花と桔梗が各々五、六本挿してある。  兄の所も同じだと、東吾は内心で苦笑した。  今年はいつまでも暑く、とりわけこの二、三日、夏がぶり返したような気温の上り方で、そのせいか九月になったというのに蚊が出る。いくらなんでも蚊帳をつる季節ではないので「かわせみ」では夕方になると、女中のお石が客の部屋へ蚊やりをおいて歩いている。 「なんですか、ちっとも秋らしくならなくて、こんな陽気だと神田祭の行列に出る方々はさぞかし難儀なことになりますよ」  と盛んにお吉が心配している昨日今日であった。  敷居ぎわで挨拶をして、兄が指した隣の座布団ににじり寄ると、 「こちらが吉岡藤一郎どのじゃ。吉岡どの、弟の東吾でござる。以後、お見知りおき下さい」  と通之進が二人をひき合せた。  挨拶をすませ、東吾が改めて相手を見ると、吉岡藤一郎は男にしてはやや小柄なほうだろうが筋骨たくましく、男ぶりも悪くはない。 「お噂はかねがね、御兄上より承って居ります。良き兄上を持たれ、まことに羨しく存じます」  吉岡藤一郎が丁重にいい、東吾は破顔した。 「手前は不肖の弟にて、兄には終生、頭が上りません」 「いやいや、神林様はそこもとを大事に思われて居られます。かように申し上げるのは無遠慮かとも存じますが、東吾どのを頼りにもなされて居られますように、手前は拝察して居りますが……」  通之進が神妙な弟を眺めて苦笑した。 「東吾、頼まれ甲斐があるか否か、そなたの腕のみせどころじゃ。暫く、そこで吉岡どのの話を承るように……」  冗談とも本気ともつかぬ口調で通之進がいい、東吾は兄が照れていると思いながら頭を下げた。  香苗が新しい茶を運んで来て、そっと告げた。 「長助どのが、この秋一番の蕎麦粉を持って参りまして、よろしければ少々、蕎麦を打って参りますとのことでございますが……」  通之進がうなずいて、吉岡藤一郎に訊いた。 「吉岡どの、蕎麦をお凌《しの》ぎに少々、如何かな」  吉岡が恐縮しながらも、嬉しそうに答えた。 「大好物でございます。御厄介をおかけして申しわけございません」  香苗が心得て下って行き、それを見送って吉岡が話し出した。 「只今、神林様におおよそのことを申し上げたのでござるが、過日、神田にてちと大がかりな喧嘩がございまして、死人一名、怪我人五名を出しました」  死傷者が出たことで、奉行所も捨ててはおけず、関係者を呼んで事情を聞くことになり、鍛冶《かじ》町と鍋町の名主が双方の喧嘩にかかわり合った者に付き添って奉行所に出頭した。 「成程、鍛冶町と鍋町ですか」  思わず東吾が合点したのは、この両町は名前通り、鍛冶屋や鋳物《いもの》師が多く、また、鍛冶町の裏に下駄新道という通りがあり、一方、鍋町側の北横丁を俗に雪駄《せつた》町というほど履物商が集っている点でも共通していた。おまけに江戸近在の撞き鐘の大方も、この両町の鋳物師が作っている。いってみれば、町同士が商売敵のようなもので、しかも、鍛冶町のほうの名主が宇田川利右衛門、鍋町側が竹内仙右衛門というふうに名主の差配も異っていることから、どうもそりが合わず、揉め事が絶えないというのを畝源三郎から聞いたことがあったからである。 「喧嘩の原因はなんですか」 「それが……子供のいい争いでござって……」  鋳物師の子供がおたがいに、 「お前の所の作った鐘は音が悪い」 「いや、そっちがかんともちんとも鳴らないそうだ」  とけなし合っている中《うち》に、口だけでは足りなくなって手が出て、足が出て、とっ組み合いになっているところへ、双方の町から大人がかけつけて来て商売道具の鉄棒まで持ち出して来たのでとんでもない結果になった。 「死んだのは、誰です」 「吉松という十歳の子で、鍛冶町の鋳物師、芳三と申す者の悴です」 「子供ですか」 「他の怪我人はすべて大人ばかりでしたが……」  けっこう重傷を負った者も少くないが、今のところ、命に別状はなさそうだといった。 「子供でひどい怪我をした者は……」 「居りません。鍋町に住む医師の岡三縁と申すのが怪我人の手当をしたのですが、せいぜい、すりむき傷くらいのもので……」 「すると、死んだ吉松は大人達に撲《なぐ》り殺されたのですか」  吉岡が表情を曇らせた。 「わからぬのです。常識から申せば大人が子供を、いくら喧嘩の最中とはいえ撲り殺すことはあり得ぬように思えます。しかし、鍋町側の子供達は大人がかけつけて来た時、驚いて喧嘩の輪から逃げ出したので、その時、吉松がどうしていたかも知らないし、自分達は組み合ったりはしたが、得物《えもの》は一切、持っていなかったと申し立てて居ります」 「吉松の傷は組み打ちなぞで生じたものではなかったのでしょうな」  子供が組み打ちしたくらいでは、死に至るほどの怪我は、まず生じない。 「投げとばされた時に運悪く石や木材に頭を打ちつけたとか」  東吾の言葉に、吉岡が手を上げた。 「いやいや、左様なものではなく、検屍によれば全身に鉄材のもので撲られた痕が二十数カ所もあり、医師の話では内臓が破れ、頭蓋骨が潰れ、脳漿が流れ出していたとか……」  流石《さすが》に眉をひそめて、口をつぐんだ。 「では、鍛冶町側の者で、吉松が撲られているのを見たと申し出た者はありましょうか」  東吾がきびきびと事件の核心を衝く問いを発しているのを、通之進は満足そうに眺めている。 「それが、一人もござらぬ。鍋町の方でも、いくら喧嘩で逆上して居っても、十歳かそこらの子供を滅多|矢鱈《やたら》に撲るなどということはあり得ないと申しまして……」 「しかし、吉松は二十数カ所もすさまじい撲られ方をして死んでいるわけですな」 「左様です」 「して、お裁きは……」 「手前が当番でござって、まず、一応の吟味を致しました。本日、お奉行自らお白洲にお立ちになりまして……」  こうした事件は大体、吟味方与力が双方を取り調べ、審問事項を書き出してから、それを基に奉行の白洲が開かれる。よくよく厄介なものでない限り、奉行の白洲は一回限りでおおよその判決もそこで出る。 「最初、手前がお奉行に申し上げましたのは、喧嘩の件は別として、やはり、吉松殺しが何者によって行われたかを明らかにせねばなりますまいとのことで、お奉行もうなずかれて居られたのですが、お白洲が終ってからのお言葉では、これは喧嘩両成敗にするしかあるまいとのことにて……」 「要するに、吉松を殺した下手人を誰々と決めるのは無理ということですな」  血の気の多い大人達が鉄棒まで持ち出しての大喧嘩になれば、それに巻き込まれて子供が死ぬこともあろうし、特定の下手人をみつけ出すのは不可能という判定である。 「両町共、主だった者は三十日の手鎖、その他は急度叱《きつとしかり》で済みました」 「子供達は……」  喧嘩の原因であった。 「子供のこととて、おかまいなしと……」 「成程……」  一応、訊くべきことを済ませて、東吾は兄へ向いた。 「兄上はいったい、手前に何を調べよと仰せられるのですか」  通之進が精悍な顔の弟を眺めた。 「そなたには、もう、わかって居ろう」 「吉松殺しの下手人ですか」  しかし、それは奉行が指摘したように、大勢の大人が命がけで叩き合った喧嘩の中で、誰があやまって吉松を撲ってしまったかを調べるのは難しい。  吉岡藤一郎が思い切ったように改めて口を開いた。 「手前が少々、こだわって居りますのは、お白洲の前後でお奉行のお考えが僅かながら変られたことです」  最初の打合せで吉松殺しの下手人を挙げることに同意を示し、終ってからはその件は不可能と判断をした。 「その理由なのですが、手前はお白洲に連《つらな》って居りまして、鍋町の名主、と申しましても代理の者でございましたが、まことに弁が立つのです」  とりわけ子供達に関しては、幼い者達になりかわって申し上げます、と、最初の子供の喧嘩は、まことに子供らしい罪のないものだったと強調し、それが、このような大事となって日頃の遊び仲間である吉松が横死したことに驚きあきれ、みな傷心の体で涙を流していると訴えた。 「たしかに、お白洲において子供達はみな、顔に手をあてて泣いて居りまして、お奉行もその様子にお心を動かされたと存じます」  いってみれば、鍋町側の子供につき添って来た名主代理人の弁舌が功を奏して、お裁きがゆるやかになったような気がすると吉岡は遠慮がちに告げた。 「鍋町の名主の代理人と申すのは、どのような男ですか」  本来、名主というのは、民間人でありながら町奉行に任命されて行政事務を行う機関に属す者で、町年寄の下に組みこまれていた。  江戸の町年寄は樽屋、奈良屋、喜多村の三家の世襲であった。いってみれば現代の都知事のような立場で、彼らの住居が役所を兼ねて、御役所と呼ばれていた。これに対して、奉行所は御番所と称した。  町年寄の役目は町奉行から下達される御触《おふれ》などを名主に伝達し、町内に洩れなく触れさせるのが最も大きな任務であり、更に町奉行からの依頼による諸調査や税の徴収と上納、また、新地の地割の他、属している町々の名主の任免権も持っていた。  原則として、商売は許されず、そのかわり、本町など数カ所の土地をお上から頂いてそれを貸し、その地代が一家当り、年間五、六百両、他に古町《こまち》などからの上納金が各々に三十両から五十両ほどあった。  名主はこの町年寄の支配下にあって町役人《ちようやくにん》と呼ばれた。  一人の名主が少くとも一、二町、多くは二十数町もを支配して、町触れの伝達や人別改め、つまり戸籍簿作りを行い、支配下の町人の訴えなども軽いものはここで裁いた。  町内の者が事件を起すと、付き添って白洲にも出るし、当人が口下手で申し開きもままならない時には、代りに弁護をするのも許されている。  表むきには名主の代理人というのは認められていないが、止むを得ない場合のみ黙認されていた。 「鍋町の竹内仙右衛門は先月、地元の火事に名主として家主どもを指揮して消防に当ったのですが、その折、落ちて来た木材を避けそこねて腰を痛め、今のところ、歩行が不自由でございます。それ故、弟の仙七と申しますのがお上のお許しを得まして、付き添い人をつとめました」  名主は町年寄同様、商売は出来ないが、仙七は同じ鍋町で竹内屋という鋳物問屋の主人であると吉岡は説明した。 「年齢はまだ三十二とのことですが、口跡がよく、なんと申しますか、人の心を動かすような訴え方を致します」  決して多弁ではないが、つぼを押えた喋り方をするので説得力がある。 「うっかり聞いていると、どうもむこうの思い通りになってしまう怖れがあるように存じました」  その結果、鍋町側に有利なお裁きが出てしまったのではないかと吉岡藤一郎は案じている。 「実を申しますと、このたびの事件を最初に手前が取調べました時、鍛冶町の側から、殺された吉松はかねてから鍋町の子供にいやがらせをされていたようだと申す声がございました」 「いやがらせをされる理由は……」 「それはわかりませんでした」 「吉松にいやがらせをしていた子供の名は」 「やはり、はっきり致しません」  吉岡が手拭を出し、額の汗を押えた。 「それ故に、最後のお裁きでは、子供の申すこと故、あてにならぬとされてしまいました」 「すると、吉岡どのは、吉松は喧嘩の巻き添えではなく、故意に殺された疑いもあるとお考えですか」  東吾の言葉に、吉岡は力なくかぶりを振った。 「そこまではいい切れぬのですが、どうも、仙七と申す者が口上手に鍋町の子供らをかばってしまったような気がしてならぬのです」  とはいっても、すでに奉行の裁きは済んでいる。再吟味へ持ち込むには、これといった証拠がなかった。  通之進が考え込んでいる弟へいった。 「吉岡どのの話を聞いて、わしも気になる節《ふし》がないでもない。本来なら畝源三郎にでも申して内々の探索をというところだろうが、あいにく畝は只今、厄介な一件に取り組んで居る。其方、長助などと相談致し、それとなく町の噂を集めてみてくれぬか」  なによりも心配なのは、お上のお裁きに手落ちがあってはならぬことで、万一、不条理に泣く者があっては、町方役人への信頼を欠くことになると通之進はいった。 「承知しました。手前でどれほどのことが出来るかわかりませんが、長助は御承知の通り、腕ききのお手先でございます。なにかを聞き出してくれるかも知れません」  香苗が女中達を指図して、打ちたての新蕎麦の膳を運んで来たので、吟味の話はそこで終った。  吉岡藤一郎が帰ってから、通之進が弟につけ加えた。 「吟味と申すものは、どうしても口の達者な者が有利になる傾きがある。口下手で思うことが半分もいえぬ者には、時折、助言などしてみるが、やはりこればかりはもって生まれた資質とでもいったらよいのか。達者すぎる者にはその分、割引いて話を聞くように心がけているが、なかなかに難しい」  自らにいいきかせているような兄の言葉に東吾は訊ねた。 「仙七と申す名主代理人はそれほど弁に秀れていたのですか」  通之進が肯定した。 「吟味方でも評判になって居る。以前にも似たようなことがあったそうだ」  長助が待っていると聞いて、東吾は暇を告げた。  表玄関を出ると、長助が裏のほうから走って来た。 「新蕎麦は旨かったよ。兄上が珍らしくおかわりをなさっていた」  長助がぼんのくぼに手をやった。 「新蕎麦は香のいいのが取柄《とりえ》でござんして……」  あたりに通行人のないのを見てから、そっと訊ねた。 「御用人様が、何かお上の御用があるてえなことをおっしゃいましたが……」 「それなんだがね」  歩きながらおおよその話をすると、流石に長助の飲みこみは早かった。 「神田のあのあたりは湯屋の梅吉爺さんの縄張りでございます。梅吉と申しますのは人柄は悪くございませんが、どちらかというと物事を内済にするのが好きでございまして……」  よくも悪くも、ことを荒立てずに納めてしまいがちだと長助はいった。 「名主さん方には便利重宝にされていますんで、そういったところが悪く働きますと、貧乏くじをひく人間が出て来るかも知れませんので……」  早速、当りさわりのないよう調べてみると請合った。  夜が更けて、日本橋川沿いの道には漸く風が吹きはじめ、気温はこの季節らしくぐんと下っている。  豊海橋の袂で深川へ帰る長助と別れ、東吾は大川端町の「かわせみ」へ帰った。      二  中一日おいて、長助が「かわせみ」へやって来た。 「どういうわけか、あの界隈の連中は口が重くって、ろくなことも聞けませんが……」  お吉が心得て運んで来た茶碗酒を、ちょいと押し頂くようにして唇をしめしながら話し出した。 「殺された吉松の父親は芳三と申しまして鋳物師でございます」  撞き鐘を作らせたら、あの界隈では芳三の右に出る者はないといわれるほどの職人だが、いささか偏屈で、町内のつきあいなどは全くしない。 「女房は三年前に病死して居りまして、吉松と二人暮し、まあ、大きな仕事を頼まれた時には近所から職人が手伝いに来るようで、普段は弟子のような者も居りません」  吉松の評判は悪くはなくて、 「母親が死んでからは家の中の掃除や洗いもの、飯の仕度まで甲斐甲斐しくやっていたそうで、野辺送りには近所隣の女達が随分と泣いたそうでございます」  という。 「それから、吉松の喧嘩の相手ですが、こいつはどうも一人ではございませんで……」  何人かが吉松一人を取り囲んで暴行を働いた節がある。 「ですが、その子供の名前なんぞは誰も申しません」  鍛冶町のほうでは、吉松が鍋町の子供に呼び出されるか、或いはどこかへ出かける途中を力ずくで連れて行かれるかしたのだろうといっているが、目撃者はいない。 「芳三は仕事場に入っていて、吉松は家にいるとばかり思っていたようです」 「喧嘩の起った場所は、どこなんだ」 「へい、鍛冶町二丁目、不動新道の近くに先《せん》だって火事で三軒ばかり焼け落ちたところが取り片付けの終ったばかりで空地になって居りますんで……」  吉松の死体もそこにあった。 「その辺を見ておきたいな」  軍艦操練所から帰って来たのが早かったので、まだ陽が高い。  着流しに大小をやや落し差しにして東吾は長助と「かわせみ」を出た。  日本橋へ出て室町の通りをひたすら行くと本町通りから十軒店本石町、本銀町、今川橋跡と続いて神田鍛冶町が一丁目と二丁目、その先が神田鍋町、通新石町、須田町で筋違御門、昌平橋の下を流れるのは神田川であった。  鍛冶町二丁目を東に入ると表通りとほぼ平行に不動新道というのがある。幸不動の御堂があるところからついた名前だが、その北側が焼跡になっていた。  火事で燃えた木材などは、とっくに湯屋などが片付けの手伝いがてら薪《まき》代りにもらって行って、残っているのは土台石と崩れた壁などを一まとめにして隅のほうに重ねてあるだけで、町屋の建てこんでいる中に、そこだけぽっかり空地になっている。 「喧嘩は、ここで始まったそうでして……」  長助が足を止めてあたりを見廻した。  成程、表通りからは一つ奥へ入って居り、町屋のある側には焼跡を片付けた際のがらくたが黒こげのまま積んであるので、そのかげに入ってしまうと、ちょっと人目につかない。  位置からいっても鍛冶町と鍋町の中間に当る。 「鍋町の名主はここの火事さわぎで腰を痛めたんだな」  東吾が呟《つぶや》き、 「鍛冶町と、どっちの名主が羽振りがいいんだ」  と訊いた。 「そりゃあ、やっぱり鍋町じゃございませんか」  鍛冶町の名主が鍛冶町一丁目と二丁目だけを受持っているのに対し、鍋町のほうの名主は鍋町の他に松田町、通新石町、須田町を管轄内においている。 「須田町には水菓子屋の大店《おおだな》が軒を並べて居りますんで、総体に派手な感じが致します」  季節ごとの果物が産地から大量に運ばれて来て店先に並べられると、その香が通りのほうにも漂って来て道行く人の足を止めさせる。 「鍛冶町のほうは鋳物屋と下駄屋が多うございます」  それは鍋町も同様であった。なんにしても江戸でもっとも繁華といわれる本町通りに連っているので、はずれのほうとはいっても町は賑やかであった。  東吾が足を向けたのは、このあたりを縄張りにしている岡っ引の梅吉のところで、本業は恵比寿湯という湯屋の亭主である。  長助が声をかけに行き、東吾は近くの番屋で待っていた。  やがてやって来た梅吉は長助がいった通り、温厚そうな年寄で、それでも目つきに少々鋭いところがあるのは、長年のお手先稼業のせいかも知れない。  長助は故意に東吾の身分をあかさなかったと見えて、定廻りの旦那でもない侍がいったい何のためにといった用心がありありと見て取れる。 「こないだの一件でございましたら、お奉行様のお裁きが下りて居りますんで、よもや、再吟味てえことではございますまいが……」  臆病そうにいうのを、東吾は笑い捨てた。 「お上は一件落着したものをほじくり返すほど暇じゃあねえよ」  子供達は元気か、と訊いた。 「子供の喧嘩が大事《おおごと》になっちまって、友達が一人死んじまった。かかわり合った子供はさぞかし肝を潰したろうし、親も寝覚めが悪かろうと思ってね」  梅吉が東吾の顔色を窺いながら返事をした。 「全くの話、多寡の知れた子供の喧嘩で死人が出るなんてのは、運が悪かったとしか申せませんので……」 「奉行所へ呼び出された子は五人だったが、みんな、その後、ちゃんと飯は食っているか」 「へえ」 「そりゃあけっこう。明神様の祭も近いんだ。いやなことはさっぱり忘れて、せいぜい祭を楽しむようにいってやるとよい」  腰掛から立ち上って、いきなりいった。 「鍋町で鐘作りの上手なのは誰だ」  安心した顔の梅吉がうっかり答えた。 「そりゃまあ、豊次でございましょう」 「若いのか」 「いえ、もう五十をいくつか出て居ります」 「跡つぎの悴《せがれ》はいるんだろうな」 「それがその、職人を嫌って須田町の水菓子屋に奉公して居りまして……」 「それじゃ所帯は別か」 「へえ、須田町の裏の長屋に女房子と……」 「豊次に、他に子は……」 「娘が一人居りますが、嫁入りして……」 「豊次の内儀《かみ》さんは」 「だいぶ前に歿りました」 「すると、一人暮しか」 「いえ、それが孫と一緒で……」  水菓子屋へ奉公している悴の最初の女房が産んだ子で辰吉という。 「二度目の女房が来まして、そっちに子供も出来たりしまして、辰吉は祖父《じい》さんの手許で育って居ります」 「もう大きいのか」 「十四の筈で……」 「こないだ奉行所へ呼ばれた五人の中の一人だろう」  梅吉があっという顔をした時、戸が開いて男が一人、入って来た。 「定廻りの旦那が番屋へお立寄りになっていると聞いたもので……」  東吾の顔をさりげなく眺めた。 「あんたは……」  さらりと東吾が応じ、男は、 「竹内仙右衛門の弟で、仙七と申します」  形ばかり頭を下げた。 「そいつは御苦労だった。但し、名主の代理人に用はない」  東吾がずいと番屋を出て行き、長助がその後に続いた。梅吉と仙七は石になったように見送っている。 「どうも、こいつは何かあるな」  表通りへ出たところで、東吾が呟いた。 「梅吉は何かに怯えているし、仙七って奴は用心深過ぎる」  長助が合点した。 「あっしも聞き込みに歩いていて驚いたんで……鍋町の連中はこないだの喧嘩といっただけで逃げ腰でござんすから……」  そのまま、まっすぐ道を戻って鍛冶町の名主、宇田川利右衛門の家を訪ねた。  利右衛門は父親が死んで家督を継いだばかりということで、年齢は二十八、妻帯はしているが、子はまだない。  東吾が入って行くと、玄関先の部屋にこの辺の家主達だろう、四、五人が集っていて、利右衛門と一緒に神田祭の衣裳調べをやっていた。  神田祭には各町内から趣向をこらした山車《だし》が出るが、その山車の曳き手や、後に従う人々は揃いの衣裳で仮装をする。  祭礼の当日が近づいて、どこの名主の家もその下に属する家主などが集って準備に余念がない時期であった。  だが、祭の仕度をしている人々の表情は冴えなかった。  長助が東吾にいい含められた通り、この前の喧嘩で鍋町との間に遺恨が残っていて、もし大事な祭の当日、再び騒動でも起ってはとお上のほうで心配されているといった話をすると、利右衛門が当惑した。  どちらかが遺恨を含むとしたら、死人の出た鍛冶町ということになる。 「お上のお裁きの出たことに、難癖をつけるような者は、町内に居るとは思えませんが……」  東吾が長助の前へ出た。 「死んだ吉松は一人っ子だったそうだが、父親はどうしている」  利右衛門が黙り込み、たまりかねたように家主の一人が答えた。 「そりゃあ、かけがえのねえ子供を殺されたんでございますから、親は元気でいられるわけはねえので、芳三はあれっきり仕事もせずにひきこもって居ります。だからといって、大事な祭に、お上に御厄介をおかけするような男ではございません」  東吾がうなずいた。 「吉松というのは、いい子だったらしいな」  部屋のすみに手伝いに来ていた女達がかたまっていたのだが、その中からすすり泣きが起った。 「孝行息子でございましたよ。芳三は仕事一筋の職人|気質《かたぎ》で愛想の一つもいえないような男ですが、悴のほうは母親似でなかなかの愛敬者でした。まだ友達と相撲を取ったり、追いかけごっこをして遊んでいたい年頃を、飯を炊いたり、洗いものをしたり……近所の女達がみかねてやってやろうといっても、なに自分で出来ると、そりゃあ健気《けなげ》な子で……」  話していた家主の声が潤《うる》んで、女達の泣き声が大きくなった。 「しかし、そんないい子が何だって喧嘩なんぞしたんだ」  東吾の声は柔かく、作りものではない情がこもっていて、そこにいる人々の気持をときほぐした。 「あれは、喧嘩ではございません」  家主の一人が声を詰らせながらいった。 「鍋町の悪餓鬼どもが無理矢理、連れて行ったに違いございません」  誰もそれを見た者がいなかったのが口惜しいが、もし見た者がいたら、 「ふっとんで行って吉松を連れて帰ります」 「吉松は鍋町の子供にねらわれていたのか」  一瞬、声がなくなったが、最初に口を開いた家主が決心したように顔を上げた。 「折角のお訊ねでございますから、申し上げます。吉松がねらわれたのは、父親の芳三の腕がよすぎたせいなのでございます」  格別の腕を持つ鋳物職人だといった。 「とりわけ撞き鐘は音色がよいと評判で……」  江戸の諸方から芳三を名指して註文が来ている。 「それを妬《ねた》む奴がいたわけだな」  鍋町の鋳物師かと東吾がいい、相手の家主は大きく否定した。 「職人は自分の腕を知って居りますから、口惜しくは思っても妬みはしないようで……」 「では、誰だ」  返事のない空間へ、東吾は思案した。 「作る者に妬みがないなら……そうか、売る側か」  一座の空気が、そうだと答えていた。 「しかし、鋳物問屋なら芳三の作ったものを仕入れて売ればよかろうが……」  家主が低く応じた。 「芳三は律義者で長年、品物を納めている鍛冶町の鋳物問屋を通してしか、仕事を致しません」 「成程……」  東吾の背後にいた長助が、あっという顔をし、東吾にささやいた。 「鍋町の鋳物問屋といえば、名主さんの弟の仙七が、たしか竹内屋という大店の主人の筈で……」  東吾の目の前で、一座の人々の空気が大きく揺れた。 「そうか、元凶はあいつか」  独り言のようにいい、東吾は利右衛門を眺めた。 「名主同士だから、知っているだろう。仙七に子供はいるのか」  消え入りそうな様子で、利右衛門が答えた。 「あそこは、娘が二人だけで……」 「すると、最初にあんたらがいった鍋町の悪餓鬼の中に……わかったぞ。そいつは鋳物師の悴……いや、孫だな」  鍋町の鋳物師なら、鍋町の鋳物問屋とのかかわり合いは深い。 「おかげで見えなかったものが見えて来たよ。お上の目は節穴《ふしあな》じゃねえ。吉松が浮ばれるよう俺も骨を折るから、その日を待っていてもらいたい」  言葉にならない声が上った。 「どうぞお願い申します。このまんまじゃ、あんまり吉松がかわいそうだ……」  家主や女達が揃って両手を突き、深く頭を下げた。  ただ、肝腎の名主の利右衛門だけが途方に暮れている。      三 「名主がああ気が弱いと町内の揉め事なんぞの御吟味の時は不利だろうな」  急にたそがれて来た町にたたずんで東吾がいい、それに答えようとした長助が前方を凝視した。  小肥りの少年が仲間と思える四、五人と一緒に町の辻にかたまっている。  子供の一人が荒縄にくくった犬をひきずっていた。  野良犬だろう。それもかなりな老犬で痩せ衰えている。全く吠えることも噛みつくことも出来なくなっている犬を、子供達は蹴ったり、棒で叩いたりしてなぶっていた。  犬はひどく弱っていたが、それでも最後の力をふりしぼって低くうなり声を上げ、牙をむいている。 「なんてえことを……」  長助がそっちへ向って走り出そうとした時、小肥りの少年が手にしていた黒い棒のようなものを傍の子供に持たせ、 「殺《や》っちまえ」  と声をかけた。  流石にその子供は躊躇した。とたんに小肥りのが太い腕を上げてその子を撲った。  余程、強く撲られたらしく、子供は鼻血を出している。 「馬鹿野郎、犬も殺れねえのか」  わめいたのが、東吾のほうまで聞えた。  鼻血を出した子が黒い棒をふり上げた。うずくまっている犬の脳天へ向けて叩きつける。  そっちへ近づいていた長助が思わず足を止めたほど凄惨な光景であった。 「まだだ。もっとやれ。もっとだよ」  面白そうに小肥りの少年が囃し、顔中、鼻血まみれの少年がやけのように棒を打ち下した。 「やめろ」  長助がどなりつけ、子供達はこっちをふりむいた。  まっ先に小肥りのが逃げ、続いて蜘蛛《くも》の子を散らすように子供達が勝手な方角へ走って行く。  追いかけようとする長助を東吾が制した。  子供達の逃げ足は滅法早い。しかも、逃げ馴れていた。 「ひでえことをしやあがる」  地上にころがっている犬を長助がのぞいた。  もはや、ぴくりとも動かず、開いた口から舌がだらりと垂れていた。  すぐ前の店から、初老の番頭らしいのが、おそるおそる出て来た。 「むごいことを……」  長助と視線が合うと、軽く会釈をした。 「どうも、あいつらの悪さは度が過ぎて居ります」  東吾が声をかけた。 「あの悪餓鬼連中はどこの子だ」 「鍋町の鋳物師んとこの子らでございますよ。子供のくせにそろって力が強くて、乱暴で、ここら辺の者はみんな眉をひそめて居りますんで……」 「辰吉というのがいたろう」 「あいつは一番、たちが悪うございます」 「どの子だ」 「ちょいと肥った、大きな子で……」  子供達に指図をしていた子だと教えた。 「あいつか。まだ十四だと聞いたが……」  小肥りの子は、見たところ十六、七であった。 「あの年頃の子供は育ち方で随分と見かけが違います。同じ十四でも、あいつはもう大人並みでして」  体格と悪智恵は大人も顔まけだが、分別のなさは赤ん坊だと番頭は苦い顔をした。  長助が番屋から番太郎を呼んで来て死んだ犬の始末をさせはじめた。犬は荒筵《あらむしろ》にくるまれて番太郎に運ばれて行く。  番頭が小僧に命じて店の前に清め塩を撒き出した。 「辰吉という奴、並みの悪餓鬼じゃございませんね」  歩き出した東吾に、一足下って続きながら長助が舌をまいた。 「あっしはすぐ近くであいつの目を見たんでございますが、とても、まともな奴の目じゃございません。ぞっとするような、なんとも嫌な感じで……」 「あいつは、たしかにまともじゃないな」  犬とはいえ、殺すことに容赦がなかった。しかも、自分は手を下さずに、他の子にやらせている。 「あいつが吉松を殺ったんでございましょう。間違えはございません」  にもかかわらず、奉行所は名主代理の仙七の弁舌にいいくるめられて、鍋町の子供達はおとがめなしになった。 「おそらく、奉行所では神妙な芝居をしていたのだろうな」  そうでなければ、お奉行の心証がよい筈がない。 「全く、末怖しい連中で……」  長助が歯ぎしりした。 「なんとか、あいつらの手証《てしよう》をみつけ出して、今の中にお仕置にしないことには、第二、第三の吉松が出るに違いねえと思います」  それは東吾も同感であった。  とはいえ、今のところ吉松が辰吉に殺されたという証拠は何もない。  東吾が八丁堀組屋敷の兄の家へ顔を出した時、すでにあたりはとっぷりと暮れていた。  通之進は奉行所から退出して来たばかりで着替えをしながら弟の報告を逐一、聞いた。  吉松を殺したのは辰吉達で、辰吉を指嗾《しそう》したのは鋳物問屋竹内屋仙七。その理由はおそらく自分のいいなりに品物を納めない吉松の父親、芳三に立腹してのことではないかといった弟に、通之進は同意した。  これは単に子供の喧嘩に大人が加わって、その結果、吉松が巻きぞえになって死んだというような単純なものではない。  吉岡藤一郎の不安は適中していたわけである。 「近頃の子供は子供と申しても決して油断は出来ぬ。吉岡どのが申して居ったが、白洲での子供達はみな殊勝で、お奉行の言葉に涙を流していたと申す」  化けも化けたり、役者顔まけの芝居に大人が欺された。 「それにしても驚きました。仮にも名主の弟で、代理をつとめるような男が、自分の思うようにならぬからといって、その男の子を殺させるとは……」  東吾の言葉を、通之進はいやと否定した。 「名主とて神でも仏でもない。なまじ町民の上に立ち、権力のある立場におかれていると何事によらず自分の思い通りにならぬことはないと思い上る。そうした例《ためし》は今までにもあった筈じゃ」  珍らしく香苗に酒を命じ、通之進は開けはなしてある障子のところから空を仰いだ。 「東吾、この探索はなかなかに難しかろうぞ」  月が上っていた。  今月十五日の神田祭へ向けて、次第に丸味を加えている。  江戸っ子が年に一度、火の玉のように燃え上る祭礼の日まで、あと六日であった。      四  江戸の祭といえば、山王権現社の山王祭と神田明神社の神田祭と、誰でもが二本の指を折る。  なにしろ、江戸の中心にある主な町々は、みな、この両社の氏子に属するので、山王権現社が百六十町、神田明神が六十町、数の上では山王権現が上だが、古町《こまち》は殆《ほとん》どが神田明神の氏子に入っているなぞと、どちらの氏子もゆずらない。  この年の九月十五日、夜半に降り出した雨が早朝に上って、神輿が神田明神を出立する頃になると、まことにさわやかな秋日和となった。  で、巡幸のお供をする三十六の山車は、湯島聖堂の両隣、桜の馬場に勢揃いし、一番山車、大伝馬町の東天紅《にわとり》を先頭に、二番山車、南伝馬町の猿の飾り物、三番山車、神田旅籠町の翁人形と順に従って繰り出した。  順路は勿論、決っていて、湯島から筋違橋、須田町、日本橋、神田鍋町を経て同じく神田鍛冶町二丁目の角から右折、鎌倉河岸へ出て神田橋御門から北へ上り、小川町から一番、二番の火除地を廻って本庄熊次郎、久世出雲守の屋敷脇から松平紀伊守、毛利讃岐守の屋敷前を堀端沿いに南堀留橋を渡る。  元飯田町の中坂を上って田安御門を入り、御城内を竹橋御門へ抜けて堀端を行き、秋元但馬守の屋敷脇から大手前、常盤橋御門へと延々と行列する。  なにしろ、一日がかりの巡幸で、見物人は順路に仮設された桟敷に陣取って酒を飲み、弁当を使って終日を過すか、元気のいいのは山車の後を追いかけて、町々の神酒《みき》所で接待を受け、帰りの道もわからなくなるほど泥酔して町役人の厄介になるのも少くはない。  巡幸の神輿は本町通りから石町、鉄砲町、大伝馬町、堀留町、小網町、小舟町河岸から瀬戸物町、伊勢町、本船町、小田原町と廻って日本橋を渡り、通一丁目から京橋、北詰東の河岸炭町、本材木町七丁目より一丁目、四日市町から再び日本橋へ戻って室町一丁目、昌平橋を渡って湯島から聖堂脇の坂を上って神田明神社へ還るのが、大方、日の暮れ方になる。  もっとも、祭はそれで終ったわけではなく、多くの人々は軒提灯をはずして竹の先につけ、山車を見物して歩いたり、露店をひやかしたりして夜更けになるまで騒いでいる。  翌日、まだ祭の熱気が残っている神田鍛冶町の近くを流れている藍染川の石橋の下に、若い女の死体が浮んでいるという知らせが番屋へとび込んで来た。  町内の若い衆がかけつけて行ってみると、女は岸辺のよどみの中にうつぶせに倒れて居り、首に荒縄がきりきりと巻きついていた。 「こりゃあ、綿屋五郎兵衛さんのところのおすぎさんじゃねえか」  かけつけた者の中から、そんな声が上って、すぐさま、知らせに走った。  綿屋五郎兵衛というのは鍛冶町一丁目の履物問屋で、古風な店先には「鼻緒類一式、草履下駄、足駄一式」と書いた大看板がかかっている。  綿屋にはおすぎの亭主の文吉も来ていて、五郎兵衛とその悴でおすぎの兄に当る市之助と男三人が藍染川へ行き、殺されていたのが間違いなくおすぎだと確認した。 「実は、綿屋の娘のおすぎと申しますのは、今から七年前、十八の時に文吉と夫婦になりまして、五歳になる文太郎という子までございますんで……」  深川佐賀町の長寿庵の長助が「かわせみ」へやって来てその話をしたのは午《ひる》すぎのことで、東吾はまだ軍艦操練所から帰って来て居らず、聞き手はもっぱら、るいにお吉に嘉助の三人、幸か不幸か、この時刻、宿屋はもっとも暇であった。 「文吉さんっていう御亭主が、おすぎさんの実家へ来ていたってことは、おすぎさんが前の晩から帰って来なかったせいですか」  隣の部屋で昼寝をしている千春の耳を慮《おもんぱか》って、低い声でるいが訊いた。 「実はそうなんで……おすぎさんは文太郎を連れて祭見物に出かけていまして」  文吉のほうは須田町の山車曳きに選ばれて一日中、巡幸に出ていた。 「今年の須田町二丁目の山車は関羽《かんう》像でござんして、なかなかの出来で評判もようございました」  中国の三国志に出て来る英雄の中、関羽の名前は講釈などでもよく語られるので、嘉助はもとよりお吉ですらも知っていた。 「文吉が須田町の家へ帰《けえ》って来たのは、だいぶ遅かったようで、まあ、天下祭の夜でございますから、日頃はあまりやらない酒もつい度を過すものでございます」  帰宅してみると女房子は留守であった。 「大方、実家で飯でも食べて来るのだろうと、あまり心配もせず、酔っていたこともあって、そのまま寝込んじまったと申します」  朝になって、家の中に女房子の姿がない。 「文吉が申しますには、今までにも女房が子連れで実家へ遊びに行って、飯を食った後、子供が寝ちまうことがある。文太郎という子は綿屋の祖父《じい》さん、祖母《ばあ》さんが可愛がるんでよくなついているそうでして、そういう時は文太郎を実家へ泊らせて、おすぎさんだけが須田町へ帰って来ていたようでして……」  鍛冶町から須田町まで、たいして遠くもないが、五つにもなる男の子を女親が背負って帰るのは大変だし、孫に甘い両親が、 「折角、よく寝ているものを起すのはかわいそうだ。朝になったら送って行くから」  と勧めることもあって、おすぎにしてみれば遠慮のいらない実家ではあるし、親のいうままにあずけて帰るのが当り前になっていたらしいと長助はいう。 「ですが、今朝はそのおすぎさんも帰って来て居りませんので、文吉は迎えかたがた、鍛冶町の綿屋へ参りました」  行ってみると、綿屋では五郎兵衛とその女房のおきみが孫の文太郎を囲んで朝飯の最中で、 「昨日は御苦労だったね。一日中、山車曳きでさぞくたびれたろう」  といたわられたまではよかったが、おすぎが帰って来ていないと知らされて五郎兵衛夫婦はまっ青になった。 「おすぎさんは昨日、室町一丁目の角のところの桟敷で祭見物をしたそうでございます」  知り合いから招かれて五郎兵衛夫婦と文太郎と四人で、次々に通る山車を眺めたが、二十七番の鍛冶町の山車、三条小鍛冶と小狐の飾り物が通ってから、五郎兵衛夫婦が文太郎を伴って家へ帰り、おすぎだけが最後の三十六番、松田町の源頼光の山車まで見て行くと、後に残った。 「それっきり、おすぎは綿屋へ戻って来なかったそうで、五郎兵衛夫婦はてっきり遅くなったので、まっすぐ須田町の家へ帰ったのだろうと思い込んでいたと申します」  他ならぬ祭の夜のことで、町は夜半過ぎまで賑やかだったし、綿屋の悴の市之助も鍛冶町の山車について歩く役目を仰せつかって、こちらも帰って来たのは相当に遅かったらしい。 「なにしろ、山車曳きにせよ、付き添いにせよ、そうした役目を終えたあとは必ず酒盛りになりますんで、いくらくたびれていてもまっしぐらに家へ帰るわけには参りません」  老人ならともかく、市之助は二十七歳、文吉は三十歳であった。 「長助親分」  それまで黙って聞いていた嘉助が口を開いた。 「親分は、だいぶ文吉にこだわっていなさるようだが、理由はなんだね」  長助がここぞと膝を進めた。 「おすぎさんが桟敷から帰ろうとした時に、御亭主の使だというのが来て一緒に行ったって話なんで……」 「そいつはいつ頃かい」 「巡幸が通りすぎてすぐだというから、もう日は暮れかけていた筈だが……」  室町一丁目は順路からいえば終りのほうであった。  三十六台の山車は、この後、昌平橋から湯島へ出て最初の桜の馬場へ戻り、それから各町内へ散って行く。 「文吉は女房へ使をやったといってるのかね」 「いや、そんな覚えはねえってんで……」 「するってえと、誰かが文吉の名をかたったのか」 「俺はそう思うんだが、どうも鍛冶町の連中は文吉を疑っているようでね」 「文吉さんって人がお内儀さんを殺す理由でもあるんですか」  たまりかねたように、るいが訊き、長助が大きく手を振った。 「おすぎさんの実家のほうでも、夫婦仲は悪くなかったと申して居りますんで……」 「文吉さんの御商売は……」 「へえ、須田町の水菓子屋、近江屋の手代でござんして……」 「お内儀さんの実家は履物問屋さんでしたよね」 「左様で……」 「御商売はうまく行っているんでしょうね」 「そりゃもう、鍛冶町では指折りの大店で、家作なんぞも、けっこう持っているって話でございます」  るいがちらりと嘉助を見、それに応えるように嘉助がいった。 「身分がちょいと違うようでございますね」  大店の娘と、水菓子屋の手代と。  世間に例がないわけではないが、 「おすぎさんの器量が悪いとか、出戻りだとか……」  早速、お吉がいい出したが、それにも長助は手で制した。 「おすぎさんのほうに、これといって嫁入りの障りになるような欠点はなかったようで……むしろ、それをいうなら、文吉のほうでございます」 「男は顔じゃありませんよね」  お吉が女主人の顔を見て、つけ加えた。 「うちの若先生みたいに、男前で腕が立ってお人柄がいいなんてのは、滅多にありゃあしませんよ」 「それがその、文吉ってのは、けっこう男前でござんして、実は綿屋のほうじゃあ、いろいろ考えてこの縁談に反対だったそうですが、おすぎさんがぞっこん、文吉に惚れちまって、夫婦になれなけりゃ一生、嫁にいかない、尼寺へ入るってなわけで、とうとう親のほうが折れたと申します」 「身分が水菓子屋の手代という他に、まだ、文吉さんに難があるんですか」  とお吉。 「そいつが……文吉のほうはおすぎさんが二度目で……」 「最初のお内儀さんは歿ったんですか」 「いえ、離縁で……それだけならなんですが、文吉と申しますのは、鍋町の鋳物師、豊次の悴で……こちらの皆様にはなんのことやらおわかりにならねえと思いますが、文吉と前の内儀さんとの間に出来た辰吉ってのは、あの界隈でも札つきの悪《わる》でして、この前の吉松殺しの下手人じゃねえかという噂もございますくらいで……」  襖が急に開いた。 「長助、源さんが表で待っているぞ。今から神田へ行くそうだ」 「若先生」  長助がとび上り、東吾がるいへ笑いかけた。 「そこで源さんに会ったんだ。俺も一緒に出かけるが、千春が起きる頃には帰って来る。こいつは兄上からの頼まれ仕事にかかわり合いがありそうなんでね」      五 「実は用事があって神田明神まで出かけましてね。帰りがけに神田を通って鍛冶町の南番屋で知らせを受けまして、綿屋へ行きました」  おすぎの遺体はすでに実家である綿屋へ運ばれていて、指図をしていたのは岡っ引の梅吉だったと畝源三郎は僅かばかり眉を寄せた。 「長助から吉松殺しの一件を東吾さんと調べて廻ったというのは聞いていましたので、すぐ長助のほうへ使をやり、手前は奉行所へ戻って神林様にお目にかかって来ました」  長助が驚いた顔をした。 「それじゃあ、あっしに使を下さったのは、旦那でござんしたか。使がなんにもいわねえんで、てっきり、あそこの名主が知らしてよこしたとばっかり思って居りやした」 「長助が一通り調べれば、早速、かわせみへ御注進に行くとわかっていましたのでね。東吾さんをひっぱり出すには具合がいいと考えたのですよ」 「兄上は源さんが多忙だといって居られたが、そっちは片付いたのか」 「おかげさまで、祭の前に終りました」 「そりゃあ鬼に金棒だ」 「東吾さんでも、てこずる事件があるのですか」 「人殺しに好きも嫌《きれ》えもねえが、どうも今度のは好かねえ気がするよ」  久しぶりに肩を並べて歩きながら、ぽんぽんいい合っている二人を、長助が後から嬉しそうに眺めている。  鍛冶町の綿屋では通夜の仕度が始まっていた。  表の入口には簾《すだれ》を下し、そこに忌中と書いた紙が貼ってある。店の脇の道に若い男がいて、岡っ引の梅吉と話をしている。 「あれが、綿屋の悴の市之助で……」  そっと長助がささやき、東吾が傍へ寄った。 「おすぎの通夜は、実家でするのか」  梅吉があっという顔をし、東吾の背後の源三郎に気がついて腰をかがめた。 「あんたはおすぎの兄だな。おすぎはこの家から嫁に出した娘だろう」  東吾に、目の前へ立たれて、市之助は途方に暮れていた。 「ですが、須田町の文吉の家は長屋住いでございまして、とても町内の方々におくやみに来て頂くわけに参りませんので……」 「では、喪主は文吉だな」  市之助が黙り込み、梅吉が代りに答えた。 「いろいろと町内のつき合いがおあんなさるので、大旦那がなさるそうでございます」 「しかし、文吉も法要の席には並ぶのだろう」  市之助が重い口を開いた。 「こちらはどうでもよろしゅうございますが、文吉のほうが遠慮するのでは……」 「何故だ」  再び、市之助が口を閉じ、東吾が重ねていった。 「この家の者はおすぎを殺したのは文吉と思っているのか」  流石に市之助が慌てた。 「左様なことはございません。文太郎というかわいい子まで生《な》した仲ですし、第一、文吉は来年にも、うちの親が金を出して水菓子の小売りの店を出すことになって居りますので……」 「おすぎの嫁入りには反対していたのではなかったのか」 「最初は左様でございましたが、うちの親は文吉の働きぶりを七年間、見守っていたようでございます。人柄も悪くはなく、金めあてに娘と夫婦になったのでもないとわかりまして、文太郎のこともあり、いつまでも長屋暮しは不愍《ふびん》と考えまして……」 「文吉もその話は知っているのか」 「はい、先頃、父が話を致しまして、当人も有難いことだと大層、喜んで居りました」  けれども、おすぎが死んだ今、果して綿屋が文吉のために金を出すかどうか、むしろ、文太郎をひき取って、文吉と縁を切ることも考えられる。 「文吉もまだ三十でございます。この先、嫁をもらうこともございましょうし……」  東吾が再び、訊ねた。 「では、文吉が女房の通夜の席にも遠慮するという理由は何だ」 「それは……」  思い切ったように市之助が答えた。 「文吉の実家の故でございましょう」 「文吉の父親は、鍋町の豊次という鋳物師だな」  文吉は父親の稼業を継がず、須田町の近江屋へ奉公に出た。 「辰吉というのは、文吉が前の女房に産ませた子だと聞いたが……」  市之助が、はっきり顔を上げた。 「おすぎは……妹は人様から怨みを受けるような女ではございません。また、見知らぬ者から声をかけられて、用心なしについて行くほど子供でもなかったと存じます。父も母も考えて居ります。ひょっとして、妹は、辰吉に怨みを持つ者に殺されたのではないかと」  この界隈で、辰吉から痛めつけられ、半殺しのめに遭った者は少くないと市之助は訴えた。 「先だって殺された吉松にしても、下手人は辰吉だと申す者が少くございません。ですが、未だに辰吉は野放しで……辰吉を怨む者が妹を……」  辰吉を産んだ女房とは離別したといっても、文吉はまさしく辰吉の父親であった。 「我が子が、あれほどの悪さを致しますのに、文吉は何も致しません。七年前、父がおすぎを文吉へやりたくないと申しましたのも、実は辰吉のことがあったからでございました」  当時、七つで辰吉はすでに町内の悪餓鬼の筆頭であった。 「父が案じた通り、今の辰吉はもはや大人の手にも負えませんので……」  話す中に気持が昂ぶって来た市之助をなだめるように東吾がいった。 「あんたのいうのもわからなくはないが、しかし、辰吉が憎い、その親の文吉が憎い。だからといって辰吉とは血のつながりもないおすぎを殺すというのは、筋違いとは思わぬか」  市之助が声をふり絞った。 「仰せのように、筋違いかも知れません。ですが、手前共では、妹の殺された理由が、他にはどうしても思い当らぬのでございます」  弔問の客が来て、東吾達は市之助の傍を離れた。  梅吉がなんとなく三人について来る。 「綿屋の若旦那はあんなことをいっていますが、いくらなんでも無理でございます。おすぎさんは大方、祭の酒に酔っぱらった男が悪戯をしようと橋の下へひっぱり込んで、いうことをきかねえんで、つい、締め殺しちまったんじゃねえかと思いますが……」  源三郎が軽く顎をしゃくった。 「そういうことも、あるかも知れねえ。この界隈の男で様子のおかしいのがいたら、気をつけるように……」 「承知しました」  東吾が続けた。 「下手人は案外、綿屋へ何くわぬ顔でくやみに行くかも知れぬぞ。梅吉親分の腕のみせどころかな」  当惑顔の梅吉を残して男三人はさっさと表通りに出た。  藍染川の石橋は鍛冶町一丁目の中程にあった。  川とはいっても小さなもので、近くに染屋が多くあった時分、染料を洗い流すのにこの川が使われたので、その名がある。  水深は大雨でも降らない限り、大人の膝上あたりまでで、首を締められて殺されたおすぎの体はうつぶせに水の中にあったが、検屍によると水は全く飲んでいないと源三郎がいった。 「なにしろ、首に荒縄が食い込む程、巻きついていたのです」  石橋の下に立ってあたりを眺めている東吾に、源三郎が訊いた。 「東吾さんは、下手人が綿屋へ弔問に来ると思っているわけじゃありませんね」  東吾が苦笑した。 「源さんだって、酔っぱらった男が行きずりにおすぎをここへ誘い込んで殺したとは思っていないだろう」 「行きずりなら、せいぜい手拭ですかね」 「荒縄というのは、酷いな」  下手人の憎悪がそれほど強かったということなのか。  そういう惨《むご》たらしい殺し方をする奴というと、東吾の脳裡にはすぐに浮んで来る光景がある。 「俺は長助と一緒に見ているんだ。そいつが仲間に命じて犬を殺させるところをね」  叩いたり、撲ったりして半死半生の犬を、鉄棒で滅多打ちにさせた。 「辰吉ですか」  橋の上へ戻りながら源三郎が東吾を眺めた。 「父親の新しい女房を、辰吉が憎むのはわかりますが、殺しますかね」  東吾が重苦しい表情のまま、返事をした。 「殺す気になれば、もっと早くにやっているだろう。七年もねらっていたにしては殺し方がお粗末だ」 「たまたま、昨夜、おすぎとすれ違ったかして、その気になるというのはどうですか」 「その程度の機会なら、今までにも度々あった筈だよ」  人殺しというのは、きっかけがないとなかなか手を下せないものではないかと東吾はいった。 「例外がないわけではあるまいが、町内で鼻つまみの悪餓鬼にしろ、犬猫ならぬ人間を殺すんだ。それなりのきっかけがないと……」  長助が遠慮がちに口をはさんだ。 「吉松を殺したきっかけは、吉松の父親のほうが、辰吉の祖父さんよりも、釣鐘造りの腕がいいってことで……」 「それもきっかけの一つだろうが、俺は最初から殺そうとして殺したんじゃなくて、撲っている中に殺しちまったような気がするよ」  辰吉にせよ、その仲間の子供達にせよ、どれほど撲ったら人が死ぬのか、よくわかっていなかったのではないかと東吾はあまり自信がなさそうにいった。 「俺や源さんは子供の頃によく喧嘩をしたが、どこかで手加減というものを知っていた。相手も大体、同じようなもので、或る程度、撲り合ったら、そこで終りにした。そういうのはいったい、誰から教えられたと思う」 「まず、親でしょうな」  源三郎が応じた。 「剣術の稽古でも、おのずと教えられていたかも知れませんが……」  長助が大きく合点した。 「俺も親父からいわれたことがございます。子供同士で喧嘩をするなら得物は一切、持っちゃあならねえ、素手でやれ。それから、相手が自分より弱いとわかったら、そこでやめろ。相手が強いと気がついたら、さっさと逃げろ」  東吾と源三郎が笑った。 「たしかに、それが喧嘩の極意だな」  辰吉やその仲間には喧嘩の極意を教える者がいなかったのかと、東吾は笑いを納めていった。 「喧嘩の極意どころか、弱い者いじめは卑怯だ。男ならしてはならないと教える者もいなかったのでしょうな」  源三郎が憮然としていった時、三人の足は須田町へ入っていた。  近江屋で訊いてみると、文吉の住む長屋はすぐ裏であった。  長屋としては上等のほうで、どの家も六畳に三畳という間取りで、畳が入っているのが多い。  もっとも、住んでいるのは所帯持ちで、子供が五、六人もいるのが珍らしくない。  文吉は井戸端で米をといでいた。  近づいた東吾達をみると立ち上ってお辞儀をした。 「お前の家はどこだ」  源三郎に訊かれて、目の前の入口を指した。  狭い土間を入ると、すぐに六畳で、おすぎが嫁入りの時に持って来たのだろう、こういった長屋には珍らしく鏡台と小箪笥がすみにある。隣の三畳には子供の玩具が散らばっていた。その数が多いのは、おそらく綿屋の祖父さん、祖母さんが孫のために買い与えたものだろう。なんにせよ、この狭い長屋の部屋には、つい昨日まで親子三人がごく平凡ながら、幸せに暮して来た気配が残っている。  文吉は殆ど捨て鉢になっていた。 「どうしてこういうことになるのか。手前には何がなんだか判りません。判っているのは俺の生まれた家が足をひっぱっているってことで、あいつらがいる限り、どうしようもねえんですよ」  東吾と源三郎は外に立ち、長助だけが土間に入った。 「お前がいうのは、辰吉のことかい」 「あいつには泣かされっぱなしです。いつも、あいつのおかげで……」 「しかし、辰吉はあんたの子じゃねえか」  文吉が頭を抱えた。 「冗談じゃねえ、あいつが俺の子だなんて、冗談じゃねえですよ」  そのまま、男泣きに泣いている。  源三郎が声をかけ、長助が土間から出た。 「どうも情ねえ父親で……」  家主らしいのが一人の老婆を伴って近づいて来た。 「先程も、梅吉親分に申し上げましたが、文吉は昨夜、この町内の者と一緒に帰《けえ》って参りまして、すぐに自分の家へ入りました。それっきり朝まで長屋の外に出ては居りません。このお六婆さんは文吉の隣に住んで居りまして……」  気の強そうな老婆が、それでも神妙に申し立てた。 「一晩中、凄い鼾《いびき》で、とてもじゃないが寝つかれやしませんでしたよ。いくら祭だからって、強くもない酒をあんなに飲んじゃあ体にいいわけはない」  東吾が軽い口調で訊いた。 「隣に住んでいたのなら、わかるだろう。文吉夫婦は喧嘩ばっかりしていたのか」 「とんでもないことで……隣がこんな婆あでようございましたよ。独り者の若い衆だったら、とんだことだ。五つになる子供もいるのに毎晩毎晩、全く御苦労さんとしかいいようがございませんよ」  長屋を出て、三人の男が顔を見合せた。 「どうも、あけすけな婆さんで……」  長助が首をすくめ、東吾が歩き出しながら呟いた。 「たしかに、辰吉はあいつの手に負えないな」  それにしても、文吉の辰吉に対する言葉には親子の情のかけらもなかった。 「どうやら、ふり出しに戻ったな」  神田まで出かけて来て、わかったのは、殺されたおすぎの亭主が、この界隈の悪餓鬼で、先だっての吉松殺しの下手人ではないかと思われる辰吉の父親だったということぐらいのものである。 「最初《はな》からやり直しだな、源さん」  東吾の言葉に、源三郎がしたたかな微笑で応えた。 「まず、室町の桟敷にいた者から聞き込みをすることですな。おすぎに亭主の使で来たといった人物がどんな奴だったのか、そいつの顔を見知った者はいないかです」  困難な聞き込みだが、長助は勇み立っていた。 「早速、若《わけ》え連中と総出で取りかかります」  三人の行く江戸の町には、まだ昨日の祭の衣裳のままで走り廻っている者の姿がある。  町の辻には破れた祭提灯や竹竿などが山のように積み上げられていた。      六  長助の根気のよい聞き込みの効果が現われたのは七日ばかりの後で、 「使が女でまだ若かったてえのはすぐ判りましたんですが、そいつがどこの誰かという所で手古《てこ》ずりました」  室町の桟敷にいた者の中には、その女の顔を見知ったのは一人もいなかったが、室町から日本橋へ向う通りで、おすぎが若い女と話をしながら歩いて行くのを綿屋に出入りしている大工の伝造というのが見ていた。 「声をかけようかとも思いましたが、通りは大変な人でして、うっかり道を横切ることも出来ねえ有様で……こっちも酒を飲んで居りましたんで……」  おすぎと連れの女はすぐ人ごみにまぎれてしまったのだったが、どうも、その連れの女に見憶えがある。 「その時は思い出せねえまんまでしたが、祭の何日か後に、その店へ飲みに行ってあっと気がつきました」  柳橋の近くに「吾妻」という一杯飲み屋がある。 「わっしの友達がその店の常連で、時々ですが誘われて飲みに行きますんで……その店の酌女で、たしか、名はおいそでございます」  と聞いて、早速、長助は「吾妻」へ行ってみた。 「大きな店じゃございませんが、けっこう気のきいた造りで、棟梁の話では、ちょいと渋皮のむけた女主人が店をきり廻しているそうで、棟梁と一緒に行った時には女主人は居りませんでしたが、おいそってのは酌に出て来ました」  だが、おいそは祭の日、室町あたりへ出かけたことはないとはっきりいい切った。 「店が忙しくて、一日中、客の相手をしていたといいますんで、まあ、あんまり突っついてもと考えまして、棟梁の思い違いってことにして帰りました」  だが、棟梁は絶対に自分が見たのは、おいそだったと断言しているという。  で、長助は棟梁の知り合いで、やはり「吾妻」を贔屓にしている職人に頼んで三人で店へ出かけた。 「祭の当日、棟梁が室町でみかけた女がおいそだったかどうかって一件で、その職人と賭をしたてえことにしまして……」  行ってみると、おいそは親が病気で川崎まで出かけているとのことだったが、女主人と二人ばかりいた酌女が口を揃えて、おいそは一日中、店で働いていたといった。 「とにかく、お客がたて込んじまって、飯どころか水一杯飲む暇がないほどだったんですよ。室町まで祭見物に出かけられるわけがありません」  と女主人が気の毒そうに棟梁を眺めた。 「ですが、あっしはどうも気になりまして、一緒に行った職人にいい含めて、馴染だという酌女を外に呼び出して訊いてもらったんです」  棟梁と面白半分、賭をしたが、日頃、世話になっている棟梁にみすみす損をさせるのも気の毒だ。本当のところ、おいそが半刻くらい店を空けても客で混雑していればわからねえのと違うか、と、かまをかけさせてみると、おそのという酌女は、実の所、いそがしくて、よく憶えていない。ただ、お内儀さんが、おいそが厄介に巻き込まれるといけないから、ずっと店にいたとおいいっていうんで、その通り、口裏を合わせた、と白状した。 「ですから、室町で棟梁が、おすぎさんと一緒に歩いているのを見たという女は、まず、おいそに間違いはねえと思います」  と長助は勢込んでいる。 「店は女主人だといったな」  東吾が訊いた。 「へえ、お町と申しまして、年齢はまあ三十そこそこでございましょう。器量は十人並ですが、それほど愛想のいい女じゃありません。店が繁昌しているのは、けっこう若い女を揃えていまして……こいつは棟梁から聞いた話ですが、二階に仕掛けがございまして、つまり、客がその気になって金を払えば、ちょんの間《ま》は遊べるといった具合で……」  岡場所以外で女に客を取らせるのは御法度だが、もぐりでこういった店があるのは長助などは勿論、奉行所でも知らないわけではない。ただ、どう取締っても取締り切れるものではなく、ほどほどにお目こぼし、ほどほどに取締るというのが本音であった。 「お町に亭主は……」 「独り者だといっていましたが、旦那がないわけはございません」  妾に金を出してそういった店をやらせる手合といえば、まともな商売人とはいい難い。 「そこんところがちょいとばかり不思議なんで……どうも吾妻って店の金主《きんしゆ》がわかりませんので、そういっちゃあなんでございますが、蛇《じや》の道は蛇《へび》でして、その筋の連中に訊ねれば大方、誰それと名前が出るものなんですが……」  といって素人の旦那がそういったいかがわしい店を女にやらせるというのは合点が行かない。 「女に店をやらせるほどの金のある旦那が危い橋を渡る道理がねえんでして……」  東吾の目が光り、源三郎が長助に命じた。 「当分、その店から目を離すな。お町が他出する時は後を尾《つ》けさせろ。商売が終ってから店に出入りする男はいないか。お町の素性、お町が昵懇《じつこん》にしている者など、手当り次第に調べるのだ」 「合点承知……」  翌日、東吾は軍艦操練所の帰りに大川端町を横目に見て、神田まで足を延ばした。  長助は若い者を総動員して柳橋の「吾妻」にかかり切りになっているだろうし、畝源三郎には定廻りの仕事がある。  乗りかかった舟でもあり、兄の通之進からの命令でもあるので、東吾自身、なんとかこの一件に片をつけたかった。  鍛冶町の南番屋をのぞくと番太郎を相手に梅吉が渋茶を飲んでいる。東吾の顔をみると慌てて外へ出て来た。 「近くまで来たんで寄ったんだ。おすぎ殺しの下手人は目星《めぼし》がついたのか」 「そいつが一向に……」  たて続けに頭を下げる。 「吉松殺しの下手人もまだ挙がらねえんだな」 「どうにもこうにも厄介なことばかり続きますんで……」 「吉松の親父はどうしている」 「芳三なら、前から註文をもらっていた釣鐘の仕上げにかかっているようで……」 「仕事をはじめたのか」 「ああいう連中は働かなけりゃ食えませんから……」 「文吉はどうだ」 「近江屋で働いていますよ。ただ、悴の文太郎は綿屋の祖父さん、祖母さんが引取りましたがね」 「男一人じゃ育てられねえってことか」 「それもありますがね。綿屋にとっちゃあ娘の形見みてえなもんでしょうが。それに、文太郎がむこうにいたら、約束通り文吉に金を出して店を持たせなけりゃならねえ。結局、馬鹿らしいってことじゃありませんかね」 「辰吉は相変らず、悪さをしているんだろうな」  梅吉が右手で顔をつるりと撫でた。 「餓鬼のことでございますから……ですが、お上の御厄介になるようなことはしちゃあ居りません」 「まあ、本気には出来ねえな」  普段より伝法にやっつけて鍋町の方角へ行くと、むこうからやって来る仙七と出会った。 「これは、神林様……」  と丁寧にお辞儀をしたところをみると、東吾の素性を誰かから聞いたものらしい。 「名主の怪我はどうだ。いくらかよくなったか」  東吾がいったのは、竹内仙右衛門が先月、この近くの火事の際、名主の役目柄、家主の指揮をして消火に当り、落ちて来た材木に当って腰を痛めたことで、兄が怪我で寝ている間、弟の仙七が非公式ながら名主の代理をつとめているのを知っていたからである。 「御心配をかけまして、あいすみません。どうも治りが遅うございまして、お医師の岡三縁先生は下手をすると、一生、足が不自由になるかもなぞとおっしゃいますので……」 「そうなると、鍋町の名主はあんたが継ぐのか」 「とんでもないことでございます。兄には跡継ぎが居りますので……」 「仙右衛門はいくつだ」 「三十五でございます」 「とすると、悴はせいぜい十五かそこらだろうが……」 「十三になります」 「当分はあんたが後見人か。鍋町の連中は大喜びだろうよ。口の達者な名主代理人がついていりゃあ、万一、お上の御厄介になったにせよ、舌先三寸、役人を丸め込むのはお茶の子さいさいだ」  仙七はそれでも目を笑わせていた。 「なんということをおっしゃいます。御冗談もほどほどにして下さいまし」 「吉松は殺され損か。もっとも、お上の目はそれほど節穴じゃねえ筈だがね」  黙ってしまった仙七を尻目に、東吾はさっさと鍋町を通り抜けた。  その夕方、長助が息を切らせて「かわせみ」へかけ込んで来た。 「途方もねえことがわかりましたんで、とりあえずお知らせに……」  お吉がいつものように運んで来た茶碗酒を断って、水を一杯、ぐっと飲み干して話し出した。 「吾妻の女主人のお町でございますが、あいつは文吉の別れた女房でしたんで……」  流石に東吾が絶句した。 「驚いたな」 「へえ、文吉と夫婦になったのが今から十四年前、その時、お町はもう妊っていたそうで……」 「そうか、文吉が俺達に、辰吉は俺の子じゃねえといったのは、そういうことだったのか」  あの時は、てっきり、あんな悪餓鬼は自分の子ではないというふうに解釈していた。 「おっしゃる通りで……まあ最初からそういうことがありましたんで、夫婦仲がうまく行く筈はねえんで、始終、喧嘩が絶えませんで、結局、三年足らずで別れちまって、文吉は親父の家を出て近江屋に奉公したそうです」 「お町の相手は誰なんだ」  長助がぼんのくぼに手をやった。 「そいつはまだわかりません。文吉と夫婦になる以前からお町には男がいるって評判で、鍋町の連中は文吉は貧乏くじをひいたなんて噂をしていたと申します」 「お町の親は……」 「父親は早くに死んじまったとかで、母子で鍋町の長屋暮しをして居りましたそうで、夏は麦湯売り、冬は焼芋を売ったりなんぞして細々と暮しを立てていたらしゅうございます。その母親もお町が十一の時に風邪をこじらせて死んじまったとか」 「お町に兄弟はないのか」 「へえ、一人っ子のようです」 「成程なあ」  お町という女の境遇から考えると、文吉と夫婦になる以前に男の影がちらついても不思議ではない。 「源さんは、この話を知っているのか」  気がついて東吾がいい、長助はまだ滲み出して来る汗を拭いた。 「旦那は御奉行所なんで……これから八丁堀のお屋敷へ参《めえ》ってお帰りをお待ちしようと思います」 「そうだな、俺も行こう」  畝源三郎の屋敷へ行き、妻のお千絵に事情をざっと話して、嫡男の源太郎の相手をしていると、やがて源三郎が帰って来た。 「長助の手柄ですな」  お町が文吉の前の女房で、辰吉の母とわかると、そのお町の店で働いているおいそが、祭の当日、室町をおすぎと歩いていたという棟梁の目撃が意味を持って来る。 「おそらく、おいそは女主人の命令でおすぎを呼び出しに行ったのでしょうな」  夫の文吉の名を騙《かた》って、おすぎを連れ出している。 「しかし、なんのためにお町はそんなことをしたのですかね」  お町が文吉と別れてすでに十年余り、文吉とおすぎが夫婦になって七年が過ぎている。おすぎが別れた亭主の後妻になって憎いというのなら、七年も待って殺害するというのは平仄《ひようそく》が合わない。 「お町が吾妻という店を出したのは、いつだかわかって居るか」  源三郎が長助に訊ね、長助が懐中から心憶えの書きつけを取り出した。 「この九月で丸二年になりますようで、その前は品川のほうで働いていたと近所の者に話して居ります」  大家の所には神田鍋町生まれで、子供の時に親に死なれて品川へ奉公に行き、二十の時に亭主を持ったが、その亭主に死なれて、やはり出直すなら江戸、それも生まれ故郷の神田に近い所がよかろうと、昔の知り合いが口をきいてくれて商売を始めたと届けが出ていると長助の調べは行き届いている。 「文吉と別れた後、品川へ行ったのは本当でしょうな。おそらく亭主のような男も出来ていた。その男が死んで江戸へ戻ったとして、お町がなんのあてもなく生まれた土地へ帰って来ると思いますか」  源三郎がいい、東吾が応じた。 「あてにしたのは、昔の知り合いだな」 「辰吉の実の父親ですか」 「そう考えるのが順当だが……」 「とすると、けっこう金のある奴と思えますね」  柳橋で小ぢんまりした店とはいっても、一軒の飲み屋を出すには、はした金では済まない。 「お町の最初の男、つまり、辰吉の父親だがね」  東吾がいい出した。 「考え方が二つあるような気がするよ」  一つはその当時、すでに所帯持ちでそれ相応に金のあるような男。 「十一かそこらで一人ぼっちになっちまったお町をかわいそうに思って、何かと面倒をみている中《うち》につい手を出した。もとより遊びだから子供が出来たと聞いてさっさと逃げ出した。お町のほうも、当時、同じ鍋町の文吉をひっかけて夫婦約束を取りつけていたから、そいつのことなんぞ打っちゃっちまって文吉の嫁になった、と、これが一つ。もう一つの場合は、まだ若くて金も力もない男さ。無論、親がかりだろう。こっちも別にお町と夫婦になろうとまでは考えていなかった。仮に考えていたとしても、長屋育ちでみなし児のお町を、両親が悴の嫁にするかどうか。この場合もこの男の親の家はまずまずの商人か、少くともその日暮しの貧乏人ではあるまいな。とにかく、若い男はお町を文吉に押しつけて片をつけた。とりあえず、この二つを考えてみる」  第一の男だとすると、その当時、少くとも三十代か四十代か、下手をすると五十代。 「その当時はまだ親が健在で金が自由にならなかったとして、十何年後の今なら、なんとかなるだろう」  第二の男ならば、 「二十そこそことして、今、三十すぎ。無論、所帯は持っているだろうが、それなりに金と力は出来ているかも知れない。が、こっちも親がぴんぴんしていると少々、具合が悪いな」  源三郎が笑った。 「要するに、十五、六年前、お町の周囲に、東吾さんのいった第一の男、第二の男に該当する人間がいなかったか、調べろということですな」  再び長助が張り切って帰って行ってから、東吾が嘆息した。 「どうも長助が気の毒になるよ。俺達がどう働いたところで、こういう探索は長助にかなわないからな」  武士があっちこっち訊き廻ったら、大方の人間は牡蠣《かき》のように口をつぐんでしまう。 「人間、得手、不得手がありますからね」  源三郎になだめられて、東吾はすっきりしないまま大川端へ帰った。  二日後、源三郎が「かわせみ」に来た。 「長助のところの松吉というお手先が、お町の家へ店じまい後にやって来た男を突き止めました。誰だと思いますか」 「俺の知っている奴か」 「無論です」  仙七か、と東吾の声が出て、源三郎が目を丸くした。 「東吾さんは仙七に目をつけていたのですか」 「全くのあて推量だがね」  以前、兄の屋敷で吟味方与力の吉岡藤一郎から、吉松殺しの吟味について聞かされた時、鍋町側の名主の代理人の仙七が、年齢は三十二とまだ若いのに、すこぶる弁が立つと話していたのが、記憶に残っていたと東吾はいった。 「今、三十二なら十五年前は十七だろう。兄の仙右衛門が三つ上だそうだから二十、当然、父親が名主をつとめていた筈だ」  次男でも、名主の悴がお町のような身分違いの娘を嫁にすることは出来ない。 「吟味方のお歴々が感心するくらいに弁の立つ男なら、若い時でも口はうまいだろう。文吉を丸め込んで、自分のお古《ふる》を押しつけるぐらい容易《たやす》いものじゃなかったのか」  そして、今、仙七は三十二、病身の兄に代って、名主代理をつとめる一方、鋳物問屋の主人でもある。おまけに父親はすでに世を去っている。 「仙七には金も力もあるってことさ。昔の女はそれを知って仙七に泣きついた。いや、おどかしたのかも知れないな。辰吉の本当の親が鍋町の名主の弟だと知れたら、あの界隈の人間は仰天するだろう。下手をすると、仙七は金も力も失うことになる」  源三郎がうなずいた。 「東吾さんの推量は当っていると思いますよ。ですが、そのことと、おすぎ殺し、吉松殺しを結びつける証拠がありません」  金も力も自由になって、思い上った仙七が、日頃から自分のいうことをきかない鋳物師の芳三に腹を立て、辰吉を指嗾《しそう》して芳三の悴の吉松をいじめさせたところ、いじめが過ぎて吉松を殺してしまった。それを繕うために鍋町と鍛冶町の鋳物師が喧嘩をしているとさわぎ立て、集って来た連中が撲り合って本物の喧嘩になってしまった。 「まさに仙七の仕掛けた通りになったわけでして、鍋町側の付添人でお白洲に出た仙七は得意の弁舌をふるって御奉行の心証をよくし、辰吉の罪をかくし通すことに成功したのでしょう」 「吉松殺しは俺もそれに違いないと思っている。だが、おすぎ殺しはどうなんだ」 「仙七が金も力も自由だと思い上っているとしたら、その情人のお町はどうでしょうか。その仙七を自分は好きなように操れる。こちらも相当に思い上っている。そのお町の耳に、おそらく仙七が話したのでしょうが、文吉が近く女房の実家が金を出して水菓子屋の店を出して近江屋から独り立ちする。いわば、小さくとも一国一城の主に出世するわけです。文吉は女房を大事の上にも大事にする。夫婦仲は町内でも評判になるほど睦まじい。五つになるかわいい盛りの文太郎はおすぎの実家の親が目に入れても痛くないと可愛がっている。どれを取っても、お町には面白くないでしょうな」 「嫉妬か」 「お町は辰吉に、おすぎを痛めつけて、あんたを捨てた父親に思い知らせてやれとでもいったのかも知れません。店の酌女のおいそにおすぎを呼び出させ、辰吉の待っている所へ連れて行く。それが藍染川の石橋の下です。辰吉は面白ずくにおすぎを手ごめにでもしようとしたが、抵抗されて腹立ちまぎれに殺してしまった。そんな所ではないかと思いますよ」 「流石だな、源さん、兜《かぶと》を脱ぐよ」 「ですが、証拠が何もありません」  仙七もお町も容易なことでは口を割るまいし、源三郎にしても推量だけではどうにもならない。 「長助が走り廻っていますよ」  吉松が殺された日、吉松が辰吉に連れられて空地へ行くのを見た者はいないか。  祭の夜、おすぎと辰吉が一緒にいる姿をみた者、或いは藍染川附近で辰吉の姿をみた者はいないか。 「どっちも難しそうですが、それしか道がないものでして……」  だが、事件は思わぬ展開を見せた。  九月もあと二日という日の夜、源三郎の使が「かわせみ」へ来た。 「旦那が柳橋にお出ましで……神林様にもしお出で頂けるならと……」  東吾は使と共に大川を上った。  柳橋の「吾妻」は凄惨であった。  仙七は腹を刺されて虫の息で、医者が途方に暮れていたし、その近くで辰吉が鉄棒で眉間を割られて死んでいた。 「仙七を刺したのは辰吉で、辰吉は吉松の父、芳三が手にかけたそうです」  源三郎の脇に、芳三は神妙に縄をかけられていた。 「芳三は吉松の敵討《かたきうち》をしたと申して居ります。今日まで待ったのは、約束のあった註文の釣鐘を仕上げるまではと、辛抱していたそうで」  今日、釣鐘を註文先に納め、その足で辰吉を探した。 「芳三は鍛冶町で辰吉をみつけ、その後を尾けてここへ来ました」  芳三は店の前で辰吉の出て来るのを待っていると、突然、絶叫が聞え、入口の障子を開けて辰吉がとび出して来たので、 「吉松の怨み、おぼえたか」  と叫んで鉄棒をふり下した。  一撃で辰吉は頭を砕かれて即死した。  その辰吉が何故、仙七を殺害したかについては、お町を吟味した神林通之進によって明らかにされた。 「仙七はお町に別れ話を持ちかけていたと申す」  昔の女とよりが戻ったものの、辰吉のことを考えると物騒な火種を四六時中、抱えているようなもので、とうとう、まとまった金をやるから辰吉を伴って、江戸ではない土地へ行って暮してくれ、二度と江戸の土を踏むなと強談判《こわだんぱん》をした。 「仙七は名主の権限で、自分の命令に逆えばどういうことになるのか、俺の舌先三寸で、お町も辰吉も三尺高い木の上だと申したそうな」  たしかに、辰吉には吉松とおすぎを殺した罪があるし、お町は我が子をそそのかして殺人をやらせた咎《とが》がある。  追いつめられたお町は辰吉を呼んで相談し、辰吉は一度、鍛冶町の家へ戻って鉄棒を持ち出そうとした所を祖父の豊次にみつかって取り上げられた。  仕方がないので、再び柳橋の「吾妻」へ戻ると、そこに仙七が来ていて、母親と酒を飲んでいた。 「お町が申すのだが、なんとか仙七を飜意させようと酒をすすめ、左様、色じかけで男の心を取り戻そうとしていたそうだが、それを見て辰吉は逆上したらしい」  台所から出刃庖丁を持ち出して、あっという間に仙七を刺した。 「まことに不快な一件ではあったが、天が罰を下したとも申せよう。其方達の苦労が報いられたとは思わぬが、少くとも鍋町、鍛冶町の者達は安堵しているかも知れぬ」  兄の言葉に頭を下げた東吾だったが、源三郎と二人になると慨嘆した。 「口惜しいなあ。もう一歩、お上の調べが先へ行っていれば、芳三を罪人にしなくて済んだものを、力足らずして、まことに残念だ」  だが、芳三は我が子の敵討ということもあり、町内の人々から嘆願状が再三に渡ってお上へさし出された結果、町内あずけという軽い刑で終った。  本来、敵討は武士の場合、目上の者の敵を目下の者が討つ場合にのみ許されるのだが、芳三は職人であり、たった一人の子を非業に死なせたことはあまりにも不愍として、お上が恩情を示したものであった。  お町は江戸おかまいとなり、この一件は落着した。  江戸の秋は終って、人々は冬仕度を急いでいる。  大川端の「かわせみ」では、お吉が女中達の先頭に立って大根干しをはじめていた。  そして東吾は、なにかというと女房にぼやいていた。 「この御時世だ。お上がよっぽどしっかりしてくれねえと、世の中、敵討だらけになっちまうぜ」  るいは、そんな亭主の愚痴をまじめに受けとめながら、今夜も正月の晴着のためにせっせと針を運んでいた。  一人娘の千春は、この秋中に、ぐんと背が伸びている。 [#改ページ]   白鷺城《しらさぎじよう》の月《つき》      一  十一月、神林東吾は播州姫路にいた。  秋の終りに軍艦操練所の上役から内々の下知があって、同じ軍艦操練所の谷川彦之進と二人、ちょうど江戸へ来ていた姫路藩の御用船に便乗して室津へ上陸し、酒井家の番頭用人、小林武兵衛に出迎えられて姫路城へ入った。  理由は姫路藩が西洋型の帆船の建造に取り組んだことによる。  徳川幕府は寛永十二年(一六三五)以来、商船以外の大型船の建造を禁止して来たが、それから二百年余りも経って、続々と外国船が日本近海へやって来て交易を求め出し、遂に嘉永六年(一八五三)、二百十八年ぶりにこの禁令を解いた。  まず幕府が相州浦賀で三本マストの西洋型船「鳳凰丸」を建造したのを手はじめに、水戸藩、島津藩が同じく三本マストの西洋型船を造った。  播州姫路は瀬戸内の海路の要衝にあった。  すでに弁才型和船の御用船を何艘も持っているし、御膝元の飾磨津《しかまづ》湊をはじめ、室津、高砂、網干《あぼし》、坂越《さこし》と良港が並んでいる。  たまたま、姫路藩の国学者、秋元正一郎安民が、摂津船永力丸の漂流者の一人、播州加古郡西本荘村出身の水主《かこ》、清太郎を引見したところ、西洋型船の造船知識があるのがわかり、彼を起用して西洋型船を建造してはと、藩主、酒井|雅楽頭忠顕《うたのかみただてる》に進言した。  その結果、秋元安民を造船総理にして室津において西洋型船「速鳥《はやとり》丸」の建造が始まったが、清太郎の知識と船大工の意見が食い違ったりして思うにまかせない。  それに新しい船が出来上っても、それを動かす者の訓練も必要ではないかということになって、酒井家のほうから軍艦操練所へ相談があって、造船技術が専門の谷川彦之進と、操船指導者として神林東吾が急遽、姫路へ迎えられたものである。  当初の予定ではせいぜい半月か、長くても一カ月足らずの滞在で目的が果せると考えていた。  実際、室津へ到着してみると「速鳥丸」は殆ど完成に近い状態で、谷川彦之進がいくつかの不備を指摘し、あちこちやり直しをしたものの、間もなく進水の運びになった。  東吾のほうも、まず机上で教えていたことを早速、船上で指導し、万事は順調に仕上げを急いでいたものだったが、好事魔多しとはよくいったもので、思いがけない出来事が起った。  その日、操船訓練を終えて、東吾は谷川彦之進から何か船体に関して気になることはないかと訊かれて、二本マストの中、後方の一本が強風の際、どうも不安定な気がするといった。 「速鳥丸」はいわゆる二檣《にしよう》スクーナーと呼ばれる帆船で、もともとは漁船として用いられ、漁獲物を速やかに市場へ運ぶために速度を重視した造りになっている。  そのために帆は二本マスト、船首に三角帆をあしらった型で、西洋型船としては小ぢんまりしているが、瀬戸内の海や日本近海を走るにはむしろ具合がよいといわれている。  すでに夕刻だったので、谷川彦之進は翌朝、練習が始まる前に船大工達と「速鳥丸」に乗船し、東吾のいった後方のマストの点検をはじめた。  事故はその時、起った。水主達が取りついていたマストがいきなり倒れて船上にいた何人かが避ける間もなくその下敷になった。  その一人が谷川彦之進で、知らせを聞いて東吾がかけつけた時、彦之進は意識こそはっきりしていたものの、腰から下が全く動かず、医者が蒼白になって手当をしていた。  彦之進は気丈な男で、深傷《ふかで》を負いながらも倒れたマストの欠陥を船大工に説明し、その修理を指示するので、東吾も立ち会って今度は万全を期した二檣スクーナーが飾磨津の湊に浮んだ。  事故は内々に片付けられ、「速鳥丸」は練習航海を続けているが、東吾としては重傷の彦之進をおいて江戸へ帰るわけにも行かない。  事情はすでに早飛脚で軍艦操練所のほうへ知らせてあるから、もしかすると彦之進の家族が姫路まで来るかも知れないし、姫路藩のほうでは、怪我の状態がもう少しよくなれば、御用船で江戸までお送りすると申し出ている上、今のところ、医者は動かすのは危険だとはっきりいっている。  で、東吾は「速鳥丸」の練習に立ち会ったり、知識欲旺盛な姫路藩の若者達に乞われて、スクーナー以外の西洋型船の操船方法などについての話をしたりしながら、もっぱら、彦之進の回復を待っている。  その東吾と彦之進の寄宿している屋敷は、姫路城の中曲輪《なかぐるわ》にある侍士《さぶらい》町の青木家で、当主の青木平蔵は小姓頭用人の職にあり、長男の平太郎が「速鳥丸」で東吾の指導を受けている。  隣家が馬廻役を勤める久松右内の屋敷で、右内の弟の光次郎というのと青木平太郎の妹の幸代が夫婦になっていて、夫婦ぐるみ、番頭用人の小林武兵衛方へ養子に入っていた。  ついでにいうなら、姫路城は天守を中心とする内堀以内の内曲輪に城の主郭部と城主の住居があり、中堀以内の中曲輪はすべて藩士の侍屋敷。外堀以内の外曲輪に下級武士の組屋敷、町家、寺町が配されて居り、それらが渦巻状になっているところは、江戸城や金沢城と全く同じ城下町の形であった。  廊下に足音がして部屋の前で止った。 「神林先生、妹が谷川どのの御見舞に参りましたが、お邪魔をしてもかまいませんか」  平太郎の声が訊ねて、東吾は立ち上って障子を開けた。  平太郎の背後に、薄紫の地に小菊を染めた小袖に繻子《しゆす》の帯を締めた幸代がすわっていて、丁寧に両手を突いた。 「遅うに参じまして申しわけございません。義父《ちち》がこれをお届けするようにと……」  小さな包が脇においてある。 「いつもお心をかけられ、かたじけない。谷川どのは今しがた服用した痛み止めの薬のせいか、よく眠って居ります」  そっと奥の部屋へ視線を向けた。  谷川彦之進の枕許には医者がつけてくれた若い弟子が看護人としてひかえている。 「それは気づかぬことを……」  平太郎が妹をうながした。 「神林先生、あちらでお茶を一服召し上りませぬか」  まだ宵の口であった。 「では、頂こうか」  看護人に会釈をして、兄妹の後から廊下を母屋へ向った。  東吾達が厄介になっているこの棟は青木家の家族が起居する棟とは渡り廊下でつながれている。  渡り廊下は屋根がかかっていたが、壁はなく、広い庭が見渡せた。  この屋敷のすぐ前は惣社伊和明神の境内であった。  姫路城が出来る前からこの場所にあるという古い社で、中曲輪のかなりの地所を占めている。  その木立のむこうに姫路城の天守が月光に映し出されている。  はじめてこの御城下に入って来た時、白く輝く大天守閣を、なんと美しい姿かと息を呑んで見惚《みと》れた東吾だったが、この青木家に寄寓してなにより気に入っているのは、この渡り廊下から眺める姫路城の容《かたち》であった。  とりわけ、月が中天にかかっている時が、なんともいえない。  で、ちょっと足を止めて大天守を仰いでいると、前を行く幸代がやはり、渡り廊下の柱に手をかけて、東吾と同じように城をみている。 「見事なお城ですね」  背後から東吾がいうと、ふりむいて、 「お月様の夜は一段と……」  うっとりした返事であった。 「では、秋が一番ですか」 「雪の積ったお城も、それは凜として美しゅうございます。桜が咲きますと花霞に囲まれてそれは華やかな御天守に見えますし、夏は……夕立のあとなどさわやかで清々《すがすが》しくて……」 「四季折々に風情があるということですか」 「江戸のお城も御立派なのでございましょうね」 「残念ながら御天守がないのですよ。明暦の大火で焼けてしまいましてね。その後、再建しなかったので……」  幸代は少しばかり驚いた顔をしたが、何もいわずそのまま歩き出した。  母屋へ入って来ると、子供の声が聞えた。 「武太郎どのを連れて来られたのですか」  幸代の一人息子で五歳になる少年は、時折、幸代が実家へ連れて来るので、東吾もよく知っている。 「今日は、お城泊りでございますので……」  幸代の夫の小林光次郎のことであった。 「さあ、神林先生、こちらに……」  平太郎が自分の部屋の障子を開けて待っていた。  まだ独り身なので、部屋の中は殺風景であった。床の間は書物だらけで、机の上も同様である。部屋のまん中に大きな火鉢をおき、鉄瓶が湯気を上げているのが僅かに所帯くささを感じさせる。  茶を一服といったが、用意されていたのは酒であった。鉄瓶の中に大きな徳利が一本、角盆の上には盃と箸と、|からすみ《ヽヽヽヽ》と大根を切ったのが肴においてある。  廊下のむこうからはあどけない少年の声にまじって青木平蔵夫婦の笑い声が聞えて来る。 「どうも、我が家の親どもは、孫が来ると、他愛がなくなって困ります」  燗のついた酒を、まず東吾に酌をし、自分は手酌で飲みながら、平太郎が苦笑する。 「あまり遅くならぬ中に戻れよ、武太郎が眠くなるぞ」  一つしか年が違わないのに、兄さんぶって妹へいうのを、東吾は微笑ましく聞きながら、改めて見舞の礼をいった。  幸代の舅《しゆうと》に当る小林武兵衛は東吾達を姫路へ迎えた責任者の立場から、谷川彦之進が怪我をして以来、始終、見舞にも来るし、嫁の幸代に今夜のように怪我人の滋養になりそうな食べ物などを届けさせてくれる。  悴の嫁を使によこすのは、この青木家が幸代の実家であるせいでもあった。 「どうした、夜道が寂しいのなら、甚兵衛に送らせよう」  東吾の挨拶が終っても、愚図愚図しているような妹へ平太郎が気づかった。 「よい加減に帰らぬと、あちらの姑様の御機嫌を損ずるぞ」  といったのは、小林家では家付娘である姑の五十枝《いそえ》というのが、けっこう気難かしいせいらしい。そうした評判は東吾の耳にも聞えていたので、つい、平太郎にいった。 「奉公人ではなく、貴公が送って行ったほうがよくはないか。俺なら勝手に飲ませてもらって部屋へ戻る」  幸代が思い切ったように兄へ向いた。 「今夜、武太郎とここへ泊ってはいけませんか。あの子、少し、風邪気味ですし、そのように甚兵衛からあちらへいうてやって下さいまし」 「何をいうのだ。夫の留守に、実家へ泊るなど、お前らしくもない……」  うつむいた妹の表情を窺った。 「それとも、何かしくじりをして姑様に叱られたのか」  幸代がかぶりを振った。 「そうでないなら、何なのだ。はっきりいいなさい」  東吾が盃をおいた。 「俺は遠慮しよう」  赤の他人の自分がいては、幸代が話しにくいと思ったからだったが、 「神林先生も聞いて下さいまし」  幸代がすがりつく風情をみせた。 「私、怖いのです」  重い口が漸《ようや》く開いたという感じであった。 「夜更けに、誰かが部屋の外へ来て、様子を窺っているような……」 「なんだと……」  平太郎がいいかけるのを、東吾は制した。  こういう場合、下手に口を差しはさむと、大事なことを打ちあけそびれると承知している。 「それは、毎夜ですか」 「いいえ、夫のお城泊りの夜だけでございます」  部屋には幸代と武太郎が二人、布団を並べて寝ているのだといった。 「私、息を殺して、武太郎に寄り添って居ります。もし、誰か入って来たら、武太郎だけは守らねばと思い……」 「お前の気のせいではないのか」  たまりかねたように平太郎がいった。 「小林家は重職だ、奉公人もこの家より多いし、戸閉りもきびしい。いったい、誰が忍び込んで来るというのだ」 「でも、たしかに誰かが部屋の外に……」 「人影でも見たのか」 「いいえ、部屋の行燈は消してあります。廊下は雨戸が閉って居りますから……」 「夢でも見たのではないのか」  幸代が兄を睨んだ。 「そのような……いつもいつも、夫の留守に同じ夢をみるものでしょうか」 「しかし……」  いいかけて平太郎が黙ったのは、廊下から母親が呼んだからである。 「幸代、お迎えが参りましたよ」  幸代がはじかれたように立ち上った。  障子が開いて武太郎が顔を出した。東吾をみると、少しはにかんでお辞儀をする。  結局、幸代と武太郎を囲んで、ぞろぞろと玄関へ出た。  迎えに来たのは、小林家の用人であった。  白髪頭の、如何にも忠義者といった侍である。  幸代が玄関を出る時、救いを求めるように東吾をみつめ、それで東吾はいった。 「先程の件は、兄上と相談しておきますよ」  なにも知らない平蔵が聞いた。 「なんの相談でござるか」  さらりと東吾は答えた。 「武太郎どのに船を見せたいとおっしゃるので、天気がよく、なるべく暖かな日ならばと考えているのです」 「ほう……やはり男の子じゃな、そうか、速鳥丸は武太郎にも珍らしかろう」  傍で平太郎がほっと息をつき、用人の背におぶわれた武太郎が小さな手を振りながら、母親と共に帰って行った。 「あまり、お気にかけられないで下さい。妹は子供の時から臆病で、夜、一人で厠《かわや》へ行けないで、父に叱られていたものです」  と平太郎は部屋で飲み直しをはじめてから東吾にいったが、やはり、どこか不安そうな顔をしている。  小林家の男の奉公人には、あまり若いのは居なかったようだと、東吾は盃を口に運びながら考えていた。  姫路に到着し、小林武兵衛に迎えられてから、青木家に落付くまで、数日だったが小林家に滞在したことがある。  確かに屋敷も広く、奉公人もそれなりにいたように思うが、用人をはじめ年輩者ばかりだった記憶がある。  そのことをいうと、平太郎も肯定した。 「武兵衛どのは御養子で、御妻女の五十枝どのは家付娘なのです。奉公人は五十枝どのの親の代からの者ばかりで、新規にはお召し抱えにならない。まあ、御家風といいましょうか」  男の奉公人は今のところ、みな所帯持ちだといった。 「まさか奉公人が幸代の寝所を窺うような真似はしないと思いますが……」  小林家の場合、主人達の起居する棟と奉公人達の棟とは別になっている。  その夜の話はそこまでであった。  酒はほどほどにして、東吾はあてがわれている部屋へ戻った。      二  中二日ばかりおいて、東吾は小林武兵衛の屋敷を訪問した。  武兵衛はちょうどお城から下って来たところで、東吾がたびたびの見舞の礼と、彦之進の容態を話すのを丁寧に聞いてから、 「神林どのには、かような仕儀となり、江戸を長らくお留守にされることとなられた。まことに御迷惑なことと、深くお詫び申し上げる」  と頭を下げる。 「いや、手前は江戸にさしたる用事があるわけではありません。ただ、長逗留となり御厄介をおかけしていることに恐縮して居ります」 「なんの、谷川どのの御怪我は当方の責任、決してお心づかいは御無用でござるぞ」  幸代が茶を運んで来た。  中庭のむこうからしゃがれた女の声が奉公人を叱りつけているのが聞えて来る。 「五十枝は如何致した」  武兵衛が訊き、幸代が詫びた。 「申しわけございませぬ。お部屋の御縁側に猫が足あとをつけて居りましたのを……私の不注意でございます」 「それほどのことに、何もあのように荒い声を立てずともよかろうに。相変らず気難かしい人だ」  その呟きが聞えでもしたように、当の五十枝が入って来た。  東吾に会釈をすると、 「貴方、私の茶袱紗《ちやぶくさ》を御存じありませぬか」  と夫に向って訊く。 「知らぬが……」 「どう探しても見当らぬのでございますよ。幸代、武太郎が持ち出したのではありますまいね」  慌てて幸代が立ち上った。 「よもやと存じますが、見て参ります」  出て行く後姿を眺めて、五十枝が遠慮のない声でいった。 「どうも、この家は何かというとものが消えてしまう。奇怪なことでございますな」  武兵衛が流石に眉をひそめた。 「御客人の前で、つまらぬことを口走るでない。ものがなくなるのは、其方の不始末の故ではないのか。自分でどこやらに置き忘れ、それを人のせいにしてはならぬ」 「なんとおっしゃいます。いつ、私がそのような……。さあ、仰せられませ、いつ、私がどこに何を置き忘れましたか」  小林家の屋敷の外へ出て、東吾はやれやれと肩の力を抜いた。  どうも物凄い女房どのだと苦笑が湧く。  東吾の見ている前で、五十枝は大層な剣幕で夫をどなりつけ、徹底的にやっつけた。  その妻に対して、武兵衛は東吾の手前もあるのだろうが、殆どいい返すこともなく、ひたすら沈黙を守り通していた。  中堀に沿って歩いて来て、東吾はむこうから大声で呼んでいる平太郎に気づき、同時にその後に続く三人を見て自分の目を疑った。 「るい……宗太郎……おい、長助じゃないか」  平太郎が荒い息を吐いていった。 「こちらが、先程、江戸からお着きになりまして……」 「東吾さん、生きていたんですか」  とぼけた顔で宗太郎が近づいて来た。 「江戸では、みんな、東吾さんが帆柱にぶち当って大怪我をして、我々が姫路へたどりつく頃には、間違いなくあの世へお旅立ちだといっていたのですよ」  長助が手をふり廻した。 「鶴亀、鶴亀、いけませんや、縁起でもねえ。ですが……御無事で……なによりでござんす」  語尾が泣き声になって、東吾はあっけにとられた。 「冗談いうな。なんで、怪我をしたのが俺なんだ」 「姫路から江戸までは百五十七里と少々。誤伝も入るものですよ。おるいさんも長助も、青木どのからいくら東吾さんはぴんぴんしていると聞かされても、顔を見るまでは信じられないといい張りましてね」  東吾がるいを見た。  青ざめ、やつれて、今にも足許から崩おれそうな弱々しい姿で、それでもしっかりと東吾をみつめ、泣くまいと唇を噛みしめている。 「るい」  まっしぐらに東吾は恋女房のところへとんで行った。 「どこのどいつが馬鹿な知らせを江戸へ運んだんだ」 「兄上様が……それはもう召し上りものも咽喉《のど》を通らないほど御案じなされて……出来ることなら御自身も姫路へ向いたいと仰せになりました」 「畝源三郎どのも、この際、お奉行所をしくじっても、わたしと一緒に行くと、あのお役目大事の人が逆上しましたよ」  宗太郎が少しばかり神妙な口調になった。 「すまない。みんなに心配をかけた」  鼻の奥が熱くなって、東吾は平太郎にいった。 「すまぬが、これはわたしの縁者で、とりあえず御当家へ連れて参りたいが……」  平太郎が当然という顔をした。 「父も母も、もとより、その心算《つもり》で居ります。お供をして帰らねば、手前が親から勘当されます」  宗太郎がいった。 「とにかく、わたしは怪我人を診《み》なければなりません。まあ、戻りましょう」  青木家にはやはり江戸から一緒に来た谷川彦之進の弟と妹が、兄の枕許についている。  るい等の一行に対しては、今まで東吾が使っていた部屋のもう一つ奥の六畳と四畳半が用意されていた。  そこは青木家の先代の隠居所として建て増しされたものだとかで、隠居が他界したあとは滅多に使うこともなかったらしいが、すっかり雨戸を開けはなって清掃が終って居り、菊畑のむこうにお城が眺められた。 「江戸からの長旅、さぞお疲れでございましょう。まずは御ゆっくりおくつろぎ下さい」  と青木平蔵の女房おたつから挨拶があって、るいも長助も漸く人心地がついたようであった。 「いったい、俺が怪我をしたなんぞと誰が知らせたんだ」  宗太郎が怪我人の様子を診に行き、三人だけになった部屋で、東吾が訊いた。 「俺は軍艦操練所の大久保様に宛てて、早飛脚で事情を知らせておいたのだぞ」  るいが、宗太郎の脱いで行った羽織をたたみながら答えた。 「大久保様からは、たしかに谷川様がお怪我をなさった旨、お知らせがございましたの。ただ、貴方が御無事だったかどうかは何も書いていないのでよくわからないと……」 「無事だから何も書かなかったんだ。怪我をしていればそのように書くさ」 「そこへ酒井様の江戸御用人様が軍艦操練所をお訪ねになって、不慮の出来事で御迷惑をおかけしたと丁重にお詫びをなさったそうなのです。それで、怪我をしたのは一人か二人かとお訊ねしたら四人が重傷だとのことで……」 「そうさ。谷川どのと一緒にマストに取りついていた水主と手伝っていた者が二人、全部で四人だ」  るいが初めて笑った。 「そのあたりから話がおかしくなったのですね」  四人の中の一人が東吾ではないかということになり、重傷の谷川彦之進の弟と妹が姫路へ向うと知らされた。 「私、何としてもこちらへ参りたいと思いまして……兄上様も御苦労だが頼むと目をうるませておっしゃいました。宗太郎様は最初から自分が行くと……そこへ長助親分が……」  長助がぼんのくぼに手をやった。 「いえ、あっしがうかがったって何の役にも立ちはしません。ですが、畝の旦那はお仕事に手がつかなくなっていらっしゃる。せめて、あっしが荷物持ちでもさせて頂いてお供がしてえと……」 「かたじけない。よく来てくれた。俺は嬉しいよ」 「すぐに兄上様に早飛脚を立てて下さいまし。どれほど、御心痛か……」 「わかった。すぐに書く」  すでに日は暮れかけているので、東吾は慌てて出て行った。  勝手知った城下の飛脚屋へ出かけて兄への書状を托して戻って来ると、すでに夕餉の膳が運ばれていて、宗太郎の顔も見えた。 「大体、東吾さんが筆不精だからいけないのですよ。軍艦操練所へ知らせる時に、どうして自分の家にも手紙を書かないのですか」  るいにお酌をしてもらいながら、笑顔で苦情をいった。 「いや、どっちみち、大久保様から知らされると思っていたし、第一、俺は怪我もなんにもしていない。知らせるとすれば、江戸へいつ頃、帰れるかだろうが、そっちのめどは一向につかないから……」 「谷川どのの怪我は腰が心配ですよ。こちらの医者とも相談したのですが、江戸を発つ時、こういうこともあろうかと、父の昵懇の大坂の医者へ紹介状を書いてもらって来たのです。そちらは骨接ぎの名人だそうで、明朝、谷川どのの弟が大坂へ行く手筈になりました」  その彦之進も流石に弟妹の顔をみて、だいぶ気分がらくになったらしいといった。 「なにしろ、あちらは御新造をなくされたばかりですからね」  一年前に妻女と死別しているのは東吾も知っていた。 「まあ、名医は来てくれたし、身内が傍で看病となれば、谷川どのもほっとされただろう」  江戸の話、速鳥丸の話など賑やかな夕餉が終ったところに、幸代が武太郎を伴って挨拶に来た。 「小林の舅《ちち》が、御家族様御到着の由を聞きまして……」  とりあえず、酒やら菓子やらをお届けせよといわれて来たのだという。 「谷川どのの御家族はともかく、我が家の者は早とちりで参ったようで、何卒、お心遣いは御無用に願います」  江戸では東吾も怪我をしたことになっているらしいと幸代に話していると、宗太郎が立って来て、武太郎の額に手を当て、口を開けさせ、箸で舌を押えて咽喉の奥をのぞき込んだ。 「あの……昨日からものを食べると咽喉が痛いと申しまして……今日は白湯《さゆ》しか頂きませんので……」  これから医者の家へ連れて行くつもりだったと幸代が訴えた。 「坊やは風邪ですよ。少々、熱が出て来ているのは咽喉の奥が炎症を起している故です」  すぐ手当に行くから、温かくして寝かしておいて下さいと宗太郎にいわれ、幸代は武太郎を抱いて母屋へ戻って行った。  早速、薬籠《やくろう》を開け、少々の薬などを取り出して宗太郎が出て行く。 「名医というのも気の毒だな。行く先々に病気が待っているようなものだ」  憎まれ口を叩いた東吾が、ふと思いついて二人を庭へ誘った。  そこから大天守が正面に見える。  月は欠けはじめてはいたが、明るさは充分で、満月の時とはまた違った風情がある。 「まあ、美しい」  と、るいが小さく叫び、長助が感嘆した。 「こりゃあ、まるで絵のようで……」  昼間、山陽道の御着《ごちやく》の宿《しゆく》あたりから、この城が眺められて、 「立派なお城とは思いましたけれど、その時は貴方が御無事かどうかもわかりませんでしたから……」  今、しみじみと眺められると、るいがいった。 「ここのお城は別名を白鷺城と呼ばれているんだ。お城の姫山に白鷺が沢山いるからという説と、お城全体が白鷺を想わせるせいで名付けられたというのと二つあるそうだがね」 「おっしゃるように白い大きな鷺の姿のようにも見えますのね」 「長旅をさせてすまなかったが、二人が姫路まで来てくれてよかったと思うのは、この城の御天守だけは見せたかったんだ」  長助が何度もうなずいた。 「お供をさせて頂いたおかげで思いがけねえ目の保養を致しました。嘉助どんや、お吉さんに、いい土産話が出来ます」  そこへ宗太郎がやって来た。 「ここからの眺めも悪くありませんが、むこうの渡り廊下から神社の木立越しに見る御天守はなかなかですよ」 「あそこは俺も気に入っているんだ」  東吾の返事を聞いて、るいと長助は庭伝いにそっちへ向った。ついて行こうとする東吾を宗太郎が目で止める。 「なんだ」 「幸代どのといわれるのは、こちらが実家だそうですね。婚家は番頭用人の小林武兵衛どのとか」 「そうだ。武兵衛どのの御子息の、といっても隣家の久松右内どのの弟が養子に入られたのだが、光次郎どのという、そちらの女房どのだよ」 「夫婦で養子に入られたのですか」 「ああ、それが何か」 「姑が相当のわからず屋だとみえますね」 「幸代どのがそういったのか」 「いや、こちらの平蔵どのですよ。孫が具合が悪いというのに、医者へ連れて行く暇もないほど嫁をこき使う。嫁はともかく、孫が可愛くないのかと烈火の如く立腹されていましたよ」  黙っている東吾の顔を上目遣いに眺めた。 「幸代どのが手前に申されました。この前、お話ししたことについて東吾さんの御意見がうかがいたいが、江戸から奥様がお着きになったのでは、そのお暇はございますまいねと」  東吾が破顔した。 「なんだ、その目つきは……」 「おるいさんが死ぬほど心配していたというのに、よくあっちこっちで女の相談なんぞにのってやっていますね」 「そんなたいしたことじゃあないんだ」  結局、いつものように、東吾は幸代の訴えた話を洗いざらい宗太郎の前で喋らされた。 「つまり、御主人がお城泊りで留守の夜に何者かが、幸代どのの寝所を窺うというのですか」  宗太郎が首をひねった。 「それはちょっと合点が行きませんね。新婚早々の若夫婦の寝所を夜中に窺うのは、いけ好かない姑と相場がきまっているものですが……」 「幸代どのは、嫁してもう六、七年だろう。第一、そういうことがあるのは、武太郎坊やと二人きりの夜だそうだ」 「東吾さんは、何か心当りがありますか」 「それがないので困っているんだ」 「幸代どのは、武太郎坊やが熱を出したのを口実に、今夜、実家へ泊りたい様子でしたがね」 「今夜だと……」 「御亭主はお城泊りとか」  近習頭をつとめる小林光次郎はこのところ御用繁多で宿直《とのい》が多いらしい。  そこへ青木家の奉公人が湯殿の仕度が出来たと知らせに来た。 「宗太郎から入れ」 「東吾さんも早く入らないと、おるいさんや長助が入れません。今夜は二人を早く寝かしてやりたいと思いますから……」 「わかっているよ」  宗太郎に続いて東吾も一風呂浴びて部屋へ戻って来ると、るいがいった。 「こちらのお部屋は宗太郎様と長助さんが。私共は今まで貴方が御厄介になっていたお部屋でやすませて頂くことになりました」 「なんでもいいから、早く風呂に入って来いよ。るいが入らないと、長助は遠慮して入れないぞ」  六畳のほうに宗太郎の布団が敷かれ、隣の部屋に長助が寝るようになっている。  東吾が昨日まで一人で寝ていた部屋へ戻って来ると二人分の寝具が仕度されていた。  谷川彦之進の部屋のほうはひっそりしている。  足音を忍ばせるようにしてるいが入って来た。 「幸代様とおっしゃる、こちらのお嬢様ですけれど、先程、婚家のほうからお迎えが参りましたの。こちらの旦那様が熱のある孫を夜風に当ててはならぬし、よく眠っているから今夜はあずかるとおっしゃって……」 「幸代どのはお一人で婚家へ帰られたのか」 「そのようでございました」  青木家の両親は娘が嫁いだ家で、このところ幸代が怖しい思いをしていることを知らない。  幸代が親に心配をかけまいとして黙っているからで、その結果、幸代はたった一人で夜を過すことになる。 「かまわず、先に寝ていてくれ」  るいにいい、東吾は母屋へ行ってみた。  平太郎の部屋をのぞくと、まだ寝ていなかった。 「武太郎坊やを、今夜、あずかったと聞いたので……」  といっただけで、平太郎は東吾の不安がわかったようである。 「妹に裏木戸の桟をあけておくよう申しました」  寝所に近い入口だといった。 「あの屋敷の中はよく知っていますので、庭から妹の部屋の外へ忍んで行って、よそながら様子をみようと思います」  なんのかのといっても、妹の身が気がかりらしい。 「大丈夫か」 「万一、小林家の者にみつかったら、武太郎が母を恋しがって泣きやまないので、幸代を迎えに来たというつもりです」  平太郎がその気でいるなら安心だと東吾は自分の部屋へ帰った。  るいは夫にいわれた通り、先に布団へ入って小さな寝息をたてている。東吾の無事を知って、いっぺんに疲れが出たのだろうと、その白い顔を眺め、思いきり抱きしめてやりたいのを我慢して、東吾も自分の布団にもぐり込んだ。      三  小林武兵衛が、場所もあろうに悴の嫁の寝所で胸に懐剣が突き立った状態で死んでいると東吾が知らされたのは、翌早朝であった。  青木家からはすでに平太郎がかけつけて行っていると聞き、東吾は宗太郎と共に小林家へむかった。  小林家は内外ともに静かであった。  まだ凶事は外に洩れていないかに見える。  だが、出迎えてくれた青木平太郎によると、間もなく小林家の遠縁に当り、家老職の内藤甚右衛門が来るという。 「五十枝どのが奉公人を迎えにさしむけたのです」  すでに、小林武兵衛の遺体は仏間に移されていると聞き、東吾と宗太郎はそこへ案内された。  五十枝は着物を着替えているとかで、遺体の脇には幸代が茫然自失の体でひかえていたが、兄と共に入って来た東吾をみると、僅かに腰を浮かし、また、崩おれるようにお辞儀をした。  武兵衛の傷は一カ所で左胸部を深くえぐっている。 「致命傷ですね」  宗太郎が低くいい、東吾は平太郎に訊いた。 「短刀で突いたようだが……」  平太郎が遺体の近くに、布にくるんであったものをそっと開いて見せた。柄許《つかもと》まで血まみれである。 「これは、どなたの……」  平太郎がためらい、幸代がいった。 「私が嫁ぐ折、父から与えられたものでございます」 「平素は、どこにおかれた」  長らく続いている泰平の世のせいで、武家の妻女でも日常は短刀など身につけてはいない。 「居間の袋戸棚の中でございます」  若夫婦の寝所の隣の部屋であった。 「取り出したのは……」 「私ではございません」  嫁入りして来て、そこに納めたきり、出したことがないといった。 「姑どのが来られぬ中に、部屋を拝見しよう」  東吾が平太郎をうながして、幸代の寝所へ行った。  裏庭に面した八畳間で、すみに布団が一組、とりあえず片付けたという恰好で畳んである。 「武兵衛どのは、あの布団の裾のあたりに倒れて、こと切れて居られました」  平太郎がかけつけて来た時、遺体はまだここにあったという。  布団を宗太郎がひろげた。半分が血に染っている。それが敷かれていたあたりの畳にも血が流れた痕がはっきり見られた。 「心の臓を一突きしているのですから、出血は凄じかったと思いますよ」  あたりを眺めて、宗太郎が呟いた。 「ところで、昨夜のことをお話ししておきたいのです」  平太郎が救いを求めるように、東吾をみつめた。 「どうか、手前のこれから申し上げること、信じて下さい」  東吾が力強くうなずき、平太郎が腹に力を入れるようにして話し出した。 「手前は、昨夜九ツ(十二時)を過ぎてから屋敷を出ました。惣社の森を抜けて行ったのは、そのほうが小林家に近く、万一にも人に出会わないと考えたからです」  武家屋敷の夜は早いが、それでも曲輪外へ遊びに出たりして深更に帰宅する者がいないとは限らない。 「小林家へついて妹と約束した裏木戸へ行ってみると桟は下りていました。妹が忘れたのか、それとも何かがあったのかと屋敷内を窺いましたが、物音は聞えず、人の声もしません。暫く、そのあたりに忍んでいましたが、どうにも寒い。夜明けが近づいて来て、手前は念のためと思い、自分の屋敷へ帰りましたところ、妹は手前の部屋に居りました」  兄との約束のために裏木戸の桟を開けに来て、幸代は急に実家へ残して来た武太郎のことが気になったらしいと平太郎はいった。 「妹の申すには武太郎の泣いている声が耳に聞えるようで、夢中になって実家まで来てしまったところ、母の部屋の灯は消えているし、武太郎が泣いている様子もない。それで手前の部屋へ入って、ぼんやり考えごとをしている中に、つい、うつらうつらしてしまったとのことです」  平太郎が帰って来て、改めて妹を小林家の裏木戸まで送って行った。 「不思議なことですが、桟は下りていませんでした。手前がこの家の外から立ち去った後、誰かが開けたに違いありませんが……」  東吾が遮った。 「夜は明けていなかったのですな」 「まだ、まっ暗でした。手前が自分の部屋へ戻って来て火鉢に炭を足している時、障子の外がぼんやり白みはじめたのですから……」 「武兵衛どのが歿っているのをみつけたのは……」 「幸代です。手前と別れて、自分の部屋へ入って……そこに……」  幸代が来た。 「お姑《かあ》様が兄上に御用だとか……」  平太郎が行き、東吾は幸代に訊いた。 「平太郎どのから、昨夜の話を聞いていたところです。貴女は裏木戸の桟を開けに出て、武太郎坊やのことが心配になって夢中で実家に行かれたのですね。その時、裏木戸は閉めて出られた」 「はい。でも、桟は、当然のことですが、外からはかけられません」 「平太郎どのと一緒に戻って来られた時、桟は開いていた」 「そうです。私が閉められなかったのですから、それで当り前と思いますが、でも、兄が私と入れ違いにここへ参った時、桟が下りていて戸は開かなかったと……」 「夜中に誰かが見廻りに来て閉めるということは……」 「考えられません。戸閉りを見廻るのは私の役目でございまして、昨夜は実家から戻って参りまして、裏木戸に桟を下しました。それを一刻あまり後に、私が開けて出たのですから……家の者はお舅《とう》様、お姑様は勿論、奉公人も寝鎮まって居りました」 「朝、裏木戸の桟を上げるのは……」 「それも私の役目でございますから……」  平太郎に送られて裏木戸を入り、まだ暗かったので、いったん、桟を下したといった。 「次に開けたのは、お舅様が歿っているのをみて、仰天して、実家へ走った時でございます」 「武兵衛どのが倒れているのは、部屋へ入ってからわかったのですか」 「いえ、部屋には行燈の灯がともって居りました。私、つけたまま出て行ってしまったので……ですから、障子を開けてすぐにお舅様の倒れているお姿がみえました」 「抱きおこしたりはされなかった」 「はい、お恥かしいことでございますが、私、逆上してしまい、兄がまだ裏木戸の近くにいるような気がして慌てて追いました。本当なら、直ちにお姑様にお知らせするべきだと思いますが、その時は……かっとしてしまって、なにがなにやら……夢中で実家まで行ってしまい、兄の部屋の雨戸を叩きました」  青木家は小林家より家格が低く、屋敷に塀を廻《めぐ》らしていない。 「兄がここへ来てくれまして、お舅様を……私はお姑様をお起ししに参りました」 「姑どのは起きて居られましたか」 「いいえ、二度ほどお呼びしまして、漸く、お部屋の中から、どうかしたのかとおっしゃいまして、お舅様の御様子が……と申し上げましたら、すぐに起きて障子をお開けになりました」 「その時、姑どのはどのような姿で……」 「いつもお召しになる長襦袢の御夜着で、しごきをしめてお出ででした。すぐに私と一緒に来られて……兄がいろいろと申し上げるのをお聞きになってから、用人を呼び、みんなでお舅様を仏間へお移し致しました」 「その後、姑どのから何かいわれましたか」 「別に、なにも……兄が万事をお話ししたとは思いますが……」  東吾が宗太郎をみ、宗太郎が初めて訊いた。 「不躾なことをうかがいますが、こちらの御両親のお年齢《とし》はおいくつになられますか」 「舅《ちち》が四十九歳で、姑《はは》は五十五になります」  宗太郎が軽く会釈をし、幸代は廊下を戻って行った。  どうやら、玄関に客が来たらしい。  おそらく、五十枝が迎えをやったという、家老職の内藤甚右衛門が到着したものとみえた。  で、東吾と宗太郎はとりあえず小林家を出た。中曲輪の武家地を青木家へ向って歩いて来ると道が二つに分れる。  一方は渦巻状につながっている中曲輪の中の武家屋敷の間を抜けて行く道で、武家屋敷はおおむね四角に敷地が区切られているが、全体が渦巻状の敷地だから、あちこちで曲り角が出来る。もっとも、これは城下町特有の町作りで、敵が攻めて来た時、まっしぐらに城内へ進入出来ないよう、守りに便利な道筋になっている。  もう一方の道はすぐ惣社伊和明神の境内に突き当る。  平太郎がいったように、武家屋敷の中の道を小林家へ行くよりも、惣社の境内を抜けたほうが遥かに距離は近い。  東吾がずんずん、そちらの道を行き、屋根付の門を入った。  境内地は白壁の塀と柵で囲まれ、広い敷地に本殿をはじめ惣神十六社の建物や稲荷社、金比羅社、天神社などさまざまの祠《ほこら》が建ち並んでいた。そこを通り抜けて東側の門を出ると青木家は目の前である。 「成程、近いですが、夜は寂しいでしょうね」  と宗太郎がいったように、武家地は人の住居で多少なりとも人通りもあり、屋敷によっては奥の灯などが洩れて来る規模のものが少くないが、この社地は神職の居住する建物が西のすみにあるだけで、昼でも深閑としている。  昨夜、一人で実家へ行くのに、幸代が武家地を行き、平太郎が社地を抜けて小林家へ行ったとすると兄妹が行き違いになっておかしくはない。 「幸代どのの寝所を深夜に窺っていたのは、武兵衛どのではありませんかね」  歩きながら宗太郎がいい出した。 「小林家を出る時、ちらとですが五十枝どのを見ましたがね。えらい婆さんでしたね。五十五どころか六十にも見える。あれでは今から六、七年前に夫婦養子を迎える気になって不思議ではありません。武兵衛どのにしても五十を過ぎようという女房にこの先、子が誕生するとは思えなかったでしょうし……」 「だからといって、嫁の寝所をのぞく理由にはならんだろう」 「のぞかないという理由にもなりませんよ。東吾さんのように若い中に無茶苦茶をやった人間は老いて案外、おとなしくなるそうですが、武兵衛どのというのは勘定方づとめのかちかちの叩き上げだと聞きましたよ。能吏で人柄が堅いのを見込まれて小林家へ養子に入った。女房は六つ年上の、けっこう口やかましい強面《こわもて》です」 「年上で悪かったな。どんな可愛い娘も婆あになれば、それなりに口やかましくなるものさ」 「おるいさんもそうですか」 「馬鹿……」 「女は魔物といいますがね。男もけっこう魔がさすことがある。律義な堅物《かたぶつ》にしても例外とはいえません」 「宗太郎は何がいいたいんだ」 「嫁さんの寝所を窺う魔のさした男にとって昨夜はまたとない機会でしたね」  聟はお城泊り、孫は嫁の実家へ泊っている。 「武兵衛どのを殺害したのが幸代どのといいたいのかも知れないが、短刀は隣室の袋戸棚に入っていたのだぞ」 「不安を感じて、幸代さんが手許においておくことも考えられますよ」 「だが、武兵衛どのは正面から胸を突かれていたんだ。武士の娘だから、少々、武芸の心得はあったにせよ、女の力であれだけ突き刺すのは相当の力が要る。第一、全身に返り血を浴びた筈だ」  宗太郎が満足そうに笑った。 「流石ですよ、東吾さん。幸代さんの着ている着物は昨夜、我々の所へ挨拶に来た時と変っていませんでしたね」  その着物には返り血の痕は全くなかった。 「人をこけにするなよ。いったい、何年、源さんの捕物の手伝いをしていると思う。返り血のあるなしなんぞ捕物のいろはじゃないか」 「ですが、武兵衛どのが嫁さんの寝所をのぞいていたことを、奉公人なぞが気づいていると、幸代さんが疑われますよ」 「気づいているかな」 「人は他人の弱点には敏感なものですよ」  ところで東吾さんは下手人は誰だと思っているのですかと訊かれて、東吾は苦笑した。 「そいつは平太郎どのの報告を聞いてからだ」 「そういうと思いましたよ」  二人が戻って来た青木家では平蔵夫婦が途方に暮れていた。  本来なら、早速、くやみに行く立場だが、ことがことだけにどうしたものかと悩んでいる。 「間もなく平太郎どのが帰って来ると思いますので、それからでよろしいでしょう」  別棟に待っていたるいと長助と四人、額を集めて話をしていると、一刻ばかり経って平太郎が迎えに来た。 「小林家の姑どのがお出でになられたのです。神林先生や先程、御一緒に来られた麻生《あそう》宗太郎様にも御同席願いたいとのことなのですが……」  といわれて、東吾と宗太郎は書院へ行った。  五十枝は利休ねずみの着付《きつけ》に黒っぽい帯を締めていた。  小柄で痩せぎすだが、肩や腕がしっかりしているのが着衣を通してもよくわかる。  小林家は酒井家に代々仕える名門とのことで、おそらく五十枝も女ながら武芸のたしなみはあるに違いない。なによりもその毅然とした姿が、夫を失った直後だけに痛々しく見える。 「思いがけない夫の死で、皆様にはさぞ驚かれたことと存じます。只今、内藤甚右衛門様にもお話しを致しましたが、この際、皆様にも誤解のないよう、夫の死についてお話しさせて頂きとう存じます」  という声は穏やかだが、底力があった。 「小林武兵衛は死をもって殿様にお詫びを致しました」  青木平蔵夫婦が、あっという顔をしたが、東吾と宗太郎はうつむいたままであった。  五十枝が続けた。 「理由は、武兵衛が速鳥丸建造の責任を果せなかった故にございます」  たしかに小林武兵衛は速鳥丸建造に関して最高責任者の地位にあった。 「速鳥丸建造の責任が果せなかったとおっしゃるが、西洋型帆船は無事に建造され、只今は瀬戸内の海を航行して居るやに心得ますが」  青木平蔵がいい、五十枝はそれを制するように言葉をつなげた。 「たしかに速鳥丸は完成致しました。なれども、不慮の出来事なぞもあって、当初、殿様よりお許し頂きました藩金に不足を生じ、どう奔走致しましても、その穴埋めがかないませんでした」  小林家に代々伝わる家宝なども売り払い、城下の商人に頭を下げなどしても、結局、どうにもならなかったと五十枝は沈痛な面持ちでいった。 「長年、勘定方支配役にございました武兵衛と致しましては、これほど自分の立てた見積が狂うのは生涯に初めてのこと。いかに苦しみ、申しわけなく存じていたか、女の私には主人の心の中が読めませず、主人の決心にも気づきませんでした。妻としてまことにお恥かしいことでございます」  その旨を内藤甚右衛門を通じ、殿様に申し上げ、御裁断を仰ぐ所存だと結んだ。 「つかぬことをお訊ね申しますが……」  東吾が顔を上げ、五十枝は、 「なんなりと」  と応じた。 「武兵衛どのの御遺書の如きものはございましたのでしょうか」  五十枝がすんなりとうなずいた。 「流石に心乱れて書きましたようで、とても人様にお目にかけられませぬが、妻の私にあてて、孫の武太郎を頼む、と」 「左様でございましたか」  改めて東吾は手を突いた。 「速鳥丸建造にかかわりました谷川彦之進と神林東吾、つつしんでおくやみ申し上げます」 「ありがとう存じます。貴方様方は酒井家より御助力を乞い、わざわざ江戸からお越し下さいました。おかげをもちまして速鳥丸は無事、竣工致し、殿様はじめ姫路藩の面目如何ばかりかと存じます。亡き夫も貴方様、谷川様にはどれほど感謝致して居りましたことか。かような仕儀になりまして、私より夫に代って御礼を申させて頂きます」  その日の午後、内藤甚右衛門が青木家へ来た。 「殿様には小林武兵衛の死を哀れみ給い、格別のお情をもって、悴、光次郎に小林家の家督を継ぐことお許し下された。家禄はそのまま、ゆくゆくは武兵衛同様、重職につけるよう勤めにはげめとお言葉がござった故、何卒、御安堵なされ」  尚、妻の五十枝は夫の野辺送りをすませ次第、髪を下して加古川の寺に入り仏道修行をするとのことであった。  東吾達が酒井侯の思し召しにより、大天守の拝観を許されたのは、明日は江戸へ向って発つという日のことで、谷川彦之進はすでに数日前、駕籠で大坂の骨接ぎ医の許へ去っていた。  大天守の入口で、案内役には足弱連れなので、ゆっくりと登らせて頂きたく、勝手を致しますからと断りをいって、東吾にるい、宗太郎に長助と四人が天守台の上部石垣の内側にきれいに収まるようになっている地階から登閣御門を入った。  先頭を宗太郎が上り、東吾はるいに手を貸しながら、その後に続き、最後を長助が上って来る。  一階は磨き抜かれた武者走り廊下を廻らし、南に五十四畳もある大広間、北は武器庫になっている。四方は鉄砲|狭間《はざま》、槍窓、石落しが設けられて居り、それは二階も同様な造りであった。 「どうも、この心柱てえんですか、なんともはや立派なものでして……」  と感心している長助は膝が笑い出しているらしく、それを見たるいが、 「私は長助親分と、のんびり上りますので、貴方、お先に……」  と東吾をうながした。  すでに宗太郎は五階まで上っていて、 「東吾さん、早くお出でなさい。絶景ですよ」  と呼んでいる。  息も切らさず、東吾はそこへ登りついた。  たしかに窓から眺める姫路の城下町は夢のように美しい。 「さあ、もう一層で最上階ですよ」  その六階は内陣が一段高くなり、三十畳の広間は桃山風書院造りの見事な装飾がほどこされている。 「ここなら話してもかまいませんね」  梯子段の下をのぞいてから、宗太郎がいった。 「東吾さんの謎ときを是非、聞きたいものですな」  いうまでもなく、小林武兵衛の死についてであった。 「あれは自殺ではありませんよ」  自分で胸を突いたにしては、傷痕からして短刀の刃が逆だといった。 「未亡人のいうように、覚悟の自殺なら、武士としては切腹でしょう。なんで嫁さんの寝所で、嫁さんが嫁入りの時に持って来た懐刀なんぞで胸を突きますか」 「わかっているのだろう。宗太郎も……」 「あの人は怖いですね。御亭主が嫁さんの寝所を窺っていたのも、ちゃんと知っていた。殺し場所を嫁さんの寝所にしたり、嫁さんの短刀を使ったりしたのは、女の嫉妬というか、嫁さんへの面当てですかね」 「あの人が守りたかったのは家だよ、家名だな」  先祖代々、酒井家に仕えた名門小林家の家付娘として、守らねばならないのは親から受け継いで、子孫に伝える家であったと東吾は憂鬱そうに応じた。 「養子に来た男が、こともあろうに嫁さんに色気を出した。そんな話が世間に広まってみろ。もしも、奉公人が気付いて噂なぞし出したら、由緒ある家名が泥にまみれる」  たしかに、速鳥丸建造の最高責任者としては予算を超過した責任を問われる。 「この美しい城を持つ酒井家も御多分に洩れず、お内証はかなり苦しいようだ」  止むなく、武兵衛は小林家の家宝などを処分して急場をしのいだが、 「家付娘にしてみたら、先祖の宝が次々と売り払われるのは、血が凍る思いだろう」 「しかし、思い切ったものですね」  あの夜、幸代が出て行ったのも、五十枝は承知している。同時に武太郎を実家へおいて来た今夜こそ、夫が嫁の寝間に忍び込むに違いないとも推量していた。 「あの人は、嫁の出て行った後、裏木戸の桟を下した。幸代どのが帰って来ても屋敷へ入れないためだ。そして、夫どのが嫁の留守とも知らず忍んで行くのを追いかけて、かねて持ち出しておいた幸代どのの短刀で武兵衛どのを刺殺した」  その上で裏木戸の桟を開け、すぐに着替えをしただろうと東吾はいった。 「血まみれの衣類はどこかにかくし、寝巻き姿になる。夜が明けて幸代どのが知らせに来て、とりあえず仰天した風情で万事、指図をしてから、悠々と着物を着る。実に胆がすわっているよ」 「御家老さんも気がついたでしょうね」 「小林家を守るためさ。それに武士の情ということもある。嫁に狂って女房に殺されたのでは成仏しないが、殿様への申しわけのためなら、まあ、武士の体面は保たれる」 「嬉しくはありませんが、武太郎坊やのことを思うと、これでよいのかも知れませんね」 「俺も、そう思った」  はあはあと荒い息を吐いて、るいと長助が上って来た。 「こりゃあ、日本一の眺めでございますね」  長助が大声を上げ、宗太郎が笑った。 「いいのかね、江戸っ子がそういうことを口に出して……」  東吾はるいにより添って、遥かな播磨灘を指して教えていた。  海原は遠く光り輝き、天守閣の下の城下町は穏やかな冬の陽を浴びて温《ぬく》もっている。  その播州平野に凜として聳える白鷺城は、人間の愚かな営みをどれほどの長い歳月、じっと見守って来たのかと思い、東吾はかすかな吐息をついた。  白鷺が一羽、眼下をゆっくりと舞っている。 「るい、正月は江戸だな」  さまざまの思いを振り捨てるように、東吾は白鷺に見とれている女房の背へ話しかけた。 [#改ページ]   初春夢《はつはるゆめ》づくし      一  松飾りが取れて間もなくの頃、大川端町の旅籠「かわせみ」に、珍らしい客があった。 「おるい小母様でございますね。私がおわかりになりますか。津軽の高倉へ嫁ぎました満江の娘の佐代でございます」  たまたま泊り客を送り出して帳場にいたるいへ向って、暖簾をかき分けるようにして入って来た頬の赤い娘が、お故郷《くに》なまりをかくそうとするのか、どこかぎくしゃくした調子で呼びかけた。 「津軽の満江さんの……」  鸚鵡《おうむ》返しに口に出して、るいはすぐ気がついた。  るいの母親は利久といって、旗本、久世家の娘であった。  その姉の左江というのが、やはり微禄の旗本へ嫁いで二男一女をもうけ、娘の満江は津軽藩士、高倉健吾の妻となった。  るいにとって、満江は従姉《いとこ》に当る。  今、目の前に立って息をはずませているのは、その満江の娘らしい。  無論、会うのは初めてであった。 「ようこそお訪ね下さいました。そこは端近か、どうぞお上りなさいませ」  手を取るようにして迎えられ、佐代という娘は恥かしそうに下駄を脱いだ。  案内された居間で、佐代はあてのはずれた表情を見せた。 「あの、こちらの旦那様は……」  客布団を出しながら、るいは相手が固くなっているのに気がついた。 「主人は軍艦操練所に出仕して居ります」 「たしか、お子さんが……」 「千春は、今日、本所の麻生様へ出かけて居りましてね」  麻生家の花世の琴の弾き初めに招かれて、さっき、神林麻太郎が迎えに来、千春を連れて行ってくれた。 「そういうわけで、私一人ですから、どうぞお気楽になさって下さい」  るいが年長者の余裕で微笑し、佐代は漸く安心したように座布団へ直った。 「いつ、津軽から江戸へお出でになりましたの」  長火鉢の前で茶の仕度をしながら、るいが初めて訊き、佐代は、 「昨年の暮でございます。実は殿様のお供をして江戸へ来て居りました父が病いだと知らせが参りまして、母は足が不自由でございますので、私が代りに……」 「それで、お父様の御様子は……」 「持病の痛風でございまして、私が江戸へ到着致しました時は、もうかなりよくなって居りまして、わざわざ出て来るには及ばなかったなぞと気の強いことを申していました」  江戸家老の配慮で、上屋敷では正月、何かと人の出入りも多く、気を使うであろうからと本所三ツ目の中屋敷で養生しているといった。 「それはようございました。満江さんの足が御不自由というのは……」 「秋に井戸端でころんだのでございます。たいしたことはないと当人が申していたのですが、後からお医者に骨が折れているといわれまして……やはり、年齢《とし》でしょうか」 「満江さん、おいくつでしたかしら」 「四十五になります」  なんとなく、るいは苦笑した。自分よりも少々、年上の従姉だが、娘の口から、もう年齢だからといわれるのでは、自分も亦《また》、同様ということになる。 「失礼ですけれど、佐代さんはおいくつになられますの」 「お恥かしいのですが、二十五になってしまいました」  首をすくめた。 「いつまでも嫁に行かないので、親が困っています」  たしかに、嫁ぎ遅れの年齢ではあったが、見たところ、とても二十のなかばのようではなかった。色白で血色がよい。まるで化粧をしていないのに、肌が艶々している。  お吉が菓子を運んで来た。るいから佐代をひき合されて、丁寧に挨拶する。 「津軽に御親類がいなさるのは、よく存じていましたんですが、こんな御立派なお嬢様がねえ」  と驚き、父親の病気で出て来たことを知ると、 「それは、さぞ御心配でございましょう」  と神妙な顔をする。  佐代のほうは「かわせみ」が珍らしくてならない様子であった。 「おるい小母様が旅籠をなさっているのは、母から聞いていましたが、こんな立派なお宿だとは……」 「なにが立派なものですか、小さな素人宿なのに……」 「でも、お江戸は何もかも繁華で羨しくなりました。津軽は田舎で、とりわけ冬は雪ばかり、暗くて、寂しくて……」 「江戸は、どちらかへお出かけになりましたか」 「いえ、ずっと父について居りましたから。でも、ぼつぼつ手がかからなくなりましたので、少しは見物に出かけようかと……」 「よろしければ、御案内致しますよ」 「まあ、嬉しい」  他愛なく喜んで饅頭に手をのばす様子は、ひどく子供っぽい。  女同士のお喋りはとりとめがなくて、るいは津軽へ嫁入りしてから、まるで会えなくなっている従姉のことを訊ね、佐代は江戸の名所について訊きたがった。  そうこうしている中に陽が暮れて来て、 「若先生がお帰りでございます。麻太郎様も千春様も御一緒に……」  とお吉が知らせに来て、出迎える間もなく、 「おい、津軽からの珍客だそうだな」  二人の子供と一緒に東吾が居間へ入って来た。  佐代はとび上って座布団をすべり下り、慌てたせいか、津軽なまりで挨拶をし、 「こりゃあたまげた。女の子ばかしと思っていたら、男のお子さんもいたかね」  と口走って、るいが、 「いえ、こちらは麻太郎様とおっしゃって、神林様御本家の御嫡男で……」  と訂正すると、いよいよ狼狽して、 「したら、今日はこれで……また、お邪魔します」  止める言葉も耳に入らない様子であたふたと帰って行った。 「どうも気のきかない所へ帰って来ちまったようだな」  と東吾が頭をかき、るいは苦笑しながら事情を説明した。 「津軽の雪が消える頃まで江戸に滞在するような話でしたから、また、参りますよ。今日は貴方の顔をみてびっくりしたのでしょう」 「俺が怖かったのかな」 「いいえ、恥かしかったのでしょう」  貴方が男前だからといいたいところを子供達の手前、飲み込んで、るいは次の間へ乱箱を取りに立った。  二人の子は、麻生家で腹一杯御馳走になったといいながら、お吉が早速、運んできた蜜柑を食べはじめている。 「花世様のお琴はどうでございましたか」  お吉が二人の子供の膝に各々、手拭を敷いてやりながら訊き、千春は、 「とてもお上手なのに、麻太郎兄様は居ねむりをなさったのですよ」  といいつけた。 「麻太郎は琴が苦が手か」  着替えをすませ、蜜柑を一つ取って東吾は長火鉢の前へすわり込む。 「嫌いではありませんが、長いのはどうも……」 「源太郎も寝たのか」  今日の麻生家には畝源三郎のところの源太郎とお千代《ちよ》も招かれていて、豊海橋の袂まで東吾達と帰って来、「かわせみ」には寄らずに兄妹で八丁堀へ帰って行った。 「源太郎は起きていましたが、お千代は寝ていましたよ」  可笑《おか》しそうに麻太郎がいい、千春の口のまわりについた蜜柑の汁を手拭で拭いてやっている。そうした仕草がごく自然に兄と妹になっていることに、東吾は内心、当惑していた。  実をいうと、先刻、佐代という娘が麻太郎を、るいの子と間違えた際も、どきりとさせられている。  そんなおまけのついた佐代の訪問であったが、その日をきっかけに、佐代はしばしば「かわせみ」へやって来た。  東吾や千春とも馴染になり、 「おるい小母様はお幸せでございますね。あんな御立派な旦那様と愛らしいお子に恵まれて……」  第一、自分の母親といくつも違わないのに、娘のように若いと驚いている。 「江戸と田舎とでは、年齢のとり方も違うのでしょうか」  なぞといわれていい気になったわけでもないが、るいは佐代を芝居見物に連れて行った。  ちょうど、畝源三郎の妻のお千絵から猿若町の初芝居に誘われたからで、事情を話すと、 「どうぞお伴い下さいまし。桟敷には余裕がございますから……」  演目は「妹背山婦女庭訓《いもせやまおんなていきん》」で三笠山御殿の場の団十郎《なりたや》の鱶七《ふかしち》が大層、立派だなぞと評判まで聞かせてくれた。  当日は早めに佐代が「かわせみ」へ来て仕度をし、るいと千春、お千絵も娘のお千代を伴ってと、女ばかり五人が永代橋の袂から屋根舟で浅草へ向った。  もともと江戸の芝居小屋は堺町に中村座、葺屋町に市村座、木挽町に河原崎座があったものが、天保の御改革で移転を命じられ、当時、浅草寺領の東北、聖天町、山ノ宿町と北谷の寺院に囲まれた所にあった丹波園部藩、小出伊勢守の下屋敷一万余坪を雑司ヶ谷に替地を賜わることで召し上げ、そこに芝居町を作らせた。  それが現在の猿若町で、最初の中こそ寂しい埋立地の風情だったが、今となっては江戸で屈指の盛り場として賑わっている。  お千絵が案内したのは中村座で、一足先に到着していたお千絵の実家、御蔵前片町の札差「江原屋」の番頭や手代が準備万端整えて桟敷に案内してくれる。  江原屋では商売柄、こうした芝居小屋へ客を招待することは珍らしくなく、万事に馴れていて、幕間《まくあい》には芝居茶屋でけっこうな御膳が用意され、そこへ役者が挨拶に来たりする。  佐代は最初から気を呑まれ、逆上したような顔で見物していたが、終っての帰り道には、 「まるで夢のような……」  と繰り返し、るいやお千絵に何度も礼をいった。で、津軽家中屋敷まで送った際、別れぎわにお千絵が、 「御芝居がお気に召したのなら、今月は市村座もなかなかの人気でございますし、操り人形の一座も幕を開けて居りますから、よろしい時にお声をかけて下さいまし」  といい、お供について来た江原屋の番頭が、 「蔵前へお出かけの節には、お気軽にお立ち寄り下さいまし」  とお愛想をいった。  佐代がるいの親類の娘ということで、お千絵も江原屋の番頭も親切にいってくれたのだと、るいは感謝したものの、津軽から出て来て父親の看病をしている立場では、そうたて続けに芝居見物でもあるまいと、あまり具体的には考えていなかった。  実際、「かわせみ」の正月は、けっこう年始に地方から出て来る客が多くて商売繁昌であり、それらの客の大方がお馴染なので、るいもあまりお吉まかせにしてもおけず、もてなしに気をくばったり、また、客からの頼まれごとも多かったりで、多忙な毎日を過していた。  お千絵が少しばかり気の重い顔で訪ねて来たのは、一月もあと三日を残すばかりになった雪もよいの夕方で、東吾はまだ軍艦操練所から帰っていなかった。 「私、おるい様に申しわけのないことをしてしまいました」  とお千絵がいい出し、るいはあまり深く考えもしないで、 「まあ、なんのことでございましょう」  と応じた。 「津軽からお出での佐代様ですけれど、この節、こちらへおみえになりますか」  いいにくそうに、お千絵が切り出し、るいは、 「そういえば、このところ、参って居りませんが……」  父親の病気がまたぶり返しでもしたのかと急に心配になりながら答えた。 「佐代のことで、なにか……」 「あちらをお芝居に御案内するのではありませんでした」 「この前、お招き下さった時のことですか」 「番頭が、もっと早くに知らせてくれればようございましたのに」 「なんのことですの、お千絵様……」  るいにうながされて、お千絵は漸く腹をきめたようであった。 「佐代様が、あの後、蔵前へお出でなさいましてね。番頭に芝居見物に出かけるにはどのようにすればよいのかとお訊ねになったと申しますの」 「佐代が……」 「番頭はこの前、私が市村座のことを申しましたのを聞いて居りましたので、早速、御案内をと申しましたら、もう一度、中村座へ行きたいと……」 「まあ」  よくよく妹背山の芝居が気に入ったのかと、るいは思った。 「それで、中村座へお供をしましたところ、芝居茶屋へ、求女《もとめ》を演じている役者を呼べないかと……」 「なんでございますって……」  妹背山の芝居でお三輪と橘姫の二人の女に恋い慕われる求女、実は藤原鎌足の子、淡海《たんかい》を演じている役者の名を、るいは知らなかった。 「中村|小山三《こさんざ》と申しますの。若手で最近、めきめき売り出して来ては居りますけれど」 「まさか、佐代がその役者を……」 「お気に召したらしいのです」  番頭はとりあえず中村小山三を呼び、挨拶をさせ、酒を勧めたりしたとお千絵は困った顔で報告した。 「勿論、その日は番頭がつきっきりでしたし、何ということもなかったのですけれど……」  以来、二日か三日おきに佐代は江原屋へやって来て中村座への案内を頼む。 「うちのほうでは、そんなこと何でもないのですけれど、なんといってもお嫁入り前の娘さんですし、もしも、本気で役者を好きになってしまったら一大事。まして、あちらは津軽様の御家来のお嬢様ですから……」  思い余った番頭がお千絵に御注進に来て、お千絵もびっくり仰天した。 「何という御迷惑なことを……いったい、何回、中村座へ……」 「番頭の申すには、最初の時を除いて五回だとか。必ず、番頭か年輩の手代がお供をして参りますので、御心配なことは何もございませんのですけれど……小山三もうちの番頭から御身分のある方と知らされているので、御贔屓にして下さるのは有難いが、もし、親御様のお耳に入ったらと心配しているようなのでございます」  小山三というのは、年齢は若いが、しっかりした男で、色恋のけじめは心得ているようだが、 「そこは若い者同士、どこで、ひょんな気持にならないとは申せませんでしょう」  とお千絵は蒼くなっている。  それ以上に、るいは度を失った。 「本当に何ということを。世間知らずで、もののけじめもわきまえて居りません。私からきびしく申しますので、どうぞお許し下さいまし」 「いいえ、おるい様、おるい様にそうおっしゃられるのを一番、心配しながら参ったのでございます。番頭も申して居りましたが、お父様の御看病なぞで、さぞかし御心労の多い毎日でございましょう。お気に入りの役者の舞台をごらんになって、ほんの少々でもお気晴らしになるのなら、番頭は喜んでお供をさせて頂きます。おるい様と私の仲で、そんなことをお気にかけられるのは水臭い。江原屋の奉公人もみな、その心算で居ります。私がこちらへ参りましたのは、一にも二にも老婆心からで、どうぞ、佐代様をお叱りにならないで下さいまし。番頭もそれだけは大層、心配して居りました」 「すみません。お千絵様……」  るいが涙を浮べ、胸の前で手を合せた。 「お心遣い、この通りです」 「いけません。そんなことをなすっちゃあ」  お千絵の手が、るいの手を二つに分け、首をすくめるようにしていい足した。 「このこと、私、うちの旦那様にも申して居りません。ですから、東吾様にも内証になさって……」 「はい、そう致します。ありがとう、お千絵様」  とにかく、今後のことは番頭が様子をみて、その都度、御注進に来るからといい、お千絵は東吾が帰らぬ中にと、慌てて「かわせみ」を出て行った。  さて、どうしたものかと、るいは考え込んだ。暫くは番頭にまかせて様子をみようとお千絵はいったが、るいの立場ではそうも行かない。  自分がさりげなく津軽家の中屋敷へ病人の見舞に出かけ、佐代と会って話をきくのがよかろうと思ってみたが、そうなると江原屋から知らせが行ったと佐代にばれてしまう。  今までは江原屋を通しての芝居見物だったから大事がなかったが、江原屋を敬遠して佐代が一人で猿若町へ出かけて行って、小山三に会おうとしたら、とんだことだと思案はそこで行き止りになった。  やがて東吾が帰って来て、るいはいつものように夫の世話を始めたものの、大体がかくしごとの下手な女だから、つい、心が空になって、東吾との受け答えが途切れたりする。  そんなるいの様子を東吾は不思議そうに見ていたが、別に何も訊かず、いつものように千春の相手をしていた。      二  東吾が動いたのは、翌日のことである。  軍艦操練所の行きがけに遠廻りをして深川佐賀町に寄り、長寿庵の長助に畝源三郎への伝言を頼み、一日の出仕が終ると、その足で長寿庵へ行った。  畝源三郎は二階で待っていた。 「蔵前へ行って来ましたよ」  東吾の顔を見るなり、にやにや笑い出した。 「番頭の奴、最初はいい渋っていたんですが、女房から相談されて来たんだというと、安心して洗いざらい喋りました」 「いったい、何だったんだ。女房達のかくしごとは……」 「佐代どののことですよ」  中村座通いと小山三の件がばらされて、東吾はへえという顔をした。 「津軽娘が役者に狂ったか」 「狂ったかどうかはわかりませんな。番頭はただ、ぼうっとしているだけだといっています」 「そんなに男前か」 「人気はあるそうですね」 「評判のいい役者でございますよ」  蕎麦と酒を持って上って来た長助が口をはさんだ。 「今日、猿若町まで行って、それとなく聞いて来ましたが、悪い噂がなんにもねえ。浅草の聖天裏に母親と妹がいるそうですが、なかなかの親思い、妹思いのようでして……」 「だからといって、佐代どのの聟にするわけにも行きませんからね」  源三郎が酒よりも蕎麦へ箸をのばしながらいい、東吾も熱い丼《どんぶり》を手に取った。 「第一、むこうさんが来やしねえよ」 「武士になる気はないでしょうし、また、なれるものでもありません」 「どのくらい深みにはまってるんだ」 「序の口ですよ。子供が人形をみてうっとりしている程度で……」 「油断はならねえぜ、この節の若い女は無鉄砲だからなあ」 「怪我をしない中に打ち切りにしたほうがいいとは、手前も思いますよ」 「で、どうする」 「以前、こういうのがありましたが……」  蕎麦を食べる口と喋る口を器用に使いわけながら、源三郎が話した。 「名前は勘弁して下さい。大店の娘が人気役者に惚れましてね。夫婦になれなけりゃ死ぬのなんのと大さわぎになりました。役者のほうも満更ではなかったのでしょうが、すでに女房子がいる。師匠からも軽はずみはならねえと釘をさされています。で、まわりが一芝居打ちましてね。娘がその役者と忍び合っているところに悪者が闖入《ちんにゆう》しまして、刃物を突きつけて金を出せと脅す。役者は娘を置き去りにして逃げます。あわやというところへ、娘を心配した父親がかけつけて来て、金を出し、悪者は出て行く。娘は役者のあまりの不甲斐なさに愛想をつかして、めでたく幕が下りたというのですが……」 「小山三が一役買ってくれるかな」 「そっちは手前が納得させますが、悪役を誰が務めますかね」 「俺は面が割れているからな」 「手前が悪浪人に化けますか」 「あっしがやりましょう」  珍らしく長助が乗り気になって、 「旦那じゃあ、何かの時にかわせみへお出でになって、佐代様と顔を合せる折がないとは限りません。あっしなら、少々、顔を化粧《つく》って頬かむりでもすりゃあ、滅多なことはありますまい」  手拭を出して盗っ人かぶりをしてみせる。 「長助に芝居が出来るかな」  と東吾はいったが、長年、商売柄、悪人を見馴れているし、あまり台辞《せりふ》を多くせず、刃物を出したら、小山三は逃げる。そのあと、すぐに東吾と源三郎が助けに入れば、何とかなるのではと話がまとまった。 「場所はどうする」 「江原屋が以前、隠居所に建てた別宅が綾瀬川のふちにありますよ」  それは東吾も長助も知っていた。  夏の涼みや蛍狩に招かれたこともある。 「女房どもには、首尾よくいってから教えてやろう。それこそ、ひっくり返って驚くぜ」  東吾がいい、男三人は大笑いをした。  源三郎が中村小山三と会って話を決め、やがて佐代が中村座に出かける日が来た。  あらかじめ、源三郎からいい含められた江原屋の番頭が、 「いつも芝居茶屋で御挨拶をするだけでは、芝居の合い間のことで気がせいて、ろくなお話も出来ませんし、折角の御酒も酔うほど頂けないので、閉幕《はね》てからお目にかかりたいと申して来ましたので、よろしければ、お帰りに手前共の別宅へお立寄りになり晩餉を召し上ってお帰りになっては如何でございます」  と勧めると、佐代は少しばかり思案していたが、 「それでは、御迷惑をかけて心苦しゅうございますが……」  と頭を下げた。  番頭は気がとがめながらも、浅草から屋根舟を頼んで、綾瀬川が大川へ流れ込むすぐ近くにある江原屋の別宅に案内した。  あらかじめ、江原屋から奉公人が来て、奥の部屋に炬燵《こたつ》の用意をし、とりあえず茶菓子を出してくつろいでもらっている中に、打ち合せ通りに小山三がやって来た。  すぐに酒と膳が運ばれる。  長助と東吾、畝源三郎が来たのは、その直後で、奉公人はなるべく遠くに下らせ、いささか緊張している長助に度胸づけの酒を飲ませたりして、奥の様子を窺った。  部屋では小山三が、佐代に酒の酌をしてやりながら、芝居の裏話なぞをしていたが、相手が相槌も打てず、しんと聞いているばかりなので、かなりやりにくそうであった。 「役者はけっこうもて余しているようだ。早いところ、やっつけようか」  隣の部屋へ行って聞き耳を立てて来た東吾がいい出し、長助が手拭を巻いた出刃庖丁を勝手悪そうに持った。 「心配するな、長助がやいやい、手前ら、こんな所で何をしていやあがると刃物を出したら、役者は悲鳴を上げて逃げ出す手筈になっている。もしも、佐代の奴が一緒に逃げようとしたら、かまわねえから突きとばせ。そこへ俺達がふみ込むからな」  東吾に背中を叩かれて、長助はそれでも、せいぜい盗っ人らしい仕草で奥の部屋の襖を開いたのだったが。  手筈が狂ったのは、小山三が叫び声をあげて逃げ出そうとする寸前であった。  どう動いたのか、佐代がいきなり長助の手から刃物を叩き落し胸倉を掴むと体を丸めるようにしてはねとばした。  長助の体がもんどり打って部屋のすみに叩きつけられ、なにがなんだかわからない中に東吾と源三郎が部屋へとび込んだ。  小山三はとにかく逃げ、源三郎は長助を召し捕ってひっ立てるところを、肝腎の長助が動けない有様なので、東吾が慌てて佐代を部屋からひっぱり出した。 「あんな所でいったい、何をしていたんだ。知らせてくれる者があったから迎えに来たのだぞ。ともかく、帰ろう」  なぞとごちゃごちゃいいつくろいながら外へ出て、待たせておいた駕籠に佐代を押し込むと、 「あの、申しわけございません。父が待っていますので、津軽様の中屋敷に……」  と佐代がいう。  そのまま、本所三ツ目の屋敷の裏門前で佐代を下し、なかへ入って行くのを見届けてから深川佐賀町の長寿庵へ行って待っていると、暫くして源三郎が戻って来た。 「長助は、そこの医者の家にいます。腰を強く打っているそうで、大事はありませんが、湿布をして、すぐには動かさないほうがよいといわれましたので……」  と聞いて、女房のおえいが慌ててとび出して行く。 「どうですか、佐代どのは欺されたようでしたか」  源三郎に訊かれて、東吾はあまり自信のない顔で返事をした。 「まあ、役者が逃げたというのだけは、わかったようだがな」 「何か、おっしゃいましたか」 「親父どののことが気がかりだったらしい。そそくさと入って行ったよ」  病状はよくなっているようだが、三度の飯の世話などは、佐代の役目で、昼前から出かけていた身としては、そっちが気がかりだったのだろうと、東吾は自分に納得させるような話し方をした。 「しかし、長助が投げられた時は驚いたな」 「手前もですよ。あれですっかり筋書が狂ったのではないかと慌てましたが……」 「ばれてはいないと思うよ。口もきけないほど驚いていたようだったが……」  それにしては、本所三ツ目へ帰るといった声は、はっきりしていたと思ったが、東吾は口に出さなかった。  なんにしても、源三郎も長助もせい一杯、芝居をしてくれたので、日頃、生真面目な二人の性格を思うと、気の毒でたまらない。 「長助は遠慮をしすぎたのですよ。刃物で、もし、佐代どのを傷つけてはと随分、心配していましたから……」 「そうだろう、とんだ茶番になって、かわいそうなことをしてしまった」  長助の悴の長太郎が気をきかせて運んで来た酒を飲み、長太郎の女房のおはつが卵焼と鉄火味噌を出してくれて、東吾と源三郎が冴えない顔を見合せていると、おえいに支えられて長助が帰って来た。 「どうも、どじをふみやして……」  恐縮しているのを、二人がかりで慰め、とにかく横になるようにと勧めて、長寿庵を出た。 「佐代どのが、今夜のことをどう考えられるか、心もとない気がしますが……」 「まあ、二、三日、様子を見よう」  源三郎と別れて、東吾は「かわせみ」へ帰ったが、その晩のことはるいに打ちあけそびれた。  ひょっとすると源三郎が女房に話し、お千絵が何かいって来るかとも思ったが、その様子もない。  五日ばかりして、軍艦操練所から帰って来ると、るいが他行着《よそゆき》を着替えていた。 「思い切って、本所まで行って参りましたの」  といわれて、東吾は慌てた。  本所というからには、津軽家中屋敷に違いない。 「あちらの、高倉健吾様はすっかりお元気になられて、二、三日中には上屋敷のほうへお戻りになるとか。佐代さんは津軽へ帰るお仕度をしていました」  と報告されて、東吾はおそるおそる、 「役者の話はしなかったのか」  と訊いてみると、るいは一瞬驚いた顔をしたが、 「どうして佐代が芝居に夢中だと御存じなのですか」  と反問した。で、 「なに、源さんが江原屋の番頭から小耳にはさんだと話してくれたんだが、贔屓の役者が出来たとか……」  とごま化した。 「そのことなのですけれど、お父様が傍にいらっしゃるので……」  帰りに蔵前の江原屋へ寄って訊いてみると、 「六日ほど前にお供を致しましてから、一度も、こちらにはお見えになりません」  と、いささか不安気な様子であったという。 「あんまり立ち入ったことを訊くわけにも参りませんので、何かあればお千絵様が知らせて下さると思いまして……」  といわれて、東吾はやれやれと思った。 「津軽へ帰れば、役者と会うこともない。どうやら、我々の心配は杞憂に終りそうだな」  上目遣いに女房の表情を窺いながらいったが、るいは曖昧にうなずいただけでいそがしそうに帳場へ出て行った。  翌日、八丁堀の道場の稽古を終えて外へ出ると、畝源三郎に出会った。 「実は、先日、本所で少々、派手な喧嘩がありましてね」  緑町の岡場所で妓をめぐってのいざこざだったが、双方に仲間がついて撲り合いになり怪我人が出た。 「ちょうど、長助がついて町廻りの途中だったものですから、手前がおさめたのですが、その時、佐代どのが通りかかって、長助は顔を見られたような気がすると申すのです」 「源さんに何かいったのか」 「いや、手前は佐代どのが通ったのも知りませんでした」  長助にしても、佐代から声をかけられたわけではないが、足を止めて、じっと見てから去ったので、或いはあの夜の盗っ人が長助だと知られてしまったのではないかと心配しているという。 「それは長助の思いすごしだろう。あの晩は頬かむりをしていたし、部屋は暗かった。姿形も変っているのだし、まず、わかりはしないよ」 「手前もそう思うのですが……」  江原屋のほうにも、佐代はあの晩から訪ねて来ていないといった。 「俺達の芝居の筋書通りになったんじゃないのか」  盗っ人の出現に仰天し、逃げた役者に愛想が尽きた。 「だと、有難いのですが……」  自分がいい出したことなので、源三郎はしきりに気を遣っている。 「とにかく、早く津軽へ帰ってくれると助かるんだがな」  首をすくめて東吾は親友に背を向けた。  二月になって、「かわせみ」に佐代が訪ねて来た。  午《ひる》を過ぎて間もなくの刻限で、居間ではるいが一人きりで縫い物をしていた。  千春は正月以来、病みつきになっている羽根突きを、女中相手に今日もしているらしく、裏庭のほうからその音が聞えている。 「いろいろお世話になりましたが、津軽へ帰る日が決まりましたので……」  江戸から藩の御用で国許へ行く人々と一緒に戻ることになったという。 「実は、私、小山三さんと会って来たのです」  御存じないことかも知れませんが、と前置して、芝居帰りに江原屋の別宅のような所で小山三と会った話をした。 「なんですか、不意に盗っ人が押し込みまして、どうなることかと思っていましたら、こちらの旦那様がお役人と一緒に私を迎えに来て下さいまして……」  あっけにとられているるいに、少し笑った。 「その時は、送られて本所へ帰りましたのですけれど、なんだか合点が行かず、翌日、一人で中村座へ参りました。小山三さんは舞台から私が見物しているのを見たらしく、客席に使の人が来て、終ったら楽屋口で待つようにと……」  化粧を落とした小山三が、佐代を連れて行ったのは、聖天裏の自分の住居であった。 「おっ母さんと妹さんが、内職の袋はりをしていました」  路地裏は魚を焼く匂いがし、子供達が走り廻っていた。 「舞台の上の、夢のような世界とはうって変った、当り前の暮しを見せてもらいました」  茶を一杯、御馳走になって帰る佐代を小山三は本所の近くまで送ってくれたという。 「小山三さんがいいました。役者はお客に夢をみてもらうのが商売だと。お客は木戸銭を払って、夢のようにきれいで悲しくて、いちずな人の思いが語られる芝居をみることで、日頃の苦労を忘れ、泣かされたり、笑わせられたりして、いい気分でお帰りなさる。それを見る時、役者はああよかった、お役に立ったと幸せな気持になる。でも、舞台は舞台だけ、自分の暮しはそれとは別なものだといいました」  佐代の目から涙がこぼれ落ち、るいはそれを茫然とみつめた。 「私、小山三さんが本当に好きになりました。それまでは、きれいで、うっとりして……。でも、舞台の外の小山三さんはもっと立派で、たのもしい人だと……」 「佐代さん……でもね」 「わかっています。私、別に小山三さんの嫁になりたいっていうのではありません。それくらいのことは承知しています。第一、小山三さんにはいつかお内儀さんになる人がきまっています。今、妹って呼んでる人がそうなんだと教えてもらいました」  肩から力が抜けて、るいは遥かに年下の娘を眺めた。  この娘は、はじめて恋をして、その恋を思い切って津軽へ帰ろうとしているのかと思う。  るいが手拭を出して渡すと、佐代は素直にそれで涙を拭き、袂からちり紙を出して鼻をかんだ。 「おるい小母様には御迷惑やら御心配をおかけしてすみませんでした。でも、お江戸で暮した毎日は夢のようで……、二度とこんな夢を見ることはないと思います。津軽へ帰ったら、わたしらしい暮しをみつけて、おるい小母様のように幸せになりたい……」  るいに見送られて、佐代が「かわせみ」の暖簾を出る時、ちょうど、東吾が帰って来た。 「御厄介になりました。皆さんの御親切は忘れません。どうぞ、小父様から御礼をおっしゃって下さい」  丁寧に挨拶されて、東吾はなんとなく永代橋まで佐代を送って行った。  例の一件以来、佐代は小山三を思い切ったらしいと聞いて、どことなく気がとがめるような所があったからである。 「江戸は津軽にくらべて随分と暖かなのですね。二月に梅が咲くのですから……」 「津軽では、いつ頃咲くのかな」 「三月が漸くです。でも、それから先は桃も桜も続々と開きます」 「そりゃあ見事だろうなあ」  橋の袂まで来て、東吾はどきりとした。  むこうから長助と小者をお供にして畝源三郎がやって来る。  こっちをみた長助が急にまわれ右をして逃げて行き、源三郎と小者だけが近づいて来た。東吾に軽く会釈をして通り過ぎる。 「小父様……」  佐代が真面目な声で訊いた。 「今、お通りになったお役人はいつぞや小父様と御一緒でしたね」 「ああ、そうだ。あんたが厄介になったお千絵さんの御亭主でね」  声がかすれて東吾は咳ばらいをした。 「いつかは江原屋の別宅に賊が入ったと知らせがあって、かけつけてくれたんだ」 「むこうへ戻って行ったお供の方がございましたでしょう。あちらは深川でお蕎麦屋をなすっていらっしゃるとか……」 「そうだ。佐賀町の長寿庵という店の亭主でね」 「お上のお仕事をしていらっしゃるとか」 「ああ、若い時から捕物好きでね。今、通り過ぎた役人は町奉行所の同心を勤めているのだが、その配下となって働いている」 「立派なお方なのですね」 「そうだ。律義で誠実で、勇気がある。いい奴だよ」 「申しわけありませんでした。そんな御方に盗っ人の役なぞさせて……」  絶句した東吾に、はじめて悪戯っぽい微笑を浮べて見せた。 「おかしいと思ったのです。何故、だしぬけに盗っ人が入って来たのか」 「そりゃあ、江戸は物騒だから……」 「どうして、小父様があそこにいらっしゃったのか」 「いったろう。江原屋から知らされて迎えに行ったのだと……」 「小山三さんも、そのように取りつくろって話していましたけれど、あたしはなんとなく合点が行かなくて……、この前、本所で喧嘩をおさめているのを見たんです。顔はあの時、よく見ていませんでしたが、声が……」 「なんだと……」 「声とか、言い方とか、聞き憶えがあるようで、近くの人に訊きましたら、長寿庵の御主人でお上のお手伝いをしてなさると……したで、わかったですよ」  語尾に津軽なまりが出た。 「そうか、芝居はばれたか」  東吾がぼんのくぼに手をやって、佐代は嬉しそうに笑い出した。 「知らねえで、思いきり投げたが、怪我はなかったかね」 「幸い骨折はしなかった。打ち身はひどかったがね」 「すまねえことさしました。あやまってけれ」 「いいよ。こっちがお節介で……おまけに芝居が下手すぎた」 「素人じゃ仕方ねえだね」 「あんたにあっちゃあ、かなわないな」 「小山三さんに、ぼうっとなっちまったおれが悪い。本当にすみませんでした」  恥かしそうに頭を下げ、永代橋を渡って行く佐代を、東吾は腕を組んで見送った。  佐代が津軽へ発ったのは二月十五日、江戸はどこも梅がまっ盛りであった。  軍艦操練所の机に向いながら、東吾は時々、顔を上げて、窓のむこうの大川を眺めていた。  大川の上流は千住大橋の下を流れる。  今朝、るいは嘉助をお供に、千住の宿場まで、佐代を見送りに出かけて行った。  佐代が帰って行った津軽はまだ雪が深いのではないかと思い、東吾は新造の帆船に関する覚え書に視線を落した。 [#改ページ]   招《まね》き猫《ねこ》      一  初午《はつうま》の日が来たら、本所の田螺《たにし》稲荷へおまいりに行きたいといい出したのは、千春であった。 「本所の花世姉さまがおっしゃいましたの。田螺稲荷の御札《おふだ》をいただいておくと、火事の時、川からぞろぞろ田螺が這い上って来て口から水を吹いて火を消し止めてしまうのですって……」  江戸は火事が多かった。  とりわけ、この正月、木挽町の空屋敷から不審火が出て周辺の武家屋敷、町家合せて六十数軒を焼いた火事は、当初、霊岸島から八丁堀のほうへ燃え広がる気配だったのが風向きが変り、また火消の大活躍もあってなんとか鎮まった。  千春はその火事を「かわせみ」の店の前から眺めていて、夜空をこがす炎やすさまじい煙に恐怖をおぼえていたのかも知れないと、母親のるいは娘の提案に耳を傾けたものの、あまり気は進まなかった。  一つには、るいが田螺とか蝸牛《かたつむり》のような、ぬるぬるした感触の小動物を好まなかったせいである。  そして、るいと共に、千春の話を聞いていたお吉も仕えている女主人同様で、こちらはなめくじや蛙を見つけただけで大声を上げるし、その上、昆虫も苦が手で、夏の夜、蛾がとび込んで来ただけで、殺されでもしたような悲鳴を上げる。  そのために、いつもなら即座に大賛成するところを、 「では、初午には田螺稲荷へ参詣致しましょう」  とは決していわなかった。  千春は勘のいい子なので、そのあたりの感じは理屈抜きに悟った。  とはいえ、田螺稲荷で火防《ひぶ》せの護符を頂いて来たいという気持は押えられない。  こういう場合、千春が安心して相談出来る相手は神林麻太郎であった。  千春にとって、たった一人の従兄であった。  従兄というより兄に近かった。  千春の話を決して笑ったりせず、最後まできちんと聞いてくれる。その上で、適確な判断をし、力になってもらえる。優しくて、頼もしい存在であった。  今日、神林麻太郎は出雲町の高山仙蔵の家へ洋学の勉強に行っていると気がついて、千春は庭から裏木戸へ抜けて外へ出た。  母親は常連の泊り客が着いて挨拶に出て行ったし、お目付役のお吉は台所でなにやら女中達に指図をしている声が聞える。  西陽の当っている道を千春は小走りに八丁堀へ向い、亀島橋を渡ると、組屋敷を右に見ながら越中堀へ行き、弾正橋の袂で麻太郎を待った。  高山仙蔵の家からの帰り、麻太郎は尾張町の通りをまっすぐに京橋まで来て右折し、弾正橋へ来るのを千春は知っている。  果して待つほどもなく、むこうから歩いて来る麻太郎の姿が見えた。いつものように畝源太郎と何やら楽しそうに話していたのが、千春をみつけると走り出した。 「何かあったのか」  あっという間に傍まで来て、少々、心配そうに訊く。その背後から源太郎までが顔を出したので、千春は恥かしくなったが、日頃から、 「わたしに話してよいことは何でも源太郎に話して大丈夫だよ」  と麻太郎にいわれているので勇気を出して話しはじめた。  麻太郎は千春の願いを忽ち了解した。 「それは悪い考えではないよ」  背後の源太郎をふりむいた。 「田螺稲荷というのは、本所のどのあたりにあるのだろう」 「長助に聞けばわかりますよ。なんなら、長助に頼みましょうか」 「千春は、自分でお詣りをしたいのだろう」  嬉しそうに千春がうなずいた。 「人に頼んだのでは、御利益《ごりやく》が薄いのでしょう。お吉がいつもそういっています」 「そりゃあそうだ」 「わたしが長助によく聞いておきますよ。今日、本所まで行くのは無理だから……」  源太郎がいい、麻太郎は千春に訊いた。 「お詣りに行くのは、初午の日がいいのか」 「はい」 「初午というと……」  源太郎が応じた。 「明後日ですね」 「明後日は、午後から神林先生の稽古だから午前中はあいているね」 「麻太郎兄様」  千春が不思議そうな目をした。 「どうして、千春のお父様を先生とおっしゃいますの」  麻太郎が笑った。 「それは、叔父上はわたしや源太郎の剣術の先生だからだ。普段は叔父上とお呼びするが、稽古の時はお師匠様だからね」  納得した顔の千春に、兄さんらしくつけ加えた。 「では、明後日、父上の御出仕をお見送りしたら千春を迎えに行くよ。源太郎もそれでいいかな」  源太郎が大きく合点した。 「わたしが、神林様のお屋敷へ行きますよ」 「麻太郎兄様。わたしは母上に何と申し上げたらよろしいでしょう」 「何もいわなくていいよ。わたしが迎えに行った時、適当にお話しするから、万事、わたしにまかせておきなさい」  それで千春は安心した。  八丁堀の組屋敷を通り越し、「かわせみ」のすぐ近くまで千春を見送って、その姿が「かわせみ」の裏木戸を入るのを待ってから、麻太郎と源太郎は永代橋を渡って深川の長寿庵へ向った。  たまたま、東吾は軍艦操練所から帰って来て、その三人の子の姿を遠くから見た。  で、「かわせみ」へ入り、居間へ通ってから、るいに、 「千春は、どこかへ出かけていたのか」  と訊いた。いつもならるいと一緒に出迎える千春の姿がない。たしか、裏木戸を一足先に入って行った筈だと思いながら、あたりを見廻すと、るいが、 「あら」  とお吉を眺め、そのお吉が、 「たしか、さっきはお庭で雪囲いを見ていらしたんですが、まあ、どこにいらっしゃるんでしょう」  慌てて離れへの廊下へ出て行く。  その時、千春は庭のはずれの大川に面した堤の上にいた。そこからだと、永代橋を渡って行く麻太郎と源太郎の姿が見える。  早速、長助親分に田螺稲荷の場所を訊きに行って下さったのだと、千春は手を合せて拝みたいくらい喜んでいた。 「麻太郎兄様、大好き。源太郎さんも大好き……」  口の中でぶつぶつ呟いていると、お吉が大声で、 「千春嬢様、どこにいらっしゃるんです。旦那様のお帰りですよ」  と呼んでいるのが聞えた。  この正月から「かわせみ」の奉公人は神林東吾を旦那様と呼ぶようになっていた。 「いつまでも若先生はないだろう。これでも一児の父なんだ。世間の奴は若先生じゃねえ馬鹿先生だといっているかも知れないぞ」  と東吾がいい出し、るいがそれももっともと考えて、嘉助とお吉に申し伝えたからだが、それでも長年、呼び馴れた若先生がなかなか改まらない。長助なんぞは、 「どうも旦那ってえと、畝の旦那とまぎらわしくっていけませんや。あっしは若先生のまんまにさしてもらいます」  さっさと独立宣言をしてしまった。  けれども、一番、るいの身近かにいるお吉は、つい、若先生、と呼ぶたびにるいから睨まれるので、その都度、慌てふためき、次第に、旦那様、が定着して来た感じであった。  ともあれ、千春はお吉の声ではっとして大急ぎで庭を横切り、縁側から上って居間へ顔を出した。 「お父様、お帰りなさいませ」  両手を突いて頭を下げると、 「お父様のお帰りに気がつかないとは珍らしいこと。どこに居たのです」  と母に訊かれた。  千春は一瞬、絶句し、 「ごめんなさい。庭にいました」  と小さく返事をした。胸の中に小さな秘密があるので、なんとなく顔が熱くなって来る。  いい具合にお吉が安倍川餅を運んで来た。 「まあ、今年は初春《はる》になってから雪が多くなって、今朝も植木屋の若い衆がいっていましたんですけど、三日前の大雪、あれで屋根の潰れた家が何軒もございましたんですと」  東吾がるいのいれた茶をゆっくり飲みながら応じた。 「春の雪は水気が多くて重いからな。築地のほうでも町家が何軒かやられたそうだよ」 「やっぱり、大工が手抜きをしたんでございますよ」 「なんだと……」 「瓦版に出たそうですよ。今度の大雪で潰れたのは、この前の大火事の後、大工の手が足りなくて、安かろう悪かろうの普請をした家だって……」  お吉がこの前の大火事といったのは、五年前の初冬、日本橋の近くから出火して神田から浜町へかけて焼野原になったあげく、飛火して新橋から木挽町一帯の住人が一夜にして家財を失った時のことであった。  大火災の後は必ずといってよいほど木材が高騰し、大工や左官、屋根屋などの職人の手間賃が値上りするものだが、この時の火事はとりわけ町家の建て混んでいる地域が全焼したので、その復興に当っては至る所で揉め事が起った。  なにしろ、二カ月余りで新春が来る。少々、金のある者は、なんとかして正月は新居で迎えたいというのが人情で、日頃、つきあいのある棟梁に強談判するものの、とにかく木材は足りず、大工の数が不足して、どこもお手上げの状態になった。  いつの時代でも、そうした弱味につけ込んで、ぼろい儲けをする商人がいる。 「若先生は大月屋彦市って名前を憶えておいでですか」  お吉に訊かれて、東吾は首をひねった。 「さあて、何をしでかした奴だったか」 「私も今度、瓦版を読むまではすっかり忘れて居りましたんです。甲州のほうから江戸へ出て来たちっぽけな材木屋だったのが、あの火事の後、自分の在所へ行って木材を買い集め、それをむこうで細工して江戸へ運んで、あっという間に家を建てる……」 「そうか、思い出したよ。お吉、大工職の名主組合からお上に訴えられた男だろう」  当時の江戸では大工や木挽《こびき》、建具職、左官、土こね、屋根職、瓦師など土木建築に従事する職人や人足が町名主の支配下にあって組合を組織し、不当な賃金を取ったり、約束の工事を延引させないなど、お上の指導を受けていた。  無論、それには彼らの身分を守る意味もあって、年季中の職人弟子が親方の仕事場から勝手に離れて賃銀の高い仕事場へ移るのを防いだり、棟梁が地方からの出稼ぎの未熟な腕の大工や左官を使いながら、註文主からは一人前の職人を使ったが如くいいつくろって賃銀を受け取るなどをしてはならないと細かな禁令がついている。  大月屋彦市のやったことは、まさにこの禁令に違反するもので、木材の規格も守らず、しかも現場で組立てられるまでに下ごしらえの出来たのを運んで来て、それを図面通りに建てるのだから、腕のいい大工職人がいなくとも出来上る。つまり、在所から木材を運んで来た百姓などが俄か大工になって力仕事をこなすので、普通の建築からくらべると圧倒的に早く完成する。  出来上った家は見た目には熟達の職人の仕事とたいして違わないし、一刻も早く我が家に落付きたいと願う人々は、先を争って大月屋に註文した。  当然、職人組合からは、お上におそれながらと訴えが出る。 「大月屋は、あの時、処罰を受けたのだろう」  東吾の反応に、お吉が大きくかぶりを振った。 「それがそうでもないみたいですよ。論より証拠、大月屋は今でも向柳原に大きな店をかまえて商売繁昌しているっていいますもの」  女中のお石が呼びに来て、お吉は瓦版を東吾の前へおいて、よっこらしょっと立って行った。 「いい年齢《とし》をして、すぐ瓦版なんぞに夢中になるんですから……」  千春のお手玉を作っていたるいが、瓦版を眺めている東吾に訊いた。 「大月屋が建てた家が、今年の雪で潰れたんですか」 「はっきり、そうとは書いてないがね。雪で潰れた家の話のあとに、大月屋のぼろ儲けの昔話が出て来るから、読みようによってはそうと思う者も出て来るだろうな」 「瓦版がよくやる手ですよ。思わせぶりに書いて、苦情が来ると、これとそれは別の話だなんて逃げるんです」  るいはおかんむりだったが、東吾は瓦版を比較的、丹念に読み、それから丸めて屑箱に投げ込んだ。      二  初午の前夜、麻太郎は母の香苗にいった。 「明日、父上の御出仕のお見送りをしてから、本所の田螺稲荷まで参ってもよろしいでしょうか。一緒に行くのは千春と、畝源太郎です」  香苗は少し緊張している血の続かない我が子をおっとり眺めた。 「田螺稲荷ですか。あそこは私もお詣りに行ったことがありますよ」  麻太郎が目を丸くした。 「母上が……」 「はい、子供の時にね。本所の麻生家とは案外、近くなのです」  香苗のよい所は何故、田螺稲荷に出かけるのかなぞと、よけいな詮索はしない点であった。 「気をつけてお出でなさい。お昼の御膳までには帰るのでしょう」 「はい、道場の稽古がありますから……」 「明日はお天気ですよ。ほら、お星様があのように沢山出ていますもの」  母がまだ板戸を下していない障子窓を開けて夜空を覗き、麻太郎もその隣に立って眺めた。  翌朝、神林通之進が奉行所へ出仕すると、香苗が小さな財布を麻太郎に渡した。 「お小遣いですよ。千春ちゃんが何か欲しいといったら買っておあげなさい。お稲荷さんへのお賽銭も忘れませんように……」 「ありがとうございます。行って参ります」  用人が居間へ顔を出した。 「畝源太郎どのが参りましたよ」  いそいそと出て行く麻太郎を、香苗はいつものように門のところまで見送った。  二人の少年は肩を並べ、はずむような足どりで大川端町へ向っている。  まるで、昔の東吾さんと畝源三郎どののようだと居間へ戻りながら香苗は微笑していた。  神林家へ嫁入りするかなり前から香苗は何かにつけてこの屋敷へ来ていた。  やがて通之進の妻となることが決っていて、少しでも神林家に馴染んだほうがよいという父の意向からであったが、その頃の東吾は八丁堀の暴れん坊という渾名に似合わず、香苗には優しく従順であった。  あれからどれほどの歳月が過ぎたことかと思い、香苗は昼餉には麻太郎の好きなとろろ汁を作ろうと考えていた。  少年の日の東吾はとろろ汁が大好物であった。それは神林家の父親ゆずりだと通之進がよく笑っていた。  父と子は、食物の好みまでも似るものらしい。 「かわせみ」で、麻太郎は出迎えた嘉助にいった。 「田螺稲荷へお詣りに行くので、千春を誘いに来ました」  思わず嘉助は大きく合点した。  朝から千春が用もないのに、帳場をうろうろし、あげくは暖簾から外をのぞいていた理由がこれでわかったと思ったからである。  嘉助が取り次ぎ、すぐに千春が母親と一緒に出て来た。 「田螺稲荷へいらっしゃいますの」  るいに訊かれて、麻太郎は胸を張って答えた。 「はい、今日は午の日ですから……」 「嘉助をお供につけましょうか」  源太郎が麻太郎に並んだ。 「道順はよく知っていますから、大丈夫です」  千春がさっさと下駄を履いた。 「では、行って参ります」  颯爽と出て行く三人を見送って、るいが呟いた。 「三人で大丈夫かしら」  暖簾の外まで出ていた嘉助が、るいへふりむいた。 「お嬢さんも、むかし、若先生と畝の旦那とお三人で、ああやってお出かけになりましたよ」  三人の少年少女を、永代橋の袂で長助が待っていた。 「よろしかったら、あっしがお供を……」  と申し出たのを、源太郎があっさり断った。 「長助は父上の御用があるかも知れない。本所はすぐそこだ。三人で参詣して来る」  麻太郎とうなずき合って川沿いの道を行く源太郎の後から、千春が長助へ丁寧にお辞儀をし、長助はぼんのくぼに手をやりながら、深く小腰をかがめた。  三人の行く道に春の光がこぼれていた。  川風はまだ冷たいが、子供達には気にならない。  万年橋を渡りながら源太郎がいった。 「花世さんはどうします。誘ってみますか」  小名木川沿いの道をまがれば、麻生家だったからだが、 「今日はやめておこう」  麻太郎の返事に、同意を示した。 「そうですね。お稽古かも知れないし……」  そのまま、御舟蔵の脇を行くと、やがて竪川で一ツ目橋を渡る。そこからは竪川沿いにまっすぐの道であった。 「長助はわたし達が子供に見えるのですね」  千春をまん中にして歩きながら源太郎がいった。 「こんな単純な道、迷うわけがないのに……」 「人さらいが出ると思ったのかも……」  少し不安そうに千春が応じ、麻太郎が笑った。 「三人、いっぺんにさらうのは大変だな」 「千春だけ、さらって行くかしら」 「大丈夫、わたし達が守る。第一、こんな昼間から人さらいは出やしない」  川沿いの道は商家が軒を並べていた。緑町の岡場所あたりこそ、まだ戸が閉っているが人通りはけっこうあった。  横川を越えたあたりから笛や太鼓が聞えて来た。道端に物売りの店が並び、子供が集っている。 「田螺稲荷の旗が見えますよ」  源太郎が指し、三人は足を早めて柳原町と茅場町の間の道をまがった。その路地の突き当りが稲荷社で、赤い鳥居のむこうはかなりの人出であった。  本殿、といっても小さな社殿だが、お詣りをして、その脇の社務所で火防せの護符を買う。麻太郎は二枚買って一枚を千春に与え、源太郎は三枚買った。 「長助に一枚、蔵前の母の店に一枚、もう一枚は拙宅の分です」  大人っぽい口調で源太郎がいい、三人はそれから境内の露店を眺めて廻った。  麻太郎と源太郎の足が止ったのは、独楽《こま》を売る店の前で、若い男が器用に次々と大小の独楽を廻して見せる。 「母上から小遣いを頂いて来たから、源太郎の分も買えるぞ」  麻太郎がいい、源太郎が白い歯を見せた。 「わたしも母からもらって来ました」  二人が各々にいくつかの独楽を試してみて具合のよいのを一つずつ求めた。 「あれっ、千春さんは……」  源太郎が慌て、麻太郎が、 「あそこにいるよ」  と目で前方を示した。  千春が立っているのは招き猫を売っている前であった。  土の上に布を敷いて、その上に焼物の招き猫を並べて売っているのは、十五、六の若い女だが、その脇にまるで猿廻しの猿よろしく胴の部分を紐でくくられた四歳ぐらいの男の子が大声で泣いている。紐の先は女の前掛に結びつけられていて、女は時々、困ったような顔を男の子に向けているものの、声をかけることはない。 「千春……」  麻太郎が近づいた。 「招き猫が欲しいのか」  千春が麻太郎の耳に口を寄せた。 「あの子、変です」 「なに……」  改めて、まじまじと麻太郎が男の子をみつめた。 「どこが、おかしい」 「いい着物《なり》をしているでしょう」  綿の入った格子縞の着物に絹物らしい袖なしを重ねている。 「お姉さんのほうはひどい恰好《なり》です」  この季節に洗いざらしの木綿の着物はところどころに継ぎが当っている。男の子は足袋を履いているのに、女のほうは素足であった。 「たしかに千春さんのいう通りです」  傍に来ていた源太郎が低声《こごえ》でいった。 「金持の家の子と、子守という感じですが、それにしては行商をしているのが変ですね」  麻太郎が招き猫売りの前へ行った。 「どうした。子供がひどく泣いているが……」  女は返事をしなかった。千春が男の子へ優しくいった。 「坊や、どうしたの。何故、泣いているの」  男の子がしゃくり上げた。 「おうちへかえりたい……」 「おうち……坊やのお家はどこですか」 「おうちへかえりたい……」 「坊やのお名前は、なんというの」 「たろきち……」 「太郎吉ちゃん、どっちから来たの」  男の子が首をふり、若い女が叫んだ。 「うるさいね。招き猫買わないなら、あっちへ行っとくれ」  麻太郎が財布を出した。 「招き猫を一つ。いくらだ」 「十五文……」  麻太郎が金を渡し、女は不承不承といった様子で招き猫をさし出した。 「この子はあんたの弟か」 「ああ」  とたんに男の子が泣き出した。すかさず源太郎が訊いた。 「あの人は、お前の姉ちゃんか」 「ちがわい……ねえちゃんじゃない」  麻太郎が女にいった。 「姉さんじゃないといっているぞ」 「子守ですよ。子守をたのまれて……」 「どこの子だ」 「………」 「どこの子かも知らずに、子守を頼まれたのか」  女が黙り込み、男の子が泣き泣き叫んだ。 「おうちへかえりたい。おうちへかえりたい」  麻太郎が強い調子で友人へ告げた。 「源太郎、長助親分を呼んだほうがいいかも知れない」 「そうしましょう」  源太郎が走り出しそうになり、女が制した。 「やめて……お願い……」  千春が女の顔をさしのぞいた。 「あなたは、人さらいですか」  女が顔をゆがめた。 「違います……人さらいじゃない」  だが、語尾は弱く、女の唇が慄《ふる》えた。  麻太郎と源太郎が軽く目を見合せた。 「この子の家を知っているな」  止むなくといった感じで女がうなずいた。 「どこの子だ」 「向柳原の大月屋の子……」 「では、送って行こう」  源太郎が男の子の体を縛っていた紐をほどいて、背中におぶった。 「あんたも来なさい」  女が怯えた。自分より年下のようでも、二人の少年は袴をつけ、刀をさしている。第一、口のきき方が凜然として如何にも武士の子であった。 「あたしを……番屋へ連れて行くの」  麻太郎が微笑した。東吾にそっくりの、人の心を包み込むような笑顔である。 「そんなことはしない」 「お役人に知らせるの……」 「いいや」 「なら、どうして……」 「一緒に行ってもらいたいのは、この子が間違いなく大月屋の子かわからないからだ。もし、あんたのいう通りなら、それで万事、おしまいだ」 「おしまい……」 「あんたは好きにしてよい。わたし達は屋敷へ帰る」  女が慌しく招き猫を小さな行李《こうり》にしまった。風呂敷包にして背にかつぐ。  それを待って、源太郎が歩き出し、麻太郎が千春の手をひいて続いた。女はしょんぼりと後について来る。  千春が麻太郎の耳許でささやいた。 「あの女の人、人さらいじゃなかったみたい……」  麻太郎が軽く女をふりむいてから、千春に答えた。 「そうだな」  両国橋が近くなってから、それまで遅れがちだった女が麻太郎に追いついて来た。 「信じてもらえないかも知れませんけど……」  ちらと源太郎の背の太郎吉を眺めた。 「あの子とわたしは姉弟なんです。おっ母さんは違いますけど……」  麻太郎が素直にうなずいた。 「あたしのおっ母さんは大月屋の最初の女房です。あの子のおっ母さんは二番目で……」  うつむいたまま、勝手に話し続けた。 「あたしはおっ母さんと行商の仕入れに神田へ行く時、よく柳原を通るんです。それで、おっ母さんが、世が世であれば、お前が大月屋のお嬢さんなのにって泣いたことがありました」  顔を上げて麻太郎を見、そこに、真剣に聞いている少年の表情を確認すると、安心したように口許をゆるめた。 「あたし、今日、一人で大月屋の前を通ったんです。店の前にその子が遊んでいて、奥から、坊ちゃん、遠くへ行っちゃあいけませんよって女の人の声がして、この子が大月屋の坊ちゃんかと……つい……坊や、いいものを上げるからって……そしたら、この子がついて来るもんだから……」  麻太郎が少し間をおいて、ぽつんといった。 「そりゃあ、ついて来るだろう。姉さんが呼んだんだ」  女があっという顔をし、歩き方が急にのろくなった。  麻太郎はふりむかなかったが、千春は何度も後を気にして、 「麻太郎兄様、あの人、泣いています」  と教えた。  両国橋の混雑を抜け、広小路を通って、奇妙な一行は神田川沿いの道を行った。  途中で源太郎が通行人に大月屋はどこかと訊いたのは、いつの間にか女の姿が見えなくなっていたからで、二人の少年は別にそのことを気にする様子はなかった。  和泉橋の先を横丁に入ると、材木商、大月屋の看板がみえる。  源太郎を先頭に三人が店の前に立つと何事かと手代が立って来て、すぐ、源太郎の背中で眠りこけている太郎吉に気づいた。 「これは、太郎坊ちゃん……」  というのに、麻太郎がいった。 「この子が両国橋の近くで迷子になっていた。通りすがりの人が大月屋の子だといったので送って来たのだが……」  手代は礼をいうのも忘れて太郎吉を受け取り、それでも目をさまさない子を抱えて、 「旦那様……お内儀さん、坊ちゃんが……」  と奥へ走り込んで行った。  少々の間があって、 「いったい、どこのお方が太郎吉を……」  と大月屋彦市が外へ出て来た時、三人の少年少女は、とっくに姿を消していた。      三  日本橋まで大急ぎで歩いて来て、それまで何度か背後を気にしていた千春が、突然、大声で知らせた。 「あの人が、追いかけて来ます」  麻太郎と源太郎が同時にふりむき、麻太郎が笑った。 「なんだ。はぐれたんじゃなかったのか」  若い女が息を切らしてかけ寄って来た。 「はぐれたって、大月屋の場所は知ってますから……でも、その後が、あんまり早いんで、なかなか追いつけなくて……」 「それはすまなかった。母上に午までには戻ると申し上げておいたのでね」  女がおずおずと麻太郎を見上げた。 「わたし、もういいでしょうか。商売に戻らないと……今日はおっ母さんが風邪で休んでいるので……」  源太郎が千春のしっかり持っている招き猫を眺めて女にいった。 「わたしに一つ下さい。妹の土産にするので……」  財布から十五文を出す。麻太郎もいった。 「では、わたしも母上のお土産に一つ……」  若い女は泣きそうな目をして銭を受取ると、二個の招き猫を各々に渡し、荷を背負い直した。  三人は一個ずつの招き猫を手にしてすぐに歩き出す。その背に向って女が深々と頭を下げた。 「本当にすみませんでした。私の名はお初、おっ母さんと冬木町の長屋で暮しています」  お初が頭を上げた時、少年達は日本橋川に沿った道を元気よく走って行った。  八丁堀の組屋敷が近づいて、源太郎がいった。 「千春さんはわたしが送りましょうか」  麻太郎が母に午までに戻ると約束したのを知ってのことだったが、麻太郎は友人の親切に笑って答えた。 「ありがとう。だが、千春はわたしが送るよ」  しかし、間もなく三人はその必要のないことに気がついた。  神林家の門前に女が二人、寄り添うようにして永代橋の方角を眺めている。 「お母様」  と千春が叫び、その声でるいがふりむいた。 「母上、申しわけありません。遅くなりました」  麻太郎が走り寄り、香苗はいつもと少しも変らない笑顔で迎えた。 「お帰りなさい。まだ、お午を少し過ぎたばかりのようですよ」  るいが麻太郎へ詫びた。 「申しわけありませんでした。千春は田螺稲荷へおまいりに行きたがって居りましたの。麻太郎様におねだりをしたのでしょう。御迷惑をおかけして……」 「わたしも行きたかったのです。源太郎は火防せの御札を三枚も買いました」  香苗もるいも、その三枚がどこへ届けられるのか、すぐに気がついたようであった。  るいが改めて源太郎にも頭を下げた。 「ありがとうございました。源太郎さん」 「いえ」  源太郎が照れながらお辞儀をした。 「では、わたしはこれで……麻太郎君、あとでまた……」 「ああ、道場で会おう」  源太郎が去り、千春が麻太郎に礼をいった。  るいが香苗に挨拶をして、千春と共に帰って行く。 「叔母様は、千春のことを案じて来られたのですか」  屋敷へ入りながら、麻太郎が訊ね、香苗は穏やかに応じた。 「おるい様は、千春さんがあなたに無理をいったのではないかと心配されて来られたのですよ」 「そうでしたか」  事実、その通りだったが、麻太郎は何もいわず、香苗も触れなかった。  その代り、居間で昼餉の膳に向いながら、麻太郎は今日の出来事を簡略に話し、香苗は天性の聞き上手で麻太郎が話した以上のことを推量した。  昔、東吾に対してそうだったように、香苗は話されたことの中から、夫の通之進に知らせておかなければならないものと、その必要のないのを正確に分けた。  今日の話を夫に告げたのは、夜更けて夫婦二人だけの部屋にくつろいだ時であった。  通之進は妻の話に耳を傾け、終ると楽しそうな表情になった。 「おそらく、源太郎は父親に相談しているだろう。とすると、明日あたり、東吾が報告に来るかも知れぬぞ」  香苗は招き猫と田螺稲荷の護符を夫に見せた。 「御札は明日、麻太郎と台所の柱に貼ろうと存じます。招き猫は私が頂いてよろしゅうございますか」  通之進が妻の顔を見て笑った。 「宝物が一つ増えたな」  翌日、神林東吾が「かわせみ」で、長助の報告を聞いたのは、軍艦操練所から戻って来てすぐの刻限であった。 「源太郎坊ちゃんのお言葉通り、深川冬木町の長屋にお初という娘が居りました。母親の名はお勝と申しまして、大月屋彦市の女房だった女で……」  実をいうと、東吾もるいも、千春から聞いていたのは、迷子の男の子を神田のほうの家まで送って行ったことぐらいであったから、改めて長助の話を聞いて少々、驚いた。 「そうすると、太郎吉という大月屋の悴は迷子になったのではなく、お初が故意に連れて行ったのか」  東吾の問いに長助は満足そうな顔をした。 「源太郎坊ちゃんは情のあるお方ですから、そこんところをぼかして、畝の旦那に話されたようですが、まあ、間違いはありますまい。大月屋彦市は五年前に材木で大儲けをしたあと、それまで贔屓にしていた柳橋の芸者を落籍《ひか》して妾にでもすることか、それまでの女房を追い出して、後添えにしちまったてんですから、お勝母子が大月屋を怨むのが当り前、お初にしてみれば、母親を去らせた女の産んだ子をちょいとさらって行って憎い父親とその女に思い知らせてやりたい気持があったに違えねえんで……田螺稲荷で聞いたことですが、昨日の初午に招き猫を売ってた娘が、ちっちゃな子供に紐をつけて、自分の傍へおき、その子が大声で泣いていたのを見たって奴が何人もございましたんで……」 「それをみて、源太郎達はおかしいと思ったわけか」 「へえ、こう申しちゃあなんですが、源太郎坊ちゃんにしろ、麻太郎様にせよ、賢い上に勇気がおあんなさる。まあ、お初って娘も近所で聞いたところでは、親孝行で気立のいい子だって評判で……御立派な若様方にどうしたと聞かれれば、つい、自分のしたことに気がついて、正直に白状したんじゃねえかと思います」 「あいつらは、迷子だといって、大月屋へ子供を送って行ったんだな」 「全くもって、大人も及ばぬ智恵でござんす」  手放しで喜んでいる長助に、るいが訊ねた。 「それにしても、大月屋ほどの大店で一人息子でしょうのに、よく太郎吉という子を一人にしておきましたね」  長助が気持よさそうに笑い出した。 「それなんでございますがね。大月屋をのぞきに行きましたら、こないだ中の瓦版を読んだって連中が押しかけて来てまして……」  今年の大雪で家が潰れたのは、五年前に大月屋が建てたもので、手抜きのぞんざいな仕事だったからといわんばかりの記事であった。 「なにしろ、二、三日前から、大月屋で家を建てた連中が俺の家は大丈夫か、金を返せ、どうしてくれると店へねじ込んで来てますんで、大月屋はえらい騒ぎ、子供どころじゃなかった様子で……」  るいが眉をひそめた。 「やっぱり、そんなことになっていたんですか」 「自業自得でございますよ。お勝母子は気の毒ですが、大月屋の今日のさわぎを見ますと、追い出されていてよかったってことかも知れませんので……」  お吉と近所へ買い物に行っていた千春が戻って来た声で長助は腰を上げた。 「そういうわけでございますんで、おそらく神林様でも何かと御心配になっていらっしゃるかも知れませんから、若先生からそこのところをよろしくお話し下さいと、畝の旦那の口上でございます」 「わかった。今夜にでも兄上に申し上げておこう」  裏木戸から帰る長助を送りがてら、急いで訊いた。 「冬木町の件だが、むこうには何もいってないんだろうな」  長助が威勢よく答えた。 「若様方が番屋にも連れて行かない。誰にも口外しないと約束なすったんでございます。十手持ちが調べに来たなんてことは金輪際、わからねえように、気をつけましたんで……」 「かたじけない。長助にはいつも厄介をかけるな」 「とんでもねえことでございます」  庭を廻って居間へ戻って来ると、お吉が買って来たばかりの串団子を木皿に取り分けている。で、 「昨日、千春が授かって来た田螺稲荷の護符は、結局、どこへ貼ったんだ」  と聞いてみた。  台所の柱にするか、神棚へおさめるかと、昨夜、るいと額を寄せて相談していたからだったが、 「番頭さんが、そりゃあ火防せだから竈《へつつい》の脇だってがんばるもんですから、結局、荒神《こうじん》様の御神符と並べて貼りましたんです」  明快な返事が戻って来た。  その上、声をひそめて、 「お石に訊かれましたんですが、なんでお稲荷さんの御札が火の用心に効くんでしょうか」  と真顔でいう。 「なんだ。お吉は知らないのか」 「残念ながら存じません」 「稲荷は居成《いな》りとも書けるだろう。つまり、火事が隣で居成り、こっちへ燃えて来ないっていう語呂《ごろ》合せさ」  東吾は畳の上に、指先で「居成り」と書いて教えたのだが、お吉はぴんと来ないらしく盛んに首をひねっている。  るいのほうは、折角、千春が授かって来てくれたものの、もし、火事になって田螺稲荷の霊験あらたかに、大川から田螺がぞろぞろ上って来たら、どんなに気味が悪いだろうと、口には出せず、神棚の上の招き猫を眺めて吐息をついていた。  そんな大人達の思惑をよそに、千春は大きな口を開けて串団子を食べている。  早春の陽はもうかげって、どこからか焼芋売りの呼び声が流れて来た。 [#改ページ]   蓑虫《みのむし》の唄《うた》      一  初午が終って、江戸は風の強い日が続いた。  町奉行所からは連日のように「火の用心」の町触れが出て風烈廻りの与力、同心は神経をとがらせて町々を巡回した。  折も折、日本橋南、因幡町《いなばちよう》の町家から出火したのが家財を持ち出して逃げようとする人の大八車に燃え移って、そのまま松幡橋を越えて松屋町へ広がった。  松屋町は道一つをへだてて松平越中守の上屋敷があり、そのむかい側は八丁堀の組屋敷、与力町であるから、すわやとかけつけて来た町火消二番組が大活躍をして、とりわけ、千組の纏《まとい》持、伊佐三がここを消し口と決めた松屋町の角、伊勢屋の大屋根から一歩も退かず、鳶《とび》人足連も伊佐三を殺すなと水鉄砲や竜吐水《りゆうどすい》、或いは手桶で堀の水を汲み上げ手送りして猛火に立ちむかったので、少々の怪我人は出たものの、松平家にも八丁堀組屋敷にも延焼することなく鎮火した。  で、町奉行所から消火活動に当った火消一同に褒賞が出、とりわけ抜群の働きとして、千組の伊佐三に銭五貫文が与えられた。  また、その折、火事場で指揮をとっていた町火消人足改の与力、石橋禄三郎らからの報告で、伊佐三が消し口を取るに当って、最後まで危険を冒し、伊佐三を守るために彼並びにその周辺へ水をかけ続けた鳶人足の定吉にも、三貫文と共に奉行直々のお褒めの言葉をたまわるという、あまり例のない御沙汰があった。 「そりゃあそうですよ。いくら纏持が消し口取ったって、そこまで上って行って火を消す人間がいなけりゃ火事はおさまりゃしません。悪くすりゃ纏持が焼け死んじまうわけですから、お上はいいところに目をおつけになって、それでこそ御褒美が生きるってものでございます」  大川端の旅籠「かわせみ」の女中頭のお吉が口角泡をとばして感心している午下り、その話を八丁堀の兄の屋敷で聞いて来た神林東吾は、母親とあやとりをしている千春の手許を眺めながら番茶茶碗に手をのばした。 「定吉というのは、親子二代の火消だそうだ。父親は十何年前だかの御城内の出火にかけつけて大働きをしたらしいが、裏門が焼け崩れた際、下敷きになって焼死したんだと……」  るいがあやとりの手を止めた。 「十何年前というと、大奥から出火した時のことでしょうか」 「そうらしい。町火消がよく働いて、大奥の御殿は焼けちまったが、御数寄屋の二重櫓は本所、深川の十六組が守り抜いたって未だに語り草になっているからな」 「お城の消火に出かけて命を落したんでしたら、御当人や家族にとってはお気の毒に違いありませんけど、お侍でいえば御馬前での討死ってもんでしょうし、今度の定吉さんへの御褒美も、お父つぁんのそうした働きをお上が御斟酌《ごしんしやく》なすったのかも知れませんねえ」  お吉がしんみりしたあげく、 「それにしましても、お上が再三再四、火事の時は大八車を持ち出してはいけないとおっしゃっているのに、どこの馬鹿が曳き出したのか、本当に自分のことばかり考えて、一つ間違えたら八丁堀の組屋敷が焼け野原になったかも知れませんのに、困ったものでございますね」  と慨嘆した。  たしかに、火災の時、家財を積んだ大八車が道をふさいで火消の邪魔になったり、今度のようにそれに火がついて類焼が広がったりといった例が少くなく、何度も奉行所からお触れが出ているものの、いざとなると人は欲にかられるものか、一向に守られていない。  なんにしても、この時、因幡町から松屋町にかけて十三軒を焼いた火事は死者も出ず、たいした怪我人もなかったことで、焼け出された者はとにかく、周辺はまあまあと胸をなで下した。  だが、数日経って畝源三郎が「かわせみ」へ来ての話では、てっきり失火と思っていたのが、よくよく調べてみると、どうも放火の疑いがあるという。 「火元は因幡町の空樽問屋の裏木戸附近と判明したのですが、店の者の話によると、まず火の気のない所なのです」  台所や住居と離れているし、裏木戸そのものが平素は使われず、人の出入りがない。 「その中《うち》に当日、親類の法事に招かれた者が、夜更けて堀のこっち側を通った時、火元になったあたりから急に逃げ出して行く人影を見ているのが知れました」  目撃者はかなり酔っていてあまり自分の見たことに対して自信がなく、そのためにお上へのお届けが遅くなったらしいが、 「人が逃げたのちに空樽問屋の裏手のほうが、ぼうっと明るくなったというのですから、まず間違いはないでしょう」  出火の時刻からいっても、目撃者の申し立てと一致すると源三郎はいった。 「そいつが見たというのは、一人か」  東吾の問いに、 「残念ながら、その点がはっきりしません」  目撃者は一人だったように思うといっているが、堀を越えた向う側ではあり、夜の暗さの中のことである。 「ただ、あの界隈で盗っ人に入られた家はありませんし、出火元も同様です」  少くとも、盗っ人が押し込んでどさくさまぎれに火を放ったというのではない。 「今は空樽問屋、因幡屋と申すのですが、誰かに怨まれるようなことがなかったか、或いは奉公人に店を怨むような者がなかったかを調べています」  因幡屋はその名の通り、先祖は出雲のほうの出身だが、当主は市兵衛といい、女房のおはまとの間に一人娘のおせいがいる。 「おせいってのは、いくつだ」 「本年とって十八だそうですよ。東吾さんが聞きたそうな顔をしているから申し上げますが、因幡小町と渾名があるような器量よしでして、まだ聟は決っていません」 「何をいってやがる。大方、八丁堀だって、そのあたりに目をつけているんだろう」 「いい女はとかく罪つくりなものですからね。因幡屋は焼け出されて、深川の自分の家作に仮住いをしていますよ。長助の長寿庵のすぐ近くですから、なんならのぞいてみるといいでしょう」 「それほど物好きじゃねえやな」  軽口を叩き合ったものの、源三郎が帰ってから東吾は少しばかり考え込んだ。  放火がもし因幡屋にかかわり合いのあるものなら、遅かれ早かれ犯人の挙がる可能性が強いが、そうでない場合、因幡町というのが八丁堀組屋敷とあまり遠くもない地域であるのが気にならないこともない。  この節、幕府に対して必ずしも順風という御時世ではなかった。お上に不満を持つ者が町奉行所に働く人々の多く住む八丁堀をねらっての放火の小手調べということはないだろうかと思案が動く。これは、大川に落した一文銭を拾うよりも犯人探しが困難であった。  おそらく畝源三郎あたりはそこまで考えて探索に当っているに違いないと思うが、定廻り同心の毎日が如何に多忙かを知っている東吾としては、自分に出来ることがあれば手伝いたいという気持が強い。  そのためには、やはり因幡屋から手をつけねばならないので、放火の原因が因幡屋にあるとわかれば、それはそれでよけいな気を廻すこともないのであった。  その日、東吾が軍艦操練所から退出して来ると「かわせみ」の前にるいと老番頭の嘉助、それにお吉までが出ていて、その三人に対して、見るからに鳶職とわかる初老の男が二人の若者を従え、しきりに礼をいっているらしいのが見えた。  東吾が近づくと、 「これは旦那様、千組の徳三郎でござんす」  と改めて挨拶をした。  二番組、千組の頭《かしら》、徳三郎の顔は東吾も識《し》っていたので、 「やあ、こないだは大働きだったな」  先頃の火事のねぎらいをいった。 「大《てえ》したことも致しませんのに、この度はうちの若い者に過分の御祝を頂きまして有難う存じます」  改めて頭を下げたのは、徳三郎の子分に当る纏持の伊佐三と定吉に対して奉行所から褒美が出たことで、千組の縄張り内に入るこの地域でも名主が宰領して祝金を集めて贈ったことへの挨拶であった。で、東吾が、 「伊佐三というのは、どっちだ」  と訊くと、徳三郎の左側にいたのが、 「へえ」  と頭を下げ、その背後にいたのを、 「弟分の定吉で……」  と紹介した。どちらも仕事柄、筋肉質のいい体をして居り、まずまずの男前である。  三人が帰り、「かわせみ」の暖簾をくぐってから東吾が、 「あの二人、容子《ようす》がいいから町内の娘っ子にもてるだろうな」  と水を向けると、早速、お吉が、 「定吉さんってのは、まだ二十になったばかりで子供子供してますけど、伊佐三さんのほうは深川の芸者衆なんかにも大した人気だそうですよ」  と笑った。 「伊佐三はいくつだ」 「二十五だそうで……」  と答えたのは嘉助で、 「あいつは徳三郎の甥に当りますんで、頭の所には男の子がございませんので、ゆくゆくは頭の娘のおきよと申すのと夫婦にして跡目をゆずるような話でございますよ」  まあ順当なところだろうと合点している。  江戸に町火消が誕生したのは、八代吉宗将軍の時で町々を地域で分けていろは四十七組が出来たが、この中、|ひ《ヽ》は火、|へ《ヽ》は屁、|ら《ヽ》が摩羅に通じるので嫌われ、各々が百、千、万と呼びかえられた。  その後、再編成されて、四十七組をさらに十組に分けたが、これも、七番組が質、四番組は死に通じるとされて忌まれ、四番組は五番組に、七番組は六番組に合併した。  いろは四十七組のほうも、芝二本榎広岳院門前や高輪国昌寺門前などを担当する本組が加わって四十八組となり、本所深川に、北、中、南の三組が出来て、その下に北は五組、中は六組、南は五組の合計十六組が組織された。 「かわせみ」のある大川端町界隈は二番組の持場に属し、千組の地域になっている。  町火消が出来た最初は各町内から適当に、人をえらんでいたものだったが、何分にも素人が急に火事場へやって来てもたいした役には立たないし、えらばれるほうも尻込みしがちなので、いつの頃か町内で金を集め、日頃から高い所で仕事をしなれていて、身が軽い鳶職の者をやとって火消に任命するようになったのだが、この節では火消といえば鳶職と決ったようなものであった。  鳶職の本業は土木建築の手伝いで、組ごとに然るべき建築業者を出入り場に持ち、各町内を旦那場と称して、道の修復だの溝の工事を担当して賃金を得ていた。  何にしても町内の用心棒のような存在だし、出入りの大店の冠婚葬祭やら、年始、花見のお供から嫁入りの宰領など、組印の入った半纏着姿でどこにでも通用する。仕事柄、腕っ節の強いのが多くて、例えば商家へたちの悪い押売りが来たり、小僧のまいた水が足にかかったなぞと通行人がいちゃもんをつけたりしたような時、まず呼ばれてかけつけて行くのも彼らであった。  従って、頭や纏持、梯子持などになると本業の土木作業に出かけても、子分を指図するだけで自分が泥にまみれることはなかった。 「鳶の連中の仲間には随分と乱暴な手合もいるそうですけど、徳三郎って頭は温厚で人の面倒をよく見るそうですよ。新川の大店でもあの人は礼儀正しいからって評判はいいみたいですし……」  居間へ戻って来てから、るいもいい、お吉も自分の町内の火消が二人も奉行所から褒賞されたことを喜んでいる。  東吾にしても、それに異論があるわけではなかった。      二  三月が近づいて、大川の水もややぬるみはじめたかと思われる午後に、東吾が深川の長寿庵へ行ってみると、店に徳三郎が来ていて長助と何やら話し込んでいた。  もっとも肝腎の用件はすでに話し終っていたようで、東吾を見ると丁寧に挨拶して徳三郎は帰って行った。 「どこの家にも障子の破れと泣きどころはあるなんて申しますが、血気盛んな若い者に修行中の坊さんの真似をしろというのも酷な話でして……」  長助がぼんのくぼに手をやり、東吾のために小あがりに座布団を出していた長助の女房のおえいが、 「美代吉さんのことなら下手に意見なんぞしないほうがいいんじゃありませんかね」  と独り言のようにいった。 「美代吉というのは、深川か」  下駄を脱ぎながら東吾が聞き、 「今泉って芸者屋の抱えなんですけどね。この節、たいした売れっ妓で……」  おえいが困った顔で答えた。 「そいつが、徳三郎の所の伊佐三といい仲なんだろう」  ずばりと東吾がいい、長助が目を丸くした。 「若先生、御存じで……」 「なに、当てずっぽうさ。今、帰って行く頭の顔をみたもんで、ちょいと勘が働いたんだ」 「まあ、頭が心配《しんぺえ》するようなことはねえとは思うんですが、この前の火事場の一件以来、伊佐三の奴、急に人気者になりやしたから」  それでなくとも纏持は若い女達にちやほやされる。 「こいつは嘉助から聞いたんだが、徳三郎は伊佐三を娘の聟にするつもりだというが……」 「左様《そう》なんで……本来なら、伊佐三がああした手柄を立てた後のことでございますから、少々、芸者と浮名が立ったにしろ、頭のほうは見て見ぬふりってところなんですが、おのれの娘の聟にしようって男のことになると父親としては放っておけねえ気持になるんだろうと思います」 「長助に何を頼みに来たんだ」 「今泉のほうに、ちょいと口をきいてくれまいかっていうようなことですが」 「野暮な役だな」 「あんまりぞっと致しません」  今泉という芸者屋は女主人で、長助としては縄張り内のことでもあり、顔を見れば挨拶をする間柄だが、色恋の話に十手を持ち出すわけにも行かない。 「あっしが聞いたところでは、まわりが面白がってわあわあいっている中に当人同士がその気になって味な仲になっちまったという程度でして、まさか伊佐三が頭の娘を袖にして美代吉と夫婦になろうと考えているとは思えねえんで……」  徳三郎にとって伊佐三は甥だが、親分子分の間柄でもある。 「伊佐三の立場じゃあ、そこまで不義理は出来ますまい」  長助に勧められて、東吾が盃を取り、おえいが鉄火味噌と卵焼を運んで来た。 「伊佐三さんといえば、昨日もこの先の家作にいる因幡屋さんへ見舞に来ていましたよ。お気の毒に、旦那の市兵衛さんが火事の時に腰を痛めたとかで、ずっと按摩の療治を受けてなさるんです」 「因幡屋は徳三郎の出入り場か」 「本当なら百組の縄張りですけど、百組の頭は徳三郎さんの妹の亭主ですから、別にどうってこともないようで……」  長助が軽くおえいに目くばせをして、おえいは早々に釜場のほうへ去った。 「どうも、女連中は火消の話になると目の色が変りゃあがって……」  よけいな口出しをしてすみませんと長助があやまり、東吾は盃を長助に廻して酌をしてやった。 「そりゃあそうさ。なにしろ、江戸の三男《さんおとこ》といやあ鳶頭と相撲取りに与力衆というそうじゃないか」  東吾の言葉に、長助が手を振った。 「いけませんや、ああいう連中を八丁堀の旦那方と一緒にしちまっちゃあ……」  さりげなくあたりを見廻して声をひそめた。 「因幡屋から出火した一件ですが、やっぱり放火には間違えねえってことでして。ただ、どう探っても因幡屋には他から怨まれるような理由がねえので……」  主人の市兵衛はどちらかといえば大人しい人柄で近所の評判も悪くない。 「お内儀さんのおはまさんは深川の料理屋の娘ですが、因幡屋へ嫁入りして間もなく両親が流行《はや》り病でたて続けに歿りまして、そのあと店をやって行く者がなかったんで、結局、料理屋は人にゆずっちまいましたが、それに関して揉め事があったとは聞いて居りません」  夫婦の間に娘が一人、 「おせいさんといいまして、器量よしのかわいい子ですが、箱入りに育てたんで年よりも子供でして、色恋のもつれなんてのはまず誰に聞いても考えられねえと申しますんで……」 「因幡屋に放火される理由がないと、厄介だな」 「へえ、畝の旦那もそのようにおっしゃっておいでで……ですが、火消連中の話ですと、最初に火の手が上ってかけつけた時はたいしたことはなかったそうでして、せいぜい因幡屋の一部が燃える程度で消し止められると判断したようで……ですが、慌てた近所の家が大八車をひき出したりして、そいつに火がついたのが思わぬ大火事になっちまったとか……」 「そいつは俺も聞いたよ」  もしも、大八車などに火が移らなければ、少くとも、火が堀を越えて八丁堀側まで広がって来る可能性は少なかった。 「大風が吹いてたわけでもございませんし、大体、火消のかけつけるのが早かったんで……」  八丁堀のお膝元だと、千組、百組が勇み立って活躍した。 「大八を持ち出した連中は御法度でございますし、随分とお調べも受けましたし、お叱りも受けたてえ話ですが、火事と聞いてわあっとなってやっちまったんでして……」  作為があってのことだとは、今のところ考えられないという。 「ですが放火には違えねえんですから、なんとしても下手人を挙げませんことには……」  放火犯には火つけが病気という手合もいるのでと、長助は顔をしかめている。  長寿庵を出て、東吾は佐賀町から永代橋へ向った。  放火犯を気にして深川まで来たのが無駄足になったと思いながら、川っぷちの道へ出て来ると前方でみるからに深川芸者といった女が若い男の胸倉を取らんばかりの勢いで何やら問いただしている。  女をもて余している相手の男が、いつぞや「かわせみ」へ挨拶に来ていた千組の鳶の若い者、定吉だと気がついて東吾は傍へ行った。 「おい、どうかしたのか」  定吉が救われたように東吾を見、お辞儀をした。それをきっかけにして女にむかい、 「それじゃ姐さん、頭の用事がございますんで……」  そそくさと挨拶し、もう一度、東吾に頭を下げてから早足で永代橋を渡って行った。 「どうも、俺は野暮をしたようだな」  定吉を見送っている女が唇を噛みしめるようにしているので、これはよけいなところへ声をかけたと文句をいわれない中に逃げるが勝と会釈をして通りすぎようとすると、 「別に定吉つぁんをくどいていたわけじゃあござんせんのさ。若先生」  といわれて足が止った。 「ここんところ、深川はお見限りのようですね」  相手が誰か見当がついて、東吾は笑った。 「あいにく俺は伊佐三ほどもてないのでね」 「あたしの名前を御存じで……」 「美代吉だろう、この節、たいした売れっ妓だそうだな」 「大方、長助親分からお聞きなすったばっかりでしょう」  正面からまじまじとみつめられて東吾は苦笑した。みたところいい女だが、相当に気が強そうである。 「成程、伊佐三が惚れる筈だな」 「こっちが思うほど、むこうは惚れちゃいませんよ。だって、そうでしょう、昨日も深川でみかけたって人がいるのに、あたしの所には寄りもしない。今だって定吉つぁんに訊いたら、頭の用事で走り廻ってるって……」 「男は用が多いからな」 「女だって暇じゃありませんよ。でも、用のある身がやりくりして顔を見せてくれるのが実《じつ》があるってことでしょうが……」 「俺に色恋の講釈をしたって始まらねえぜ」  美代吉が足駄の先で小石を蹴とばした。 「あん畜生、いっそ出刃庖丁でも突っ込んでやろうかしらん」 「物騒だな」  女の表情に一瞬だが凄味がみえて、東吾は僅かな懸念を持ったが、美代吉は憂い顔を大川へ向け、目許にゆっくり笑いを浮べた。 「何かあるんですよ。あいつの胸ん中に。ひきめくってみたら、きっと何かある。そいつが知りたい」  川沿いの道に畝源三郎の姿が見えて、東吾はやれやれと思った。 「友達が来たから、俺は行くよ」 「どなたもそうやってあたしを置いてけぼりにするんだから……」  くるりと背をむけて、門前通りへ走って行く。 「全く東吾さんはすみにおけませんな。いつから美代吉と昵懇《じつこん》になったんですか」  源三郎が傍に来て、東吾は歩き出した。 「ああいう女は剣呑《けんのん》だよ」 「伊佐三のことですか」 「頭の娘の聟になる気なら、あんまり深みにはまらないほうがいいな」  肩を並べて永代橋を渡った。 「徳三郎は娘の聟にと考えているようですが、娘の気持はまた別のようで……」 「ほう。好きな奴がいるのか」 「拙宅の女房が出入りの商人から聞いたことですが、徳三郎の娘のおきよは、むしろ定吉に親切だといいますよ」 「定吉なら、さっき会ったよ」 「まあ、若い女が同情する要素を持っている男ではありますがね」  父親が消防の際、焼け落ちて来た門の下敷きになって死んだのだが、 「なんといっても御城内へ入っての消防中の出来事なので、お上から二十貫の弔慰金が出ました。ところが、女房はその金をもらうと好きな男とかけ落ちをしてしまったそうですよ」  源三郎の話に、東吾も驚いた。 「定吉を残してか」 「左様です。それで徳三郎が不愍がって親がわりになって面倒をみたとか……」 「世の中、いろいろとあるものだなあ」 「放火の下手人を探していると、さまざまの話が入って来るものですよ」 「まさか、定吉が疑わしいというのではあるまいな」 「違います、違いますよ」  豊海橋の袂で東吾と別れ、源三郎は小者をお供に日本橋川沿いを去って行った。      三  それから二日、東吾が軍艦操練所から帰って来ると、隣の空地のところで嘉助が立ち話をしている相手が千組の頭の徳三郎であった。 「この先の白銀《しろがね》町と四日市町を分けて居ります堀のへりがだいぶ傷みましたんで、新川の旦那衆からお話がございまして修理に入らせてもらいやす」  と徳三郎が挨拶し、東吾は、 「そりゃあ御苦労だな、よろしく頼む」  と答えた。  八丁堀組屋敷のある一帯と、「かわせみ」が建っている大川端町を含む南新堀町、四日市町、塩町、白銀町、長崎町などのある霊岸島界隈の間には南北に亀島川が流れている。  その亀島川から小さな堀が東西に大川へむけて走り抜けているのは、堀の両側に酒問屋としても有名な鹿島屋をはじめとする大富豪の店が並んでいて、その多くが上方から商品を船で江戸へ運び、大川口から艀《はしけ》に移して自分の店の蔵へ入れるのに便宜なためであった。  各々の大店には堀にむかって舟着場を備え、水路の運送に都合よく出来ている。  その堀は勿論、一般の人々の舟も通行するのだが、今度のように古くなって傷み出したところから修理をする場合、その金を出すのは大商人達で、間に名主が入って話を進め、その土木工事を地元の千組に委託する例が一般であった。  で、工事を請負う千組の頭が町内の然るべきところに顔を出して工事についての了解を取っておく。徳三郎が「かわせみ」へ来たのはそのためであった。 「二、三日中に仕事に入るようでございまして、人足の指図には定吉さんが当るとのことで……」  東吾と一緒に「かわせみ」へ戻りながら、嘉助が報告した。 「人足達が昼飯を食ったり、一休みしたりするのに、隣の空地を使わせてもらうということで、まあ火の用心だけは気をつけてくれと申しました」  指揮をするのは町火消をつとめている連中だが、下で働くのは鳶の者で少々は寄せ集めの人間もまじって来る。 「定吉さんは若いが、なかなかしっかりして居りますんで、まず、心配なことはありますまいが……」 「あいつは、たしか梯子持か」  と東吾がいったのは、伊佐三が纏持だったせいで、その下だから、多分、梯子持くらいかと思ってのことである。  普通、火消は各々の組に頭が居り、頭の下に道具持と呼ばれる纏持と梯子持、更にその下に鳶口を持つ平人《ひらびと》があり、それよりも下になると土手《どて》組と称し、これは火消の中に入らない。  町内で幅をきかす鳶職といえば、まず頭と道具持であった。  本職の土木工事の指揮を取るのも、そのあたりで、自分自身は土にまみれることは滅多にない。 「それが、定吉さんはまだ平人なんだそうでして、頭としてはこの前、大手柄を立てたことでもあり、この際、道具持にしてやりたいといい、二番組頭も名主さんも承知なすったのに、何故か定吉さんが首を縦にふらないそうでございます」 「理由は……」 「それもはっきりしませんで、頭はただ困った、困ったと申して居りましたが……」  そんな話を聞いた二日後から、護岸工事は始まった。 「かわせみ」の隣の空地には、地主の許可をもらって小さな仮小屋が出来た。  二間四方に細い柱を立てて板屋根をのせ、周囲は葦簾《よしず》をひき廻しただけのもので、工事に働く人足達が昼の弁当をつかったり、一服する場所になっている。  あらかじめ頼まれていたことで「かわせみ」の裏の井戸を使わせてやり、こっちは頼まれたのではないが、飯時には熱い湯茶を運んでやったりもする。  そのせいで、少々の噂が入って来た。 「定吉さんというのは少し変っていますね。仮にも頭の代人で仕事の指図をする立場なのに人足と一緒に泥まみれになっているようですよ。若いのになりふりかまわないというか、でも、下の人達には評判は悪くないっていいますけど……」  とか、 「定吉さんの弁当は、毎日、頭の娘のおきよさんが自分で届けに来るんだそうで。でも、定吉さんはろくに話もしないし、おきよさんもとっとと帰って行くんで、人足達が初心《うぶ》だねえと笑っているんです」  などとお吉がるいにいいつける。 「鳶職の人が泥まみれになるのは当り前ですよ。二十そこそこで頭の代人をつとめるとなれば、とかく年輩の人足から馬鹿にされる。そこでふんぞり返っていばり散らす人と、みんなと一緒になって働きながら下の人といい関係を作ろうとする人と……定吉さんってのは利口者だと思いますけど……」  るいの解釈を東吾は黙って聞いていた。確かに定吉の考えは後者なのだろうと思う。  鳶職とはいい条《じよう》、火消で手柄の一つも立て、頭から道具持に抜擢されるほどになると、周囲からは兄ぃ、兄ぃと立てられる。  粋といなせが売り物といわれる町火消は火事装束も凝っていたが、日頃も印半纏にめくら縞の腹掛、紺股引に紺足袋、麻裏草履と細かなことにも洒落た。  本業が土木工事の雑役であっても、江戸では人足と呼ばず、仕事師と呼んだ。  いってみれば、万事に恰好よく見せたがる風潮が強いのが、この節の鳶職であった。  とはいえ、若い中から兄貴風を吹かせ、気取ってばかりいては、下働きの者はついて来ない。定吉はそのあたりがよくわかっているのだろうと東吾も思ったが、なんとなくひっかかるものがないわけでもなかった。といって、それが何なのか、東吾自身にも判然としない。  女達の関心はむしろ、弁当を運んで来るおきよのことで、 「いくら頭が、娘の聟は伊佐三と決めていたって、肝腎のおきよさんが定吉さんのほうを向いちまっているんですから……伊佐三さんが深川の芸者衆と浮名を流しているのだって、そのせいですよ」  とお吉は伊佐三に同情している。  その伊佐三の姿を、東吾はここのところ、何度も見かけていた。  八丁堀の与力、同心の子弟のための道場は与力町にあるので、この前の火災現場とはそう遠くない。  八丁堀のほうから見ると松屋町から松幡橋を通って因幡町まで縦長にまっ黒く見える焼跡は鳶職が入って片付が進み、場所によっては仮店舗を作って商売を再開しようとしている所もある。  大方が老舗で富商の店だから鳶職にとっては日頃の出入り場でもあり、跡片付の手伝いも熱心で、伊佐三も連日、人足達を指示してそのあたりを走り廻っている。  改めて東吾が注目してみると、伊佐三というのは中肉中背だが苦み走った男前で体つきには男の色気がある。印半纏がよく似合い、腕を組んで人足の働きぶりを睥睨《へいげい》している姿には貫禄があって、定吉とは格段の相違がある。  実際、焼跡で働いている商家の番頭などにも、 「伊佐三が睨みをきかせているので、人足の仕事がはかどり助かっていますよ」  と感謝されている。  その伊佐三が「かわせみ」へ来たのは二月も残り幾日という暖かな午後で、まず、人足達が「かわせみ」の井戸を使わせてもらっているが、何か不都合はないだろうかと訊いた上で、毎度、湯茶の厄介になっていることの礼をいい、護岸工事はあと十日余りで終る予定であるから、迷惑でもあろうがよろしく頼みますと丁寧な挨拶をして行った。 「かわせみ」では、その場に居合わせたお吉はもとより、台所との境目からのぞき見をしていた女中達まで、歯切れのいい伊佐三の口上にぼうっとなって、 「まあ、あの人、なんて容子がよくなっちまったんでしょう」  といったお吉の言葉にうなずいている。 「纏持には違いありませんでしたけど、ちょっと前まではあれほど男前にはみえませんでしたよ。すっかり貫禄が出来て、どうみたって若頭って器量じゃありませんか。やっぱり火事場で手柄を立てて、お上に褒められると自信が出来るものなんですかねえ」  見違えるようでしたというお吉の報告に、東吾は笑った。 「俺も八丁堀の道場の近くで、あいつをみかけたが、お吉のいう通り、ずんと男ぶりが上ったようだな」 「そうでございましょう。そういっちゃあ何ですが、隣の空地でみかける定吉さんとはだいぶ差が出来ちまって……女中達はどうして頭のところのおきよさんが伊佐三さんを袖にして、定吉さんに入れ上げているのか気が知れないなんていってます」  流石にるいは、 「およしなさい。人は好き好き、定吉さんには定吉さんのいいところがあるのだから、よけいなお節介はおよしなさい」  とお吉をたしなめたが、夜、夫婦二人だけの部屋になると、 「お吉にはああいいましたけど、あたしも少し気になったんですよ」  東吾の腕の中でいい出した。 「みかけはともかく、伊佐三って人は二十のなかば、定吉さんのほうはやっと二十になったばかりでしょう。おきよさんの年頃なら、どっちが頼もしく見えるかといえば、伊佐三さんじゃありませんかしら」 「女なら、伊佐三に惹かれるのが当り前ってことだろう」  るいがいいたいのが、男の性的魅力のことだとわかって、東吾はるいの乳房へ伸びていた自分の指を眺めた。 「おぼこ娘には、わからねえかも知れねえぜ」 「もともとは、頭が伊佐三さんを聟にと決めていたんでしょう。それをどうして……」 「定吉に乗りかえたかだな」 「おぼこ娘なら、尚更、親のいいなりに伊佐三さんの嫁になろうと思うでしょうに……」 「るいは、おぼこ娘にこだわったか」  東吾が体のむきを変え、るいが形ばかりの抵抗をみせた。 「人はみかけによらないっていいますけど、おきよさんにしても……」  あとが声にならず、るいの脳裡から伊佐三が消えた。  そして、また二日。  軍艦操練所で、珍らしく厄介な打ち合せがあって、東吾の退出が遅れた。  日はかなり長くはなって来ていたが、それでも鉄砲洲稲荷のあたりから夕闇が濃くなり出した。  大川の周辺が僅かに靄《もや》ごもって見えるのは夜更けてからの雨の前兆かも知れないと、東吾は急ぎ足で新川の堀を渡って大川端町へ入った。  例の空地では人足達が帰り仕度をしている。  ここは以前、家が建っていた頃の名残りで道に面して樹木が五、六本、そのまま枝を伸ばしていた。  一本の木の下に定吉が立っていた。  仕事着のまま、しきりに枝を眺めている。  通りすがりに、東吾も彼の注目しているものをみつけた。  蓑虫である。  木の枝から糸を垂らした恰好で、先端にぶら下っている。 「今時分、珍らしいな」  東吾が足を止めると、定吉が顔を上げてお辞儀をした。 「今、お帰りですか」  と挨拶する。 「堀の工事は随分、進んだな」  といったのに、 「へえ、おかげさまで……」  と答えながら、また、蓑虫をみている。 「死んじまっているんでしょうかね」  ふっと東吾に訊く。 「さて……」  蓑虫は蛾の幼虫であった。  冬の間、枯葉にくるまっている姿が蓑を着たようだといって、この名がある。  時期が来れば、自然に蓑を破って蛾になって飛んで行くのだが、この恰好だと蓑の中の虫が生きているかどうかわからない。といって枯葉をひきめくったら幼虫は死んでしまう。 「まあ、中にいるなら生きているだろうよ」  季節からいって、いささか遅い気がしないでもない。 「俺も子供の頃に、よくこいつをみつけたものだが、近頃はとんとみかけなくなっていたよ」 「俺はよくみつけますよ。仕事先で……気をつけているせいでしょうが……」 「虫が好きなのか」 「そういうわけじゃありませんが……こいつのことを鬼の捨て子っていうと聞いたもんですから……つい、気になって……」 「鬼の捨て子か……」  蓑虫の別名であった。 「うまいことをいう奴がいるな」  ぼろぼろの枯葉の蓑にくるまった虫は、たしかに鬼の捨て子といった風情がある。  定吉が指の先で蓑虫を軽く揺らした。 「俺も、こいつと同じですから……」  笑いもしないで頭を下げ、小屋のほうへ去った。  東吾はそのまま「かわせみ」へ向う。  暖簾を出たところに、嘉助が立ってこっちを見ていた。 「ちょうどお姿がみえましたんで……」  お帰りなさいましと腰をかがめるのに、東吾がいった。 「そこで、鬼の捨て子をみつけたよ」 「蓑虫でございますか」 「定吉の奴が教えてくれた」 「昔は、若先生もよく獲ってお出でになりましたね。蓑から蛾が出て来るところを見るのだとおっしゃいまして……」 「みんな、死んじまったっけな」 「定吉がどうして蓑虫を……」 「あいつは、自分と同じだといったよ」 「蓑虫が、でございますか」 「鬼の捨て子という意味だろう」  嘉助が僅かに間をおいて合点した。 「母親のことでございますね」  父親が火事場で死んだ後、男とかけおちしたと聞いている。 「子を捨てた親は、鬼ってことか」  ふり返った東吾の目に、空地を出て堀沿いの道を帰って行く定吉の姿がみえた。 「あいつ、母親を怨んでいるのかな」  帳場のほうから千春の声が聞えて来て、東吾は暖簾をくぐった。  夜、風が出て来た。  雨も僅かばかり降ったが、風の勢いはいよいよ激しくなった。 「火の始末に気をつけて下さいよ」  るいが奉公人に声をかけたが、用心のいい「かわせみ」では、すでに各々が自分の持ち場の火種に気をくばっている。  激しい半鐘の音に「かわせみ」の人々が、はね起きたのは、夜明け間近であった。      四  火事は大川端町の「かわせみ」からいうと大川の対岸、永代橋の北東に見えた。 「深川佐賀町あたりの見当じゃねえかと思います」  すでに身仕度を整えて出て来た番頭の嘉助がいい、台所方の若い衆の伊吉と一緒に様子を見に行くという。  深川佐賀町には長助の長寿庵があった。 「風向きからいっても、火がこっち側まで来る心配はなさそうだ。俺も行って来るよ」  るいにいい置いて東吾も嘉助に続いた。  永代橋のあたりは深川側から逃げて来る人々でごった返している。 「東吾さん」  と声がかかったのは橋を越えたところで、畝源三郎が火事場装束で近づいて来た。 「長助の所が心配になりましてね」  誰の思いも同じで、 「嘉助と帰ったほうがいいですよ。万一、火の勢いが強くなると、これだけの川幅があっても油断は出来ません」  という。  実際、そのあたりは火の粉が舞い、逃げ出す者の背負った荷に火がついたりして大さわぎになっている。 「俺は源さんと佐賀町まで行ってみる。長助の安否が知れたらすぐ戻るから、嘉助は店の備えに戻っていてくれ」  東吾の言葉に、嘉助は承知した。  実際、火事が近いと、そのどさくさにまぎれて盗人が襲って来る危険もある。 「店に男手があったほうが安心だ。伊吉も帰れ」  正直の所、この人ごみの中で嘉助一人を帰すのが不安で伊吉に命じ、彼のほうも心得て、嘉助にしっかりついて橋へ向う。  それを見送って、東吾と源三郎は深川を大川沿いに走った。  佐賀町は永代橋の橋ぎわから川について北へ、仙台堀に架る上ノ橋まで長く続く町だが、長寿庵はそのほぼ中央にある。  威勢のいい掛け声と共に、逃げまどう人波をかきわけて一かたまりになって走って行くのは火消の一団で、先頭を行く馬簾《ばれん》のついた大纏《おおまとい》から深川南二番組が加勢にかけつけるところと見える。 「火元はどのあたりだ」  と源三郎が訊き、後方を走っていた仕事師が、 「中川町の境目のあたりで……」  深川中川町は仙台堀の上ノ橋とその手前の中ノ橋の下を流れる堀割に囲まれた一帯で、佐賀町の一部がその西側、つまり大川寄りにある。 「長助の家より北だな」  だが近かった。  源三郎と東吾も群衆をかき分けて下ノ橋を越え、漸く長寿庵へたどりついた。  店では長助の悴の長太郎が、長助の母親を背負い、長助の女房のおえいが孫達を両脇に抱えるようにして外を眺めていたが、とび込んで来た源三郎と東吾をみると、ああっと声を上げ、みるみる一杯の涙になった。 「長助はどこだ」  源三郎が叫び、長太郎が表を指した。 「町内の人々に早く逃げるよう、かけ廻っていますんで……」 「お前達も逃げろ」  東吾がしゃがれ声で告げた。 「どこというより、かわせみがいい。早く行け」  おえいが息子夫婦にいった。 「お前達、おっ母さんと子供達を頼みます。若先生のおっしゃるように大川端町へ……」 「おっ母さんも一緒に行きましょう」  長太郎がいった。 「親父がいったように、荷物なんか何も持たなくていいから……」 「あたしはここへ残りますよ。うちの人が帰って来たら、一緒に行くから……」 「おっ母さんが逃げないんなら、あたしもおっ母さんと残ります。あんたはおばあさんと子供を連れて……」  長太郎の女房のおはつが気丈に叫び、長太郎の背中からしっかりした声で老婆が命じた。 「わたしが残る。お前らは子供を連れて逃げろ。残るのは年寄の役目だ」  東吾が老婆をなだめ、おえいにいった。 「あんたが行かないと、誰もここから動かんぞ。長助のことは、俺と源さんが命にかけても無事にかわせみへ連れて行く。四の五のいわずに行ってくれ」  おえいが唇を噛みしめた。 「若先生、畝の旦那、うちの人は幸せ者でございます」  源三郎が背後にいた小者に命じた。 「長助の家族を道中無事にかわせみへ送り届けろ」  そこへ長助がまっ黒な顔でかけ戻って来た。 「なんだ、お前達、まだ愚図愚図してやがったのか。なんで、とっとと逃げやがらねえ」  東吾と源三郎に気がついて、仰天した。 「旦那、若先生、来て下さいましたんで……」  東吾が笑った。 「おえいさんは亭主思いのいい内儀さんだ。長助が帰って来るまで、ここを動かないとさ」  長助が黒い顔をくしゃくしゃにした。 「馬鹿野郎、ろくでもねえ御託《ごたく》を並べてねえで、とっとと行きやがれ」  長太郎が東吾と源三郎にお辞儀をし、母親と女房をうながして店を出た。 「気をつけて行けよ。子供達、迷子になるなよ。長吉、おっ母さんの手を放すな」  東吾が店の前からどなり続け、長助はそっと目尻を拭った。源三郎は板場の桶に水を汲んで手拭をひたし、長助に渡した。 「顔を拭けよ。深川一番の伊達男が台なしだ」 「御冗談を……」  長助の表情がゆるみ、すぐに続けた。 「いけませんや。火は中ノ橋を越える勢いで、佐賀町の北側は丸焼けになりそうな按配でございます」  戸口からその方向を見ていた東吾がいった。 「風が北東に変っているぞ。うまくするとこっちは助かるが、本所まで広がらなけりゃいいが……」  源三郎と長助が表へ出た。  たしかに、今しがたまでこっちへ向っていた火の手が逆へ流れ出していた。  三人の目の前を、新しい火消の一団が、まっしぐらに北へ駆けて行く。      五  深川の火事は、佐賀町の中ノ橋と上ノ橋までの一帯と南側の堀川町、中川町の大半、今川町の三分の一を焼失して漸く鎮まった。 「そいつが放火でござんして、火元はこの前の火事の時と同じ、因幡屋さんの住居のようで……」  翌日の夕方、なにはともあれ「かわせみ」へ礼に来た長助の口から思いがけない話が出て、軍艦操練所から帰って来ていた東吾までが眉をひそめた。  同じ佐賀町でも、長寿庵のある南側の一帯は火が及ばず、無事だったが、深川中は大変なさわぎになっているという。 「すると、この前の火事で焼け出された因幡屋の家族が身を寄せている家が放火されたということか」  東吾の言葉に、長助が膝を進めた。 「おっしゃる通りなんで……実を申しますと、佐賀町のあの界隈は因幡屋さんの地所で家作も殆どが因幡屋さんの所有《もの》でございます」  いってみれば因幡町の店や住居が火事で焼け、深川佐賀町に持っていた自分の家作の一軒に仮住いをしている最中に、今度はそこが放火された。 「そればかりか、昨夜の火事で焼けた佐賀町から中川町にかけての家作は殆どが因幡屋さんの持ちものでして……」  この前の火事にひき続いて、因幡屋は大損害を受けたことになった。 「そうすると、放火の下手人は、よくよく因幡屋に怨みを持った奴ということになるな」 「へえ、お上のほうでも、この際、因幡屋について、何もかも洗いざらいお調べになるようで……」  長助はもっぱら、深川の因幡屋の家作に入居している人々を調べることになったという。 「そいつは御苦労だな。まあ、何分、しっかり頼む」  長助が帰ってから、東吾は考え込んだ。  この前の因幡屋への放火は場所が八丁堀の組屋敷に比較的近いこともあって、下手人のねらいは天下をさわがすのが主眼かと疑うむきもあったが、昨夜のは明らかに個人への怨みが目的であるのを示唆《しさ》している。  下手人を挙げる側からすると、かなり捜査の枠はしぼられる筈であった。 「やっぱり、因幡小町にいいよって、こっぴどくはねつけられた男が下手人じゃございませんかね」  お吉は因幡屋の一人娘のおせいが評判の器量よしであることにこだわっていた。 「季節からいっても、今時分は若い男がとち狂って馬鹿をしでかす時期でございますよ」  と決めている。  だが、そっちを調べてもあまり新しい発見は期待出来ないように東吾は感じていた。  この前の放火の際に、おせいを巡る男達の中に下手人がいるのではないかと判断した町方役人は少くなかったので、源三郎の話ではかなり徹底した調べが行われたが、何も出て来なかったと聞かされていた。  大体、因幡屋のような大店の一人娘の周囲に男の影がちらつけば、まわりがそれを見逃すわけはないので、まして、ふられて恥をかかされたといった事件があれば、当人がどんなにひたかくしにかくしても、四方八方に噂が広がるものであった。 「因幡屋に怨みがあって放火したと申すのでございましたなら、随分としつこい下手人でございますよ。店と住居を焼き払って、その上、仮住いまでとは、あまり聞いたことがありませんが……」  嘉助が首をひねり、東吾もそこらが肝腎だと思っていた。  二日ばかりして、畝源三郎が「かわせみ」に寄った。 「長助が話に来ましたか」  なんとなく可笑しそうな顔でいう。 「なんの話だ」 「佐賀町の火事の夜のことですがね。千組の伊佐三の姿を見たという者があるのですよ」 「火消の伊佐三なら、火事場に来ていて不思議はないだろう」  大火事になれば、自分の組の持ち場以外にも助勢に行く。 「千組は川むこうだ。かけつけたって当り前だろうが……」 「それが、素っ裸だったというのです」 「なんだと……」 「情ない話ですが、下帯もつけていなかったというのですよ」  東吾が絶句し、やがて笑い出した。 「美代吉の家は、どこなんだ」 「東吾さんも、そう考えますか」 「他にどういう思案がある。湯屋はとっくに店終いしちまってた時刻だろうが」 「我々もそう考えて、野暮な詮議をしてみたのですよ」  深川芸者で伊佐三と浮名の立っている美代吉の家は門前仲町にあって、 「当夜は半鐘の音で、こいつは近いってんで、女中と一緒に家の外へ出て、近所の連中と火元はどの辺だろう、こっちへ燃え広がって来やあしないかと大さわぎをして夜があけちまったそうです。証人が何人もいて、結局、伊佐三が佐賀町界隈のどこかの家で美代吉と逢引をしていた筈はないとわかりました」 「伊佐三は何といっているんだ」  苦笑して、東吾は兜《かぶと》を脱いだ。 「人違いだと申すのですよ。自分は当夜、長屋で寝ていて、半鐘の音で外へ出たら川むこうだった。それでも身仕度して頭《かしら》の家まで行ったが、どうやら下火になったようだというので帰って来て寝ちまったというのですがね」 「千組の頭は……徳三郎はそいつを認めているのか」 「たしかに、伊佐三はかけつけて来ていたそうです」 「伊佐三をかばっているんじゃないのか」  やがては娘聟になる筈の男であった。 「それは、あるかも知れません」 「まさか、伊佐三が火つけをしやあしまいな」  仮にも千組の纏持であった。 「火消が放火をしないと決めてしまうのも剣呑ですがね」 「伊佐三が因幡屋を怨む理由があるのか」 「今のところ、見当りません。但し、伊佐三は以前から、ちょいちょい因幡屋へ出入りをしていたようです」  祭礼の時の手伝いや法要の際の世話役、或いは花見や年始廻りの際の旦那のお供、無論、店に厄介な人間がとび込んで来た時は一番にかけつけて追い払う。 「しかし、源さん、その程度のことはどこの鳶の連中もやっているだろう」  鳶職の者にとって、贔屓にしてくれる大店は旦那場のようなものであった。 「伊佐三は千組の纏持なんだから、地元じゃいい顔の筈だ」  いいかけて東吾は気づいた。 「待てよ。因幡屋は因幡町、あそこは同じ二番組でも百組《ヽヽ》の縄張りじゃないか」  源三郎がおっとりと笑った。 「その通りです。実は伊佐三はもともと、百組の先代の頭、徳蔵の子分だったんです」  徳蔵というのは、背中に不動明王の刺青《いれずみ》がある勇み肌の親分で人望が厚く、町内の評判もよかったのだが、大酒がたたって五十なかばで病死してしまい、その後は長男の勇蔵が継いでいる。 「千組の徳三郎の妹は勇蔵の女房に当りまして、その縁で百組の若い者が何人か徳三郎の千組に移って来ました。その一人が伊佐三というわけです」  つまり、伊佐三は百組で働いていた時分から因幡屋の主人、市兵衛にかわいがられて出入りを許され、千組に移った後も、何かというと因幡屋から呼ばれて用を足していた。 「念のため、調べてみましたが、因幡屋と伊佐三の関係はまことにしっくりいっていまして、火事の後も佐賀町へ見舞に行ったり、燃えてしまった店や住居の後片付を熱心に見廻ったりして、因幡屋の者から喜ばれて居ります」 「それじゃ、昨夜、佐賀町の因幡屋の仮宅へ行っていて……」 「東吾さん」  源三郎が笑い出した。 「草木も眠る丑三つ時ですよ。それに、因幡屋の仮宅は手狭ですし、内儀に娘、女中が二人の女所帯です。まさか、伊佐三を泊めるとは思えませんが……」  体を悪くしていた市兵衛も元気になって番頭や手代達と因幡町の仮店に泊っている。 「因幡町の店の新築もだいぶ進みはじめているのです」 「女ばかりの家に放火されて、よく逃げられたな」 「内儀のおはまというのが手水《ちようず》に起きて、きな臭いのに気がついたそうです。なにしろ二度目ですから逃げ出すのも素早かったとのことでして……」  そこで源三郎が東吾を眺めた。 「手前の持ち駒は、これで今のところ全部です。東吾さん、何か気がつかれたことはありませんか」  正直の所、因幡屋の主人、市兵衛にも、女房のおはまにも、これといって人に怨みを受けるような事柄が見当らないと源三郎は少しばかり弱った表情をみせた。 「夫婦仲は円満ですし、市兵衛が外に女を囲っていることもない。女房はやや病気がちで娘一人しか産めなかったのが難といえばいえましょうが、市兵衛はいずれ聟を取って店を継がせると決めていますし……」 「聟は決っているのか」 「まだとのことです。重なる火災で、当分は聟取りもままならないといった所のようですが……」  東吾が肩をすくめた。 「どうも難しいな」  源三郎の調べは行き届いているものの、話の中から下手人の姿は浮び上って来ない。 「源さんに見えないものが俺に見える筈もないが、まあ、俺なりに考えてみよう」  とりあえずの返事をしたものの、東吾にも全く勝算はなかった。  八丁堀の道場は松幡橋に近い所にあるので、そこの稽古の往復には堀のむこうの因幡町界隈が眺められる。  表通りに面した因幡屋は新築がだいぶ進んでいるようであった。 「家作が燃えちまっても地所は残っているわけですし、あれだけの大店ともなると、底力があるというか、たいしたもんだと思います」  やはり因幡屋の噂をしていたらしい、近所の人々の脇を通って、東吾は帰り道とは逆方向の因幡屋へ向って歩いて行った。  傍まで寄って見ると相変らず商売のほうは火事の後の急ごしらえの店舗のほうでやっているものの、その背後の本建築は余程、大工を急がせているのか、すでに骨組みを終え、左官が外壁に取りついている。  見たところ、柱も太いし、上質の木材が使われているようであった。  因幡屋の敷地をぐるりと廻って仮店の前まで来て、東吾は店にいた番頭と手代が肝を潰したような表情で何かをみつめているのに気づいた。とりわけ、番頭のほうは金縛りにでもあったように体中をこわばらせている。  何を見ているのかと、二人の視線をたどって行くと道のむこうを女が歩いていた。  町家の女房といった平凡な身なりで、容貌や体つきにも取り立てて特徴はない。年齢は四十を過ぎているかどうか。  女の姿が町角を折れ、手代が番頭に声をかけると、番頭は急に顔色を元に戻し、奥へ入ってしまった。後は手代が合点の行かないような素振で首をかしげながら店の片付をはじめている。  その二人の様子を目のすみに入れながら、東吾は女のまがった道へ向った。  女は弾正橋を渡っていた。  その先は本八丁堀一丁目から五丁目まで、大川へ注ぐ堀割が長く続いている。  堀沿いの道を女はかなりの急ぎ足で大川へ歩いて行く。  なんとなく、東吾は女の後を行った。  大川端の「かわせみ」に帰るにしても、この道を五丁目まで行き高橋を越えて松平越前守の中屋敷のふちを廻って行くのが順当だったからでもある。  日は暮れかけていた。  それでもひと頃から思えば随分と日脚《ひあし》が長くなっている。  ふりむきもせずに歩いていた女は堀割が大川へ流れ込む寸前で亀島川と交差するところで高橋へ上って行った。  橋の上に男が立っていた。  町家の天水桶のかげにたたずんで高橋を見上げ、東吾は女が近づいて行った相手の男が定吉だとわかった。  紺の股引に前掛、半纏着姿はどこかの土木工事にでも出かけた帰りだろうか。  女が定吉に何かをいい、定吉はうつむいて聞いている。が、長い時間ではなかった。  女は高橋を渡り、今来た道と堀割をへだてた向う岸を戻って行く。  定吉はとみると、これはまだ用事でもあるのか、鉄砲洲稲荷の方角へやや重たげな足どりで下りて行った。  僅かばかり迷って、東吾は結局、女を尾《つ》けることにした。堀割をはさんで、後戻りをする。  再び弾正橋が近づいた時、東吾は横町から出て来た男が堀割のむこうを行く女に気づき、暫くその顔を確かめるように眺めてから用心深く、女の後を尾けはじめたのを見た。  男は伊佐三であった。  一の字くずしの袷の着流しに千組の半纏を羽織っていたのだが、ふと気がついたように半纏を脱ぎ、器用にたたんで肩にかける。これは自分が火消だということを、女に気づかせないための用心と思えた。  俄然、東吾は面白くなった。今までは女を尾けるといっても、別に理由がなかった。  強いていえば、その女を注目していた因幡屋の番頭がまるで化物に出会ったかのような驚き方をしていたのが気になったからである。  だが、今度はその女を伊佐三が尾けはじめた。無論、伊佐三は東吾に気づいていない。  それどころか、全神経を先に行く女に集中させて必死で後を追っている。  余裕をもって東吾は伊佐三を尾けた。  伊佐三の前には女がいる。伊佐三を尾けることは女を尾ける結果になった。  女は本八丁堀一丁目で堀割を渡らず、道を折れて松村町へ出た。そこから先は木挽町一丁目、二丁目、三丁目と続く。  夕暮時の比較的、人通りの多い時刻なのも尾行には便利であった。  三丁目で女が東に折れる、その先に広がっているのは|采女ヶ原《うねめがはら》であった。  木挽町四丁目の東側に当り、広い原を馬場にして貸馬師が馬を何頭かおいて金を取って乗せている。けれども、この夕暮時、馬に乗る者はなくて、すみの柵に三頭ばかりがつながれていた。  馬場の先のほうに小屋があった。  見世物小屋や茶屋の並ぶ一隅で、夜が更けるとお上の御禁制の賭博なども開帳されるらしい。  小屋の一つに女が近づいた。裏口の筵《むしろ》をめくって、するりと姿を消した。  それを見届けて、伊佐三は暫くあたりを見廻していたが、やがて背を丸めて木挽町四丁目の町家を抜けて帰って行った。  それを見届けてから、東吾は小屋に近づいた。裏口に立って中を窺っていると、思いがけず、先刻の女が湯道具を持って出て来た。  まじまじと正面から東吾をみつめる。  東吾が、この男独得の人なつこさで訊いた。 「あんた、ひょっとして定吉のお袋じゃないのか」  女が激しく狼狽した。 「なんで、それを……」 「いや、鉄砲洲の高橋のところで定吉と話をしているあんたを見たんだ。定吉の顔があんたに似ているのに気がついてね」 「なんの御用ですか」  声がとがった。 「ここまでついて来たのは、あんたを千組の纏持、伊佐三という奴が尾けているのを知ったからなんだ」 「伊佐三が、あたしを……」 「あんた、伊佐三を知っているのか」 「名前は憶えていますよ。あたしが知っていたのは、あの子が十二、三だったか」 「むこうは、あんたを憶えていたんだな」  女が東吾をうながすようにして小屋から離れた。  誰もいない馬場の傍まで行って足を止める。 「伊佐三は徳三郎の所の纏持なんですか」  千組の頭を徳三郎と呼び捨てにしたところに微妙な響きがあった。 「あいつはこの前の因幡町からの火事で大働きをしてね。定吉と一緒にお上から御褒美をもらったのさ」 「伊佐三がお上から御褒美を……」 「そうだ、たしか、銭五貫文を頂いた筈だ。定吉は三貫文だったがね」 「五貫文……」  ふっと女が唇をゆがめた。が、気をとり直したように、東吾を仰いだ。 「お武家様は、どうして定吉を御存じで……」 「知るというほどは知っちゃあいないが、俺の内儀さんは大川端町のかわせみという宿の女主人でね。こないだ中《うち》、あの近くの堀端の工事を千組が請負った時、隣の空地が人足達の休み場所になった。定吉は工事の指図役で人足と一緒になって泥まみれで働いていたよ」  ひっそりとうつむいている女の横顔が寂し気であった。孤独が四十女の体を取り巻いているような気配でもある。 「たまたま、定吉はその休み場所で蓑虫をみていたんだ」 「蓑虫」 「俺がそこを通りかかって、子供の時分、随分、蓑虫を探し廻ったことがあるんで、つい、その話をした」 「これでしょうか」  いきなり袂を探って、女が黒い小さなかたまりを指先につまんでみせた。明らかに、それは蓑虫の死骸であった。 「そうか、やっぱり死んでたんだな」  季節はずれに枝からぶら下っていた蓑虫であった。 「あいつは生きているのか、死んじまったのかと心配していたんだが……」 「あの子があたしにくれたんです。この虫は鬼の捨て子ともいうんだって……」  唇を噛み、続けた。 「あの子、九つの時から、ひどい暮しをして来たんです。母親が鬼だったから……」 「定吉は徳三郎が面倒をみて来た筈だ。別に暮しに困ることは……」 「ええ、食べて着せてもらって、住む所、寝る所があればとおっしゃるんでしょう。でもね、あの子は一文の小遣い銭ももらったことがない」 「なんだと……」  そんなことはあるまいと東吾はいった。 「くわしいことは知らないが、火消の頭には町内から月に六貫文か七貫文程度の給金が出ている。纏持になれば二貫か三貫……定吉はその下の平人だから、それでも月に五百文から八百文ぐらいの小遣いはもらえる筈だ」 「皆さんはそうでしょうよ。でも、あの子はもらっていないんです。小遣いどころか、御町内の旦那衆が下さる御祝儀も、みんな頭が取り上げちまって……あの子に頭がいったそうですよ。千組にいる限り、只働きだ。それで長年の恩を返せって……」  東吾があっけにとられ、女は涙ぐんだ。 「頭の厄介になった時、あの子は九つでした。もう一人前になんでもやっていたし、大人顔まけの力仕事もこなしていたんです。赤ん坊からお世話になったわけじゃないですよ」 「それが本当なら……」 「本当なんです」  涙を手の甲でこすった。 「鬼の母親が十一年ぶりに銭もらいに現われた時、定吉がなんといったと思います。あの子は守袋の中から二分金一枚を取り出して、俺はいくら働いても一文も稼げない立場なんだ。この金はお上から御褒美に頂いたもんで、もし、おっ母さんが食うに困って江戸へ帰って来た時、とりあえずの入用になるかと思って肌身離さず持っていたって、それをそっくり……あたし、いってやったんですよ、徳三郎にはちゃんと約束をしておいた。お前にそんな非道が出来る筈はないんだって……でも実際、あの子は十一年間、只働きをさせられていた……この先だって……」 「待て」  火がついたような女の叫びを、東吾は制した。 「お前、徳三郎とどういう約束がしてあったんだ……」  女の顔から火が消えた。 「それは……いえません」  掌の上の蓑虫に目を落した。 「定吉は二十……とっくに立派な羽が生えて大空を元気にとび廻っていると思っていた。蓑の中で死んだも同然だったなんて……」  奥歯を音が出るほど噛んだ。 「あたしはもう誰も信じない。おぼえているがいい……」  いきなり裾を乱してかけ出した。東吾が見ているとその姿は采女ヶ原を横切って暗い町並のかげにかくれてしまった。      六  築地本願寺の裏から武家屋敷を抜けて東吾は八丁堀組屋敷へ出て来た。  立ち寄ったのは畝源三郎の屋敷だったが、源三郎はまだ帰っていなかった。 「間もなく戻りましょう。どうぞ、お上り遊ばして……」  とお千絵がいってくれたが、 「いや、明日にでもまた……」  と応じて、大川端へ帰った。  何かが、頭の中で線香花火のように小さな火花を散らしている。松葉を重ねたみたいなその火花の先にあるものを見極めたいと思うのだが、どうもはっきりしない。  こういう時は誰かに話をするのが一番なのだが、あいにく畝源三郎はいなかった。となると手近な相手はるいをはじめとする「かわせみ」の面々である。  帳場で出迎えた嘉助に、 「古い話だが、徳三郎の所にいる定吉のお袋の名前は知っているか」  と訊いてみると、 「たしか、おていと申したと思いますが……」  御城内の火事にかけつけて焼死した亭主の名が仁吉だったと、例によって老いたりといえども嘉助の記憶力はまるで衰えていない。 「仁吉というのは、どこの組だったんだ」 「二番組の百組の纏持でございました」  その時分、百組の頭は、 「今の頭の勇蔵の父親の徳蔵で……」  という。 「死んだのは、いくつぐらいだったんだろうな」  定吉が九歳の時である。 「たしか、勇蔵と同い年でしたから……生きていれば来年が還暦、歿ったのは四十八でございましょうか」 「随分と遅い子持だな」  定吉は三十九の時の子ということになる。末っ子ならともかく、一人っ子であった。 「内儀さんは……おていという女房は……」 「親子ほど年が違って、たしか二十ちょうどってことで……」 「二十か」  三十九の夫に二十の妻というと、 「仁吉は二度目か」  それなら世間によくある例だと、東吾は訊いたのだったが、 「いえ、仁吉のほうも初婚だった筈でございます」  嘉助がそこでちょっと苦笑した。 「実を申しますと、御城内の火事を消しに行って死んだと申すことで、仁吉にはあの折、二十貫文からの弔慰金が出ましたんで、そのためにお上のほうから町役人に仁吉の家族についてくわしく書き出したものをお届けするようにとお指図がございまして……」  つまり、いつ夫婦になって子供は何人いるかなぞという身許調べがあり、それが奉行所へ提出されたこともあって細かな点が明らかにされた。 「その後、おていがかけおちなんぞをやらかしたこともありまして、御奉行所の中でも随分と仁吉夫婦の話が取り沙汰されました。それで、年齢《とし》なんぞも憶えて居りましたようで……」 「おていがかけおちした相手は誰なんだ」 「庄三と申しまして、百組の火消で、ただ、火事場で落ちて来た梁《はり》の下敷きになって命は助かりましたが大怪我を致しましたとか。火消は勿論、鳶の仕事も出来なくなりましたのを千組の徳三郎がひき取って雑用に使って居りましたんだそうで、かけおち当時、徳三郎はおていが庄三に同情して、それがまあのっぴきならねえことになっちまったんじゃないかと申して居りました」  奥から出て来ていたるいやお吉が、帳場で嘉助と長話をしている東吾をみて、そのまま待っているのに気づき、東吾は漸く太刀を下げて居間へ移った。 「実は今日、ひょんなことから、定吉の母親に会ったんだよ」  着替えをし、長火鉢の前へ落付きながら、おおよその話をすると、るいもお吉も驚いた。 「それで嘉助にいろいろお訊ねになっていたんですか」  十一年前といえば、るいは「かわせみ」の女主人になっていて、嘉助もすでに八丁堀を出ていたが、 「あの時分は、まだ組屋敷で働いている人達の中に嘉助が長いこと昵懇にしていたお仲間も少くありませんでしたから、そんな話が耳に入っていたんですねえ」  と感心している。お吉はお吉で、 「そういえば、昔、長助親分から聞きましたよ。お城の火事で焼け死んで御褒美をもらった火消の女房が仲間の男とかけおちをしちまったんだが、ことが表沙汰になると御褒美を出したお上のほうにもけちがつくから、内緒でおさめたって……あれが定吉さんのお袋さんのことだったんですか」  今までうっかりしていたと今更らしくうなずいている。が、それ以上に女二人がこだわったのは、定吉が十一年も只働きをしていたという事実で、 「徳三郎さんというのは面倒みのいい頭って評判ですけど、まさか給金なしに使うなんて……」  火消の給金は町内から出ているので、東吾がおていに話したように、定吉は月に少くとも四、五百文は徳三郎を通して支払われる筈であった。 「仮にも火消の頭が子分の給金をくすねますかね」  と信じられない表情をする。  それにしても、定吉が先頃の火事で親子二代、お上から頂いた御褒美を二分金に替えて使わず持っていたのが、母親の万一のためを考えてのことだというのが、「かわせみ」のみんなの心をゆすぶった。  当時、一両が大体銭六貫文前後の相場だったから、定吉が頂いた三貫文は金二分になったと思われる。 「ところで、どうも気になるんだが……」  定吉の母のおていが、江戸へ戻って来ていたことである。 「かけおちした相手はどうなったのか、今までどこでどうしていたのかは聞けなかったが、少くとも、十一年ぶりに我が子の顔を見たというからには、江戸から少々遠いところで暮していたのだろう。そいつが尾羽打ち枯らして江戸へ戻って来て、我が子に金を無心した。もう一つ、おていは徳三郎に何か約束をしたらしい。つまり、かけおちする時、定吉のことに関して徳三郎と話し合いが出来ていたんじゃあねえかと思う。いいかえりゃあ、おていのかけおちに関しては徳三郎が一枚噛んでいるように俺は思う。しかも、徳三郎はおていとの約束を反古にしている様子なんだ」  るいが酒の燗をつけながら、すらりといった。 「おていさんがかけおちしたのは、誰かが、そうするように企んだってことですか」 「どうしてそんなことをする」 「仁吉さんが死んだ後、おていさんと定吉さんが江戸にいては具合の悪い人……」  いいさして、るいは悪戯っぽい表情になった。 「おていさんは江戸生まれじゃないんでしょうか」 「なんで、そんなことを訊く」 「親御さんが江戸に居なさったら、定吉さんはそこへ引取られたんじゃありませんか。徳三郎さんが面倒をみたというのは、親御さんがすでに歿っていたか、さもなければ遠国か。第一、おていさんが親子ほども年の違う仁吉さんの女房になったのは、どなたが口をきいたんでしょう。そのあたりを嘉助が聞いていますかしら」  お吉がとび上るようにして嘉助を呼びに行った。だが、嘉助はおていの親許を知らなかった。 「たしか、奉公をしていたというような話でしたが……」  その夜はそこまでであった。 「俺は最初、伊佐三が何故、おていの後を尾けたのかと不審に思ったんだが、伊佐三も最初は百組の子分で、おていの死んだ亭主の仁吉も百組の火消なら、当然、その時分のおていのかけおちなんぞは耳に入っている。あいつも驚いたんだろうな」  布団の中へ入ってから、東吾はまだ衣類を片付けているるいにいってみたが、それにるいが何と答えるかを耳が捕える前に眠ってしまった。  目をさましたのは、またしても半鐘の音である。  火元は近い。霊岸島町あたりと聞いて嘉助と若い衆が見に行ったが、すぐに戻って来た。  半鐘が派手に鳴った割には小火《ぼや》ですぐに消し止められたという。 「冗談じゃねえや。こう度々じゃ、おちおち枕を高く寝てもいられねえ」  と東吾はそのまま布団をかぶってしまったのだったが、翌早朝、畝源三郎がやって来た。 「東吾さんのおかげで大事が小事ですみましたので……」  わけのわからない東吾の前に嘉助が白髪頭を下げた。 「さし出がましいことを致しまして申しわけございません。実は昨夜、お話をうかがいましてから、どうも気がかりで、畝の旦那のお屋敷へ参りました」  奉行所から帰っていた源三郎にすべてを話して来たという。 「嘉助が帰ってから、十一年前の仁吉の弔慰金の際のお係だった岡部作右衛門様をお訪ねしました」  岡部作右衛門の口から明らかにされたのは、おていが仁吉へ嫁ぐ以前、奉公していた店であった。 「どこだと思いますか、東吾さん」  幼なじみの友人の表情をじっと眺めていて、東吾は膝を叩いた。 「ひょっとして、因幡屋か」 「流石ですな」  嬉しそうに源三郎が笑った。 「実は今しがたまでおていと話をしていたのですが、それはそれとして、昨夜、二件の火事がありました。一件は霊岸島町の徳三郎の家で、これは小火ですみましたが、もう一件の因幡町の因幡屋は建築途中だった店が全焼しました。但し、幸いにして類焼はしませんでした」  お吉が運んで来た冷酒を珍らしく源三郎は殆ど一息に干した。 「申しわけありませんが、次は水を一杯下さい」  東吾が焦った。 「火つけは、おていか」 「違います。おていはおそらく因幡屋に火をつける気だったろうと思いますが、因幡屋までたどりついた時に、心配してそのあたりを歩き廻っていた定吉にみつかりました。定吉は昼間、自分に別れを告げに来た母親の様子で、もしやと直感して、因幡屋の周辺に夜番に出ていたのです」 「誰だったんだ、下手人は……」 「東吾さんが癇癪を起すと怖いですから、先に、ばらしておきましょう。火付けの下手人は因幡屋の内儀のおはまでした」  東吾をはじめ、居並ぶ「かわせみ」一同から、ええっと声が上って、源三郎は少々、得意そうな顔になった。 「おはまが因幡屋に火をつけたのはおていと定吉、それに、因幡屋の主人や奉公人も見ているのです。みんなが火を消すのに夢中になっている中に、おはまは霊岸島町へ行って、徳三郎の家にも火をつけましたが、これは、男達が捕えて、火も消し止めました」 「そうしますと……」  かすれた声で訊いたのはお吉で、 「この前の因幡屋の火事と……それから深川の仮宅の火事は……」  源三郎が余裕をもって答えた。 「昨夜からおはま並びに因幡屋の主人や奉公人が取調べを受けているのですが、どうも、二件ともおはまの仕業のようですよ。まあ、お調べの結果が出ましたら、改めて御報告にうかがいます」  湯呑の水を旨そうに飲み、源三郎は茫然としている「かわせみ」の人々を尻目に悠々と帰って行った。 「畝の旦那もいけすかないじゃありませんか。もう少し、細かな話を教えて下さっても罰は当りませんでしょうのに……」  お吉はしきりにぼやいたが、東吾自身は目から鱗が落ちたように、事件の輪郭が見えて来た。  で、軍艦操練所が終った足で深川の長寿庵へ行ったのは、今朝、源三郎が帰りがけに二人にだけ通ずる合図をして行ったからである。  果して源三郎は長寿庵の二階で蕎麦を食べていた。 「なにしろ、四件からの火つけの下手人が挙がった上に、話が妙に入り組んでいましてね。奉行所の中でも、いろいろと意見が入り乱れて、飯どころではありません」  今回の事件には源三郎もかなりかかわり合っていたこともあり、吟味方与力からいろいろと問われたらしい。  長助が酒を運んで来て、源三郎も盃を取った。 「今朝のかわせみの一杯は効きましたよ。あれから拙宅へ帰って、着替えてから出仕したのですが、女房が朝っぱらから酒くさいと心配しましてね。もっとも奉行所へ着いた時は、すっかり醒めていましたが……」  それでも日頃よりも源三郎が饒舌なのは、今朝の酒のせいではないのかと思い、東吾は今まで考え続けていたことを口にした。  何もかも、源三郎から種あかしをされるのは面白くない。 「早速だが、源さん、伊佐三の恋人はおせいだったのか。それとも、母親のおはまか」 「やっぱり、東吾さんは女のほうから考えるのですな」  そういう話になるので、長寿庵でと目くばせをしたのだといった。 「おるいさんの前では、うさん臭い話は厄介ですからね」 「だがね。おていが仁吉の女房になる前に奉公していた主人と何かあったんじゃないかと勘ぐったのは、るいなんだよ」 「成程、話がそっちへ飛びましたか」  長助がお酌をしながら、話を戻した。 「しかし、驚きました。若先生はいつから伊佐三と因幡屋のお内儀さんに目をつけていなすったんで……」 「美代吉の奴がいったんだ」  伊佐三と浮名の立っている深川の芸者であった。 「あいつが、伊佐三には何かある、あいつの胸の中へ出刃庖丁を突っ込んだら、何か出て来るというような話をしたのでね。源さんの前だが、ああいう所の妓の勘はたいしたものだ。俺は因幡屋の娘のおせいかと考えたんだが、どうもしっくりしない。しかし、母親のほうとは驚きだな」 「色恋は怖いですよ」  源三郎が分別臭くいった。 「伊佐三って男は、色気があるんだ。女なら何となくその気にさせられちまうような所があるんだろうな。堅気の女房がつい、分別を忘れる。亭主にとっては剣呑な奴さ」 「男と女の講釈は東吾さんにまかせますがね。伊佐三とおはまの仲は五年越しだったそうで、女はともかく、男のほうはぼつぼつ秋風が立っていたようですよ」 「よく、亭主に気づかれなかったな」 「うすうすはおかしいと思っていたんじゃありませんか。但し、尻尾がつかめなかった。発覚したのは、いつだと思いますか」 「わかるか、そんなことは……」 「おていが因幡屋を訪ねて来た夜の話なんですよ」  かけおちした男に死なれ、せっぱつまったおていが江戸へ戻って来て、訪ねて行った先は因幡屋だった。 「おるいさんが当てたように、因幡屋の主人市兵衛はおていに手をつけていたんです」 「定吉は市兵衛の子なんだろう」 「東吾さん、先くぐりをしないで下さい。話が進まなくなりますよ」  源三郎が手を振って、長助が東吾の盃にお酌をした。  因幡屋の裏口へ来て、おていは小僧を呼び、昔、この家へ奉公していた者だが、旦那様に用があってと取り次ぎを頼んだ。で、小僧は手代を呼びに行く。 「小僧も手代も、奉公していた時分のおていを知りません。知っていたのは番頭で、もし番頭が出て来ていたら、用心したと思いますが、手代は何もわからないから、旦那に知らせた。市兵衛は女房に知れると困るから大いそぎで裏口へ来て、今は都合が悪いから夜更けてもう一度、訪ねて来るようにと時刻を決めて、その場逃れに追い払ったものです」  夜更けて、約束の刻限におていは再び因幡屋の裏口に来た。 「子《ね》の刻(午前零時)といいますから、無論、奉公人は寝鎮まっていました。おていは市兵衛に約束通り、定吉を因幡屋の悴だと認めてくれるか、それが出来ないなら因幡屋の店に堅気として奉公出来るようにしてもらいたいと頼んだそうです」  市兵衛の子を妊《みごも》りながら、女中を女房には出来ないといわれて仁吉へ嫁入りする時、おていが市兵衛から取りつけた約束は、定吉が二十になったら、然るべく身の立つようにするというものであった。 「ところが市兵衛はもっての外とはねつけたので、まあ、いい争いになり、かっとしたおていは持っていた提灯を市兵衛に投げつけて泣く泣くその場を立ち去ったと申します」  その時、地に落ちた提灯が燃え上り、市兵衛が慌ててそれを消すのをおていは目のすみに入れていた。ところが、翌日になって知ったのは、因幡屋が放火で炎上し、近所にまで被害が及んだという事実である。 「火つけをすれば、火あぶりの刑に処せられるというのは知れ渡っていることですから、おていは気もそぞろになったでしょう」 「源さん」  東吾が盃を友人にむけて、話を遮った。 「提灯の火は市兵衛が消したんだろう」 「左様です」 「女房が気がついて出て来たのか」 「いや、出て来ていたのは伊佐三だったんです」  伊佐三とおはまが逢引していたのは裏口に近い蔵の二階であった。 「外で人の争う声が聞えて、伊佐三は様子をみに下りて来ていたのですよ。蔵の戸を少しばかり開けて話を聞いていたのはいいが、提灯が燃えて、まあ火消の習性といいますか、反射的に戸に手がかかる。その音で市兵衛が伊佐三に気がつきました」  おそらく、お前は伊佐三じゃないか、なんで今時分、そんな所に、といったやりとりがあっただろうと源三郎はいささか仕方話《しかたばなし》になった。 「その最中におはまが下りて来る。追いつめられて逆上したんでしょうか、いきなり手燭の灯をぶちまけて、狂ったように燃えている空樽を抱えて母屋のほうへ走り込んだといいます」  伊佐三は逃げ出し、それでも気を取り直して頭の家へかけつけて纏を持ち出し、堀のこっち側の松屋町へ燃え広がった火事を消しに立ち向った。 「皮肉なことに、その大働きのおかげで伊佐三はお上から御褒美を頂くことになったのですが……」  因幡屋は焼失し、家族は佐賀町の仮宅へ移った。 「市兵衛は女房の不貞をそのままにしておいたようです。下手に世間に洩れれば自分の恥だと思ったのでしょうし、店も住居も焼けて、とりあえずはそれどころではないというところだったのかも知れません」  無論、女房とは一切、口をきかず、自分はもっぱら焼跡の仮店に住んで夫婦は断絶の状態になった。 「女というのは、居直ると怖いものですな」  眉をひそめて源三郎がいったのは、おはまが仮宅から呼び出しの文を出して、無理に伊佐三と逢おうとしたことで、流石に伊佐三はおいそれと応じはしなかった。 「伊佐三にしてみれば、いつ、因幡屋の旦那が頭の徳三郎のところへ苦情をいってくるか、生きた心地もしなかったでしょう」  出入り先の大店の内儀と密事《みそかごと》があったと知れては、どのようなお咎めを受けることか、仮に内済にしてもらっても、江戸には居られない。男が蒼くなっているのに、女は平然と呼び出しをかける。 「遂に伊佐三が決心したのは、おはまに逢って別れ話をすることだったようです。それが二度目の火事の夜で、伊佐三の申し立てですと、おはまは案外、素直に別れ話を承知したそうで、ただ、最後にもう一度という成行きで、伊佐三はおはまを抱いた。それが終るや否やというのもなんですがね、いきなり、おはまが行燈をひっくり返して、そこら中を火の海にしたので……」 「怖い話だな」  東吾が呟き、長助が首をすくめた。 「やけっ八《ぱち》になっちまったんですかね。あれほどの大店のお内儀さんが……」  四十そこそこの分別盛りの女でも、いったん歯車が狂うと何をしでかすかわからないと長助が慨嘆した。 「伊佐三が素っ裸で逃げ出すわけでございますよ」  情ない声で長助が続け、東吾は最初の火事の時に話を戻した。 「そうか、伊佐三は因幡屋の裏口で市兵衛と争っていたおていを見たのだな」  おていは提灯を持っていたから、蔵の入口からのぞいていた伊佐三にはおていの顔が見えたに違いない。 「それにしても、伊佐三はなんでおていを尾けたんだ」 「当人は、おていの件を持ち出して、市兵衛と取引をするつもりだったと申し立てています」  おていに子を産ませ、追い出した過去とひきかえに、自分の不貞を口外しないでもらいたいと脅す気だったのだろうと源三郎は考えている。 「それにしても、何だっておはまは三回目の火つけをしたんだ。ああ、そうか、亭主がおはまに何かいったんだな」  東吾が酒を飲み飲み推量し、源三郎が合点した。 「市兵衛はあの晩、女房に離縁を申し渡したそうです。川崎のほうに知り合いの寺があるからそこへ行って尼になれといわれて、部屋を出て行ったと思ったら、油壺を持ち出してそこら中にまき散らして火をつけたそうで、もう、こうなると火つけが病気とでもいいますか……」  因幡屋に続いて霊岸島町の徳三郎の家まで放火に行ったのは、伊佐三が自分と別れて徳三郎の娘と夫婦になると思ったからだと、おはまはいっているらしい。 「なんにしても、まともではありません」  お裁きが出るには、まだ何日かかかるだろうが、なんとも後味が悪いと、源三郎は重い顔で長寿庵を出て行った。 「畝の旦那は苦労人でございますよ」  源三郎が帰ってから長助が話した。 「定吉のお袋のことを大層、気にかけなすって、たしかに、おていという女は気の毒でして……」  市兵衛はおていの始末を出入りの鳶頭の徳蔵に頼み、徳蔵が子分の仁吉に因果を含めて夫婦にした。 「仁吉って男は地味だが、根は気のいい奴だったようで、定吉を自分の子でもないのによくかわいがって、まあ、火事場で死ぬことがなけりゃ、おていもまあまあ幸せだったのかも知れません」  仁吉が死んで、市兵衛は慌てた。  おていとの間には定吉の将来について口約束がある。定吉はすでに九歳になっていた。 「金持の旦那はなんでも金で片をつけようとなさる。おていにお前が江戸にいたのでは、女房が定吉を家へ入れることを承知する筈がないと、徳三郎から説得させて、おまけに厄介者の男をつけて江戸から出し、世間にはかけおちといい広めたんですから、非道な奴でございます」  徳三郎は因幡屋から大金を受け取っておきながら、定吉を只働きにしていた。  東吾が長助をなだめた。 「まあそう熱くなるな。お上だってそれ相応にお考えがあろうさ。源さんもついていることだ。様子をみようよ」  その東吾の言葉通り、千組の徳三郎は組の者に不届があったとして隠居させられ、新しい頭は二番組のせ組から任命された。伊佐三は江戸払いになったが、定吉母子には何のおとがめもなく、定吉は間もなく畝源三郎の口ききで、下谷の商家へ奉公することになった。  おはまは法の通り、火あぶりが申し渡されていたが、入牢中に急死し、間もなく、因幡屋の主人、市兵衛も卒中を起して他界したので、因幡屋は一人娘のおせいに聟を取って再開するという話だが、まだ決らない様子である。 「火事が起りゃあ火消|様々《さまさま》ですけどね。あたしは鳶職の連中が、頭だの、兄ぃだのって顔をきかせたり、大店の旦那衆から便利重宝に使われてるのは、あんまりいいことじゃないと思いますよ」  とお吉はしたり顔でいっている。  幸いなことに、このところ火の番小屋の半鐘はちんともじゃんとも鳴らないで、春風に吹かれながら江戸の町を見下している。  ぼつぼつ花だよりが聞えて来そうな江戸の陽気であった。  初 出 「オール讀物」平成13年7月号〜14年4月号  単行本 平成14年9月 文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 平成十七年八月十日刊